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ひとつのジッポーから暴かれるベトナム戦争の闇──『ジミー・ハワードのジッポー』柴田哲孝インタビュー

『下山事件 最後の証言』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞(実録賞)を、『TENGU』で大藪春彦賞を受賞し、フィクションとノンフィクションの両分野で活躍する柴田哲孝さん。U-NEXTでは、そんな柴田さんの書き下ろし長編小説『ジミー・ハワードのジッポー』を配信しています。

ベトナムに取材に訪れた小説家・桑島は、ホーチミンの市場でかつて米兵が所有していたと思われるジッポーを手に入れます。銃弾の跡が残るジッポーに刻まれていたのは、「JIMMY HOWARD」という兵士の名前。興味を持った桑島が調査に乗り出すと、意外な事実が次々に明らかになり、やがて殺人事件に発展していきます。ひとつのジッポーから浮き彫りにされる、ベトナム戦争の闇。極上のエンターテインメント小説でありながら、深いメッセージが、未来への希望が込められた同作について、柴田さんにお話をうかがいました。


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柴田哲孝(しばた・てつたか)
1957年、東京都出身。日本大学芸術学部写真学科中退。フリーのカメラマンから作家に転身し、現在はフィクションとノンフィクションの両分野で広く活躍する。パリ~ダカールラリーにプライベートで2回出場し、1988年にはドライバーとして完走。1991年『KAPPA』で小説家デビュー。2006年、『下山事件 最後の証言』で第59回「日本推理作家協会賞・評論その他の部門」と第24回日本冒険小説協会大賞(実録賞)をダブル受賞。2007年、『TENGU』で第9回大藪春彦賞を受賞し、ベストセラー作家となった。他の著書に『DANCER』『GEQ』『デッドエンド』『WOLF』『下山事件 暗殺者たちの夏』『クズリ』『野守虫』『五十六 ISOROKU異聞・真珠湾攻撃』『ミッドナイト』『幕末紀』など、多数。



ベトナム取材で手に入れた、ひとつのジッポーから広がる物語


──この小説は、柴田さんがベトナムへ取材に行かれた際、入手したジッポーからインスピレーションを得て執筆されたそうです。このジッポーとの出会いについて、詳しくお聞かせください。

柴田:ベトナム戦争時代、アメリカの兵士がジッポーを愛用していたことは以前から知っていました。ベトナムに派兵された米兵はジッポーライターをPXで手に入れ、自分の所属部隊やメッセージ、図案を刻んで使っていました。作家の開高健さんもベトナム戦争の取材を行なった際、ご自分用のジッポーを作ったらしく、私も興味を抱いていました。

その後、ベトナムを訪れた折に「ホーチミン市のヤンシン市場で本物のベトナム・ジッポーが手に入る」と聞き、実際に市場で探してきたんです。でも、本物は売りつくされており、ほとんどが偽物。そこで店員に「偽物ではなく本物はないか」と聞いたところ、「ちょっと待ってくれ」と奥からケースに入ったジッポーを3つほど持ってきてくれました。その中から、ひとつのベトナム・ジッポーを買い求めたんです。

──『ジミー・ハワードのジッポー』に登場する作家・桑島と、まさに同じ体験をされたわけですね。

柴田:そうです。ジッポーと出会うシーンは、現実に経験したことをそのまま小説にしました。その後、日本に持ち帰り、裏に刻まれた文字を調べてみたんです。すると、「なぜこのジッポーの持ち主は、この部隊に所属していたのにこんな場所にいたんだろう」などといろいろな疑問が湧いてきました。そうなってくると、ベトナム・ジッポーそのものに次々と興味が湧いてきて、eBay(米国のオークションサイト)などで他のベトナム・ジッポーを買い集めることに。その中でも面白いジッポーを調べていくうちに、今回のストーリーが頭に思い浮かびました。

──作中でも描かれていましたが、ベトナム・ジッポーにはさまざまなメッセージや図案が刻まれているそうですね。

柴田:スヌーピーが墓石の上に寝ている図案が刻まれたもの、ミッキーマウスの絵柄のものなどいろいろあって面白いですね。刻まれた文言も、戦場にいる自分の状況を皮肉ったものもあれば、「俺はただマリファナを吸ってハイになるだけ」というちゃらんぽらんなものもあり、ベトナムに行った兵士たちのさまざまな思いが込められています。私はタバコを吸いませんが、ベトナム戦争の歴史をたどるうえでの資料として興味を抱きました。

──桑島は、ベトナム・ジッポーについて「戦時下におけるただの流行や現象にとどまるものではなくて、ひとつの文化、もしくは芸術といってもよいのではないかとさえ思えてくる」と語っています。それは柴田さんの考えでもあるのでしょうか。

柴田:そのとおりです。米兵たちは、ジッポーに刻む言葉を自分たちで考え、戦争そのものを皮肉ったり、政府批判をしたりしていました。また、こうしたジッポーをお守りにしたり、何か作戦が終わった時に同じ小隊・中隊の仲間と同じ記念のジッポーを作って分け合ったり、友達や地元の恋人に贈ったりしていたようです。ひとつの文化として、興味深く感じました。

