ゲームと子供 ゲームを世界と感じること
このお話は子供のゲームの遊び方を想起させる。
私が世話している子供のお話だが、ゲームを世界として遊んでいる。 ゲーマーとしてはゲームの目的とはクリアであり、すべてはクリアのための工程に過ぎない。
しかしその子供にとってはキャラクターが跳ねたり飛んだりするだけで楽しいし、新しいキャラクターが出る度に「鳥さんだー」「ハムスターだー」と”それ”がある度に感嘆の声を上げる。
これをゲーマーが見ると苦痛なのだろうが、私はゲーマーであると同時にアマチュアの学者である。 ”この子供はどのようにゲームを感じているのか”観察する方向に重心を移せば全く苦痛ではない。興味深いことである。
さて、先述のまとめは「遅々としてクリアに向かわないプレイヤー」へのいらだちが先頭に記されている。
もちろんこの苛立つゲーマーと私は、別人であるというのは一つある。 次に、このゲーマーとプレイヤーはさほど年齢差がないか意識されていないが、私は子供をあやす一貫としてゲームをしている。
しかしそういう違い以上に「異なるものを見たら観察に転ずる」というのは良い対応方法に思う。 もちろん、ゲーマーである以上観察に重心を動かしてもプレイは緩めなかったが。
なお、先述の子供を感動させたのはカービィ3である。 未だにカービィシリーズは強い。