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【試し読み】もしも、息子に”彼氏”ができたら???──秋吉理香子『息子のボーイフレンド』

『暗黒女子』『眠れる美女』などのイヤミスの女王・秋吉理香子がガラリと印象を変え、U-NEXTオリジナル書籍として書き下ろしたユーモアたっぷりの家族小説『息子のボーイフレンド』。全5章のうちの第1章(63ページ)から、18ページの試し読みを公開します。笑って、ドキドキして、LGBT時代を考える――新世代のホームコメディをぜひお楽しみください。


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■著者紹介

秋吉理香子(あきよし・りかこ)
兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ロヨラ・メリーマウント大学院で映画・TV製作の修士号を取得。2008年、短編「雪の花」で第3回「Yahoo!JAPAN文学賞」を受賞、翌年、同作を含む短編集『雪の花』で作家デビューを果たした。ダークミステリー『暗黒女子』は話題となり、映画化もされた。他の作品に『絶対正義』『サイレンス』『ジゼル』『眠れる美女』『婚活中毒』『灼熱』などがある。


■あらすじ

専業主婦の杉山莉緒(りお)(40)は、高校2年生の一人息子・聖将(きよまさ)からのカミングアウトをファミレスで聞き、衝撃を受けた。交際相手を自宅のランチに招いたところ、20歳で一流大学2年生の藤本雄哉(ゆうや)は非の打ち所がない好青年。母親を早くに亡くし、家事は勿論、祖母の介護までしている苦学生で、何より聖将に勝るとも劣らないイケメンだった。ひとまず二人の交際を認めた莉緒だったが、夫・稲男(いねお)(45)にはなかなか切り出せない……。聖将&雄哉、盛夏の熱い恋の行方やいかに? 家族の絆があったかくしみる群像劇!


■本文

第1章 莉緒

バチがあたったのかもしれない。

わたしにはそうとしか思えなかった。

「それ、本当なの?」

自分でも気づかないうちに声が震えていた。目の前でうつむき、肩を震わせている聖将(きよまさ)の姿が、幻のようにかすんで見える。

そもそも、不自然だと思ったのだ。

思春期まっさかり、高校二年の息子は母親と一緒に歩くのもいやがり、コンビニで偶然会っても無視を決め込んできた。何かあるたびに「オカンうぜえ」と吐き捨てる。そういう年頃だ。

それが珍しく、ランチをファミレスで食べようと誘ってきた。今日は一学期末の試験の最終日。午後一番に帰宅したところだった。

「いつから……?」

「わかんない。気づいたら、そうなってた」

聖将は消え入るような声で答えた。唇の上に汗がたまっていた。産毛は、もう髭と呼べるくらい濃くなっている。時々、夫の電動髭剃りで剃っている息子を見て、そろそろ専用のものを買ってやらなくちゃと考えていたところだった。

「なんで? どうして?」

気づかないうちに、責めるような口調になっている。ダメだ。こういう時は責めちゃいけない。これは聖将のせいじゃない。聖将だって苦しんでいるんだから。

「理由があるんだったら、俺だって知りたいよッ……!」

搾り出すような聖将の声に、ぎゅっと目をつぶる。ああ、これは夢でも悪い冗談でもない。現実なんだ。

ここがファミレスでなかったら、叫びだしているかもしれない。衝動に任せて、聖将をひっぱたいているかもしれない。

わたしは深呼吸して、目を開く。膝の上に置かれた自分の両手が、硬いげんこつになっていた。

確信犯だ。聖将はわたしの性格をよく知っている。だからわざわざファミレスに誘ったのだ。人目のあるところだと、わたしは決して逆上しない。どんなに動揺しても、怒っても、ぐっとこらえて冷静に振舞う。そんな高校生らしくない計算をしてまで告白する決心をした息子を、愛しんでいいのか、哀れんでいいのかわからなかった。

「それで……」

言いかけた途端、

「あらやーだ、莉緒(りお)じゃない!」

すっとんきょうな声が割り込んできた。

優美(ゆみ)だった。

高校時代からの親友で、大学を出てすぐにわたしがデキ婚をしてからは疎遠になっていたが、その数年後には優美も結婚し、しかも新居が近所になったことで、また昔のように仲良くしている。

