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『みんな知ってる、みんな知らない』書評|よき小説の条件を満たした力のある作品(評者:宇田川拓也)

韓国人の新鋭作家が放つ、企みに満ちたサイコサスペンス『みんな知ってる、みんな知らない』を、ときわ書房本店(JR船橋駅南口前)の書店員・宇田川拓也さんに語っていただきました。


つまるところよき小説の条件とは、読み手の内面に何らかの影響や変化をもたらす力を備えているか──に尽きる。塞いでいた気分が晴れるといったささやかな程度から、凝り固まっていた物事の捉え方が改まる、あるいは人生を左右するような大きく衝撃的なレベルまで、その度合いは読むひとによって様々だと思うが、チョン・ミジン『みんな知ってる、みんな知らない』も、そうした“よき小説の条件”を満たした力のある作品といえる。


何者かに誘拐され、劣悪な環境下で衰弱しながら四十九日もの長い時間を耐え忍んだヨヌ。いっぽう、父親に連れられて向かった森のなかの廃屋に、ひとり置き去りにされてしまったユシン。奇しくも同じ時期、命を落としかけるほどの過酷で辛い経験を強いられたふたりは、大人になってからもその痛手から完全には立ち直ることができずにいる。

物語は、ヨヌを誘拐・監禁した男の正体と動機、ユシンが故障したエレベーターの鏡のなかに見た“あの子”が何者なのか、父はなぜ我が子を置き去りにして消えてしまったのかといった謎がページをめくらせる牽引力となっている。接点がないと思われたふたつの悲劇に隠されたあるつながりものちに明らかにされるので、ミステリ作品として読むこともできるだろう。

だが、ミステリ的な興味はこの作品の魅力のほんの一部分に過ぎない。筆者がもっとも感心したのは、あまり海外作品に触れたことのない読者にはストレスなく物語に没入できる敷居の低さがあると同時に、文学作品を読みこなすような読み巧者にはじつに掘り下げがいのある、まるで噛めば噛むほど味が出るような精緻で考え抜かれた物語になっている点だ。

目次を見ると、章立てが「みんな知ってる」と「みんな知らない」が交互に並んでいるのだが、それは「自分以外の皆が知っている/自分だけがわかっていて皆が知らない」というだけでなく、「すべてを把握している/すべてを把握してはいない」といった意味合いも含まれている。そしてミステリの手法を用いて、いわば憧憬と愛情の功罪に迫っていく本作の構成は、第三者からの理不尽な脅威と肉親が招いた不幸な巡り合わせが対になっている。つまりそれは人間関係の外側と内側から訪れる災いを意味し、それと向き合い、立ち向かうことの大切さを描き出すための絶大な効果を発揮しているのだ。

斯様に『みんな知ってる、みんな知らない』は、じっくりと読み込むにふさわしい小説としての深みと厳しい現実に抗い強く生きる意欲を与えてくれる、よき小説なのである。


宇田川拓也
1975年、千葉県生まれ。ときわ書房本店(JR船橋駅南口前)にて文芸書・文庫・ノベルス・サブカル書籍を担当。横溝正史と大藪春彦を神と崇めるミステリー偏愛書店員。勤務のかたわら、文庫解説の執筆、「本の雑誌」や「紙魚の手帖」(東京創元社)等でミステリーの新刊レビューを連載中。


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