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あんな坂、こんな坂。

今日は坂の話。

といっても夫と何気ない会話をしていた時に、へぇ〜こんな考えの人もいるんだ。面白い。と思ったことを書き起こしてみる。

坂の多い金沢

我が家は最近引っ越した。

街中であり、坂の下。

出会った彼が金沢出身だった。
その彼と結婚した。

というシンプルな理由で金沢の人となった私。

金沢は海も山も割と近く、大きな川が2本流れ、台地も多い。


戦争で焼けることなく昔の道が残っているから、よくあるブロックで表される格子状の地形でなく、街中にある城公園を目にウネウネと道が這って出ていると教えてもらった(だから道が狭い)。

住みやすく、人もあたたかい。

子育てが金沢でできることはとてもありがたい環境だと思っている。


上りと下りのその先に

先日、何かの帰りに夫の通勤路を車で走っていた時のこと。

ふと”前の家は帰り道が上り坂だったな”と思い、

「引っ越して帰り道が下り坂になってよかったね。」と話した。

すると、

「帰り道が下り坂ってことは、行きは上り坂なんだけど?」

という返事が返ってきた。

それはそうである。

・やっとの思いで帰らなくて済む
・帰り道くらいは楽に帰らせてくれよな

そんな想いがあり、帰り道が下り坂であることにイイね!と思ったのだが。


夫の反応を聞いて、”確かに足の重い通勤は下り坂で楽に行きたいとよなぁ”と解釈した。

ところがどっこい、よくよく聞いてみると夫の言い分はそうでなくて

・玄関を出たら行くしかないから、上りであれ下りであれ関係ない

・帰り道は無条件にハッピーである。だから上りであれ下りであれ関係ない

というものだった。

なんとシンプル!

夫とは似ているところはあれど、物の見方が異なるから気づきも多い。

(気づきとして素直に消化できるようになったのはつい最近なのだが)

そんな答えを聞いて、過程を気にしすぎる自分の存在を知る。

もちろん、結果が良ければなんでもいいわけではない。過程の積み上げによってより良い結果につながる。

でも、過程で足踏みしすぎてしまって結果につながらないことは避けたい。

そんなことを思った。


おわりに

ちなみに、今日のタイトルは文章を書くことが好きだった祖父が出版した自伝の名前を借りてみた。

坂のはなしだったので。(軽率)

なんとなくこじつけ感の否めない内容になってしまった。

いやぁ〜帰り道が無条件にハッピーだと思ってもらえているのって嬉しいな。

さて、夕飯を仕込むとします。


最後まで読んでくれた方の今日が、良い日となりますように。

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