──そこから、どのようにして物語を作りあげていったのでしょう。

柴田:私が最初に買ったベトナム・ジッポーには、名前が書かれていませんでした。小隊・中隊内でおそろいのジッポーを作ることもあるので、意外と名前が刻まれていないものも多いんですよね。でも、中には名前が刻まれたジッポーもごくわずかにあります。「もし、ここに名前が書いてあったらどうだろう」「銃弾の傷があったらどうだろう」と想像する中で、ひとつのストーリーが出来上がっていきました。

──ベトナム戦争を描きつつも、現在と過去、ベトナムとアメリカ、さらに日本を行き来する時間・空間的に広がりを感じる物語になっている点に、ダイナミックな面白さを感じました。

柴田:ベトナム・ジッポーが、タイムカプセルになっているんです。ひとつのジッポーにより、半世紀近く前に起きたベトナム戦争の知られざる事実が浮き彫りになっていく。埋もれていた事実が半世紀後にもう一度掘り起こされていく過程を、謎解きのように書いていこうという発想から、この小説を形作っていきました。

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戦争は絶対悪。悲劇を乗り越えた先に広がる未来への希望

──謎解きサスペンスのスリルも存分に味わいましたが、この作品からはベトナム戦争の凄惨さ、苛烈さも伝わってきます。ベトナム戦争を描くにあたって、どのような思いがありましたか?

柴田:かつてベトナム戦争があったという事実は、多くの方がご存じでしょう。しかし、すでに終戦から半世紀近く経っていますから、どのような戦争だったか当事者の記憶も薄れています。終戦後にお生まれになった方は、もしかしたらこの戦争についてまったく知らないかもしれません。過去にどんな戦争があって、今のベトナムがどう成り立っているのか。ひとつのジッポーをもとに、もう一度ベトナム戦争とはどのようなものだったのか、掘り返していくのも必要なことではないかと思いました。

実際、ひどい戦争だったんですよね。今、ベトナムは日本人観光客にも人気ですが、ただビーチで遊んで買い物をして帰ってくるのではなく、彼らの歴史を知り、どのようにして現在の国家になり、日本人客を迎えているのか知っておくべきです。知らずにただ遊びに行くのは、ベトナムの人にも申し訳なく思います。この小説においても、必要最小限ではありますがベトナム戦争に踏み込んでいきました。

──作中では、ホーチミンの市場で働くベトナム人がアメリカ人にベトナム・ジッポーを見せることを渋ったり、北部の村のベトナム人がアメリカ人を拒絶するような態度を見せたりします。実際、今も感情的な隔たりがあるのでしょうか。

柴田:同じベトナムでも、南は自由主義圏ですから親米派です。ところが北に行けば行くほど共産主義の色合いが濃くなり、反米になっていきます。アメリカが「北爆」と呼ばれる大規模な爆撃を行ったため、人もたくさん亡くなりましたし、地面は今でも穴だらけです。日本で言えば、東京大空襲や広島・長崎に近いような被害を受けたので、北側に住むベトナム人に「アメリカを好きになれ」というのは無理な話だと思います。

ただ、こうした歴史がありながらも、ベトナムを訪れるアメリカ人観光客は少なくありません。私が出会った観光客の中には、「自分はベトナム戦争に出兵した過去がある。だから、奥さんや子供たちを連れてベトナムに来た」というアメリカ人もいました。私は、それでいいと思うんですよね。南側のホーチミン市には戦争博物館もたくさんあり、ベトナム戦争の記録も記憶もたどることができます。こうした場所で学んでから観光地を訪れれば、ベトナム人との付き合い方も良い意味で変わってきますから。

──爆弾を落とされた後には無数の穴があり、そこでベトナム人が蓮を育てているというエピソードも印象的でした。

柴田:これは本当の話なんです。特に、ベトナム北部には池がたくさんあるんですね。不思議に思って現地の方に話を聞くと、すべて爆弾の跡だと言われました。ゴルフボールの表面のようにボコボコと穴があるので、「こんなに爆弾を落とされたのか?」と聞くと「そうだ」と。そこに雨が降って池になり、ただの池ではつまらないので蓮の種をまいたそうです。そこから収穫した蓮の実は、ベトナム名物のロータスティーというお茶になります。このお茶の効果により、ベトナムでは脳卒中や心臓病になる人がとても少ないそうです。

──激戦地となったベトナムのことだけでなく、米軍の事情も描かれています。歩兵連隊が海兵隊の盾にされるなど、アメリカ側の兵士も過酷な任務を強いられていました。こうした現実については、どのような思いを抱きましたか?