「聖将くんも! ちょっと見ないうちに、すっかり男っぽくなったねえ」

なかなかオムツが取れなかったことや、小学低学年でも時々おねしょしていたことまで知られている優美に、聖将ははにかんで軽く頭を下げた。

「羨ましいなあ、母子水入らずでランチ! うちの敏行なんて、最近一緒にお出かけなんてしてくれないわよ」

空いている椅子に腰をおろし、わたしの皿に盛られたフライドポテトに手を伸ばす。昔から人懐っこく、憎めない。優美の息子は聖将の四つ下で、中学生になったばかりだった。

わたしと聖将が会話に乗ってこず、相変わらずうつむいたままなのを見てとると、優美は紙ナプキンで手を拭いて立ち上がった。

「やだ、なんか深刻! 聖将くん、カノジョでも妊娠させちゃったの?」

否定する間もなく、彼女は朗らかな笑い声をあげ、手を振って立ち去っていった。

優美は軽い冗談のつもりだったんだろう。

けれども──わたしは、優美の後ろ姿を見送りながら考えていた──それが本当だったら、どんなにいいか……

もしも現実にそんなことを聖将がしでかしていたら、卒倒してたかもしれない。聖将を責め立て、ひっぱたき、すぐさま先方の両親のもとへ引きずっていき、一緒に土下座しただろう。けれども今のわたしには、不謹慎かもしれないが、そんなことすらも羨ましい事態になっていた。

この先、聖将が女の子に赤ん坊を孕ませることはないのだから──

「あのね、お母さん思うんだけど」

気を取り直して、聖将をまっすぐ見据えた。

「思春期にありがちな、気持ちの揺らぎだと思うの。これから大学に入って、就職もして、素敵な女の子に出会えたらきっと──」

「オカン」

聖将が遮った。

「そう思いたい気持ちはよくわかる。俺だって、一時的なものだったらどんだけいいかって思った。オカンも知ってるだろ、女子と付き合ったことはある。でもダメだった。オカンには申し訳ないと思うけど」

「じゃあ、あんた本当に──」

聖将は心から申し訳なさそうに、けれども力強く頷いた。

「うん。俺、男が好きなんだ」


ファミレスから帰ってくると、わたしはリビングをめちゃくちゃに歩き回った。

何をしていても落ち着かない。料理をしても集中できない。

聖将はあの衝撃の告白の後、約束があるからと、どこかへ行ってしまった。約束? 誰と? 何をしに? どこへ行くの? 訊きたいことは山ほどあったが、口にできなかった。

どうしようどうしようどうしよう。

実際にはどうすることもできないのに、さっきからそればかり考えている。なんとか治せないのか。治るものじゃないのか。夫にはなんて言おう。いや、言う必要はあるのか? こんな悩み、自分一人で充分ではないのか──

突然、LUNA SEAの「DESIRE」が思考に割り込んできた。しばらくそのメロディに反応できず惰性歩行を続けていたが、やっとスマートフォンの着信だと気づいて、慌てて取った。

「DESIRE」は優美からの着信音に設定してあった。わたしたちは、高校生の頃からLUNA SEAの大ファンだった。ボーカルRYUICHIの妖しい雰囲気と甘い歌声にイチコロになり、きゃあきゃあ騒ぎながらアルバムや雑誌の切り抜きを集めた。特に優美は「DESIRE」という曲が好きで、わたしのスマホに勝手に自分の着信音として登録したのだ。ちなみに優美はRYUICHIでなくSUGIZO派である。

──莉緒? わたし。さっき何か思いつめてたみたいだけど、大丈夫かなと思って。

優美の天真爛漫な声に救われたくて、わたしはスマートフォンにしがみついた。

「優美、助けて!」

わたしは、ファミレスでの、聖将からの重大発表を伝えた。舌がもつれて、上手く話せなかったが、優美は忍耐強く聞いてくれた。

──え、なに、それってさあ、聖将くんがゲイってこと?

認めたくなくて、わたしがあえて使わなかった単語を、優美はずばりと口にした。

「……そういうことかもね」

──かもって、そうじゃん。

はらはらと涙が流れてきた。泣くつもりなんかじゃなかったのに。

「どうしよう。バチがあたったんだ」

──バチ? なんでバチで息子がゲイになんのよ。

「だってうちら、BLが好きだったじゃない」

あーあれか、と優美が思い出したように笑った。

優美とわたしは高校時代、ゲイが好きだった。今では「やおい」や「ボーイズラブ」というジャンルで、堂々とコミックや小説、雑誌が発売されているらしいが、当時はこっそりと楽しむものだった。

今ほどゲイが広く認められているわけでもなく、ましてやそれを見て楽しむ女子高生というのは少なかった。なのにどういう訳かわたしも優美も男同士のカップルに惹かれ、美形の高校生や社会人の二人連れを電車で見つけては騒ぎ、「JUNE(ジュネ)」という女性向けの男性同士の恋愛をテーマにした雑誌を、顔を赤らめながら、毎号欠かさず購読していた。

そしてそれだけでは飽き足らず、男同士が愛し合う漫画を自分で描いては、クラスのみんなに読んでもらっていた。手をつなぐ、キスをする、などという甘っちょろいものではなく、露骨な性描写を盛り込みまくった、男性用のポルノ雑誌やAVの方がまだソフトに思えるほどの、かなり激しく、エグイ内容──ぶっちゃけ、ハードコアポルノと言ってしまってもいいような代物だ。

