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【試し読み】亡くなった知人と似た人に出会い・・・奥田亜希子さん書き下ろし『バイバイ、フィクション』

“この顔を、知っている。”
みなさんにもそう感じた経験があるのではないでしょうか?
主人公もそのように、あるホストに出会い、既視感を覚え、過去と現在の自分を思い返します。
タイトルの「フィクション」とは? それに対する「バイバイ」とは?
短いですが、奥田亜希子さんの新作の冒頭を大公開です!

(イラスト:赤)

■著者紹介

奥田 亜希子(おくだ・あきこ)
1983年愛知県生まれ。愛知大学文学部哲学科卒業。2013年『左目に映る星』で第37回すばる文学賞を受賞し、デビュー。ほかの著書に『ファミリー・レス』『五つ星をつけてよ』『青春のジョーカー』『愛の色いろ』『白野真澄はしょうがない』『クレイジー・フォー・ラビット』『求めよ、さらば』などがある。

■あらすじ

秘めた想いを持ってホストクラブに入った冴は思いがけず、亡くなった“ある人”に似ているホストの幻夜に出会う。そして冴は、かつての自分がその人の死に際して、「小説みたい」と興奮に似た軽薄な感情を抱いたことを思い起こし、いま自分が抱えている問題と向き合っていく…。恋愛小説の傑作『求めよ、さらば』の奥田亜希子が、近くはない存在の死をテーマに、すれちがう人間の姿と心理を偽りなくとらえた佳作。

■本文

 アルコールにふやかされた退屈が神経を包んでいる。感覚はすでに曖昧で、店内に流れるEDMや近くのテーブルから上がる歓声は、まるで風に乗って運ばれてきた夏祭りのにぎわいのよう。宙をさまよう紫煙や飛び交う視線にも、もはやぎらつきは感じない。天井から降り注ぐ黄金色の光が、黒っぽい壁や床、赤っぽいソファをぼんやりと照らしている。すぐ隣に座っているはずの男の声も、なんだか遠い。

 もう一度、さりげなく腕時計に視線を落とした。終了時刻まで、あと三十三分。込み上げるため息を嚙み殺したとき、僕もご一緒してもいいですか? と髪を淡いピンク色に染めた男がテーブルの向かいに立った。これまでの人もみんな若かったけれど、彼は雰囲気がずば抜けて幼い。少し高い声音もあって、少年が店に迷い込んだみたいだ。どうぞ、と私が応じると、ピンク髪は赤いピアスを片耳に着けた男と入れ替わるように、私の左隣に腰を下ろした。

「僕、幻夜っていいます」

 ピンク髪が顔写真入りの名刺を差し出した。

「どうも、初めまして」

「さえさんって仰るんですね。よろしくお願いします」

「幻夜は先週、〈フィクション〉に入ったばっかりなんすよ」

 少し前から私の右隣に座っていた英字Tシャツが、親指で幻夜くんを示した。

「へえ、新人なんだ」

「はい、新人です。あ、僕もお酒をいただいていいですか?」

「いいけど……幻夜くんは、二十歳は超えてるんだよね?」

「えっ、もちろんですよ」

 だって僕、ホストですから、と幻夜くんは心底おかしそうに笑った。目は弓状に細められ、唇の隙間から白い歯が覗いた。

 この顔を、知っている。

 肌に電流のような刺激が走った。ピンク色の髪にばかり目が行くけれど、吊り目で面長で色白と、そもそもの造形に既視感があった。私はグラスに口をつけ、焼酎の瓶の蓋を捻る幻夜くんの横顔を見つめた。相手を遠慮なく観察できるのは、ホストクラブの客に与えられた特権かもしれない。私の視線に気づいたらしい幻夜くんが、ふたたびあの笑みを浮かべる。大きめの犬歯が、彼の顔つきを一層あどけないものに演出していた。

 ああ、あの写真の彼だ。

 黒縁に囲まれ、黒いリボンで飾られていた一枚の写真が、ホログラムじみた質感でまなうらに立ち上がる。記憶の中の彼と視線がぶつかったように感じた瞬間、私は目眩に襲われた。親指のつけ根に冷たい感触が広がる。さえさん、大丈夫? と英字Tシャツがテーブルの上のおしぼりに手を伸ばした。

「ごめんなさい、急にふらっときちゃって」

 どうやら上半身が揺れた拍子に、グラスの緑茶割りをこぼしたらしい。幸い、手と服が少し濡れたくらいで、ソファや床に被害は見当たらなかった。新しいおしぼりで服の染みを叩く。そろそろ部屋着にしようかとも思っていた服なのに、なぜかおしぼりを動かす手が止まらない。

「服が白いから、目立っちゃうかもしれないですね」

 幻夜くんが私の顔を覗き込み、残念そうに眉をひそめる。彼の黒目には私の影が映り込んでいる。


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