当時、わたしは提案した。

「うちらさあ、結婚して男の子生まれたら、ゲイに育てようよ」

優美も乗り気だった。

「いいねいいね。そんで、お互いの息子をカップルにしよう」

そしたら毎日、身近にJUNEカップルを楽しめるね、と、そんな他愛ない会話をしていたのだ。あの頃に戻って自分の横面をひっぱたきたい。

「ああ、どうしよう。本当に息子がゲイになっちったよ」

漫画家になりたいとかタレントになりたいとか、そんな夢はひとつも叶わなかったくせに、どうしてこの夢だけ叶っちゃったんだろう。

──ちょっと落ち着きなよ。からかわれてんじゃないの?

「なわけないじゃん。エイプリルフールですら、何もしてないのに」

──一過性のものかもしんないし。

「あの聖将の真剣な表情を見てたら、とうていそう思えない」

──なんで突然カミングアウトしてきたわけ?

「それが……彼氏ができたんだって」

──ありゃま。

「ちゃんと堂々と付き合いたいからって。こそこそしたくもないし、うちにもボーイフレンドとして連れてきたいって。ねえどうしよう」

──へえー。その子って美形かなあ。

「そんな悠長なこと言ってないで」

──聖将くんってイケメンだから、うまくいけば極上のカップルになるんじゃないの?

「怒るわよ」

そうたしなめても、優美の頭上からはホワンホワンと白い雲が出て、聖将と美形ボーイフレンドがいちゃついている様子が映し出されているに違いない。わたしたちは、美形の男子二人組を街や電車で見かけるたび、そんな風にして妄想を膨らましては、キュン死してきたのだ。

「他人事だからそんなことが言えるのよ」

ときつく言ってみたが、わたしだって逆に優美の息子がゲイだと聞けば、勝手な想像で楽しんでいたに違いない。優美の息子も、けっこう可愛い顔をしているのだ。

「病院連れて行こうかな」

──病気じゃないんだし、聖将くん傷つくでしょ。一体どうしたのよ。そういうこと、あんたが一番わかってたはずじゃない。

そうだ。

親に同性愛者だとばれて精神科病院に閉じ込められた話や、周囲からいやがらせを受け、差別され、あげくに命を絶った話を見聞きしては涙し、「ゲイの人権を守れ」と激怒していた。けれども、それがいざ現実に自分の身内に起こってみると、このていたらくである。

同性愛は病気ではないし、他人に迷惑をかけるわけでもない。たまたま、性的指向が同性に向いてしまっただけなのだ。

そんなこと、わかってる。

頭では充分、わかってるんだ。

──もうエッチしたのかなあ。

優美が言う。

「やめてよ!」

──あれ、でも聖将くんって、彼女いなかったっけ。

「いたわよ。ルネちゃんっていう可愛い子で、うちにも連れて来てたけど……。でもやっぱり、ダメだったんだって」

──ダメって何が?

「知らないわよ、そんなこと」

──ああ、勃(た)たなかったってことかあ。

「優美!」

怒ってはみるが、こんな話、優美以外にできやしない。

夫にはとてもじゃないけど、話すわけにはいかない。実家の母にも相談できるはずもない。昔からのわたしを知っていて、かつざっくばらんに意見を述べてくれる優美しか、理解してくれる人物はいないのだ。わたしは急に心細く、世界でひとりぼっちになった気分になる。

──会わせてもらえば? そのボーイフレンドとやらに。

「やめてよ、何言ってんのよ」

──だって気になるんでしょ?

「でも……どんな顔して会えばいいか、わからない。それに、自分が何しでかすか想像できない」

──普通に接すればいいのよ。きっと向こうもそれを望んでる。

「そんなこと言われても……」

──どんな相手かを知っておくのは大切だと思うよ。

「いや、だからって」

──もう明日から試験休みでしょ? 旦那のいない平日にでも、ランチに招待すれば。莉緒は料理上手なんだし、喜ぶわよ。

「でも……」

とても息子のボーイフレンドを歓迎することなんてできない。それに招待なんてしたら、二人の関係を認めたも同然になってしまうじゃないか。

「無理! やっぱわたしには無理!」

わたしは叫んだ後、スマートフォンをブチッと切った。

聖将がゲイだなんて、絶対に認めない。そんなこと、許さない。高校時代に、ノーテンキに「ゲイって萌える!」なんてほざいていたから、こんなことになっちまったんだ。

神さま、許してください。反省しますから、どうか息子をノーマルに戻してくださいッ!

わたしは、どこにいるかわからない神さまに向かって、心の中でひれ伏した。


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