柴田:よその国の戦争に、行きたくて行く人なんてそうそういません。兵士は最初「共産主義と戦うんだ」という義侠心に燃えていたのかもしれませんが、戦地に行けば理想とはかけ離れた現実が待っていたことでしょう。毎日ひたすら危険な任務に追われ、ジャングルに分け入り、仲間が次々死んでいく。その状況を見てしまったら、やっぱり冷静ではいられません。戦争って何でもそうですけど、どっちが善でどっちが悪かじゃないんですよね。アメリカ側も悪いし、ベトナム側も悪い。戦争を始めたトップが、両方とも悪いんです。自分たちが権力を得よう、経済的優位に立とうとして戦争を始めたわけですから。そして戦争が始まれば、死ぬのは兵士です。そういう意味では、ベトナム側もアメリカ側もみんな犠牲者。こうした目線で、私の小説を読んでほしいです。

──ジッポーの持ち主に何が起きたのか、事件を追ううちに戦争によって人が変わっていく姿、戦争がもたらす狂気がリアルに描かれていきます。こうした戦争の異常性について、ご意見をお聞かせください。

柴田:どちらの軍にも、良い兵士も悪い兵士もいるわけです。最初は自分の理想や主義主張のために軍に入りますが、そんなことはやがてどうだってよくなる。ただただ死にたくない、生きていたい。その過程でいろんなことが起きる。戦争ってそういうものだと思うんですよ。こうした戦争の本質、狂気を、たったひとつのジッポーから浮き彫りにしていこうというのがこの小説の試みです。

こうした戦争の狂気の一部でも伝えるため、実際に起きた虐殺事件にも触れています。現実には、アメリカ軍や韓国軍がベトナム人に対して虐殺を行っただけでなく、北ベトナム軍の兵士が南ベトナムで市民を虐殺した事件もあった。北ベトナム軍の兵士やベトコンが、アメリカ軍を捕虜にして虐殺したこともあった。いろいろあったわけです。だからこそ「戦争は絶対悪なんだ」と、この本を通じて読者に知ってもらいたいんです。戦争が起きれば、こうした悲劇がまた生まれる可能性があるんだ、と。


──戦争を描いた作品でありながら、未来への希望を感じる結末でした。そこにはどんな思いを込めたのでしょう。

柴田:ひとつの悲劇を乗り越えたら、希望が見えるのは当然のことです。いつまでも昔の悲劇に囚われていないで、新しい未来や希望に向けて進んでいこう。それが次の世代の役目なんだと思います。

──とはいえ、戦争があったという過去は消えません。私たちは、どのような思いで生きていけばいいのでしょう。

柴田:悲劇があったのは確かですが、いつまでもそれに引きずられて、絶望の中に沈んでいくことはないじゃないですか。過去を乗り越えたら、自分たちの世代は新しい希望をつかまなければいけない。それは日本でも同じことだと思うんです。太平洋戦争でお祖父さんや祖母さんを亡くした方も多いと思いますが、いつまでも「だから自分は幸せになってはいけない」なんて思っていられないでしょう? 自分たちは自分たちで幸せをつかまないと。もう終わったことなんだから、ラグビーで言ったらノーサイド。事実は事実として認識したうえで、いつまでも引きずらずに未来に向かうべきではないでしょうか。

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デジタル配信を意識し、軽くてテンポのいい文体に

──この物語は、2019年7月に作家・桑島がベトナムを訪れたことから幕を開けます。コロナに設定したのはなぜでしょう。

柴田:私がベトナムを訪れたのが2018~19年だったので、リアルタイムで書いていったほうが面白いだろうと思いました。そうなれば新型コロナウイルス感染症のことは避けて通れません。あえてコロナ禍を選んだというより、たまたまそういう時期だったと考えていただいたほうがわかりやすいですね。本当はコロナを描かないほうが楽なのですけれども(笑)。ただ、どんな小説でも、その時代の世相は書き込んでいかなければなりませんから。

──執筆にあたり、特にご苦労された点はありますか?

柴田:小説はどれもそうですが、あまりすらすらとスムーズにいくものではありません。誰かの小説をもとに書くわけでも、書き方を誰かに教えてもらえるわけでもない。ゼロから生み出す作業ですから、悩んだり苦しんだりしました。今回の場合は、ひとつのジッポーから小説を生み出したわけですから、これもスムーズにはいきませんでした。

──今回の作品で、ベトナム戦争のことは書き終えたという思いはありますか?

柴田:そんなこともありません。実はコロナ禍にならなかったら、2020年にもう一度ベトナムに行く予定だったんです。今度は中部のダナンに行こうと思っていましたが、コロナ禍で行けなくなってしまったんですね。今後の世界情勢がどうなるかわかりませんが、これからまだベトナムを題材にした小説を書くかもしれません。それも、絶対とは言い切れませんが。

──今回の『ジミー・ハワードのジッポー』はU-NEXTで先行配信され、その後、紙の書籍として書店の店頭に並びました。デジタル配信と紙の本で、執筆上の違いはありましたか?

柴田:私の場合、電子書籍も読みますが、やっぱり大半は紙の本ですし、紙のほうを好みます。ただ、両方読んで気が付いたのは、デジタルと紙では読みやすい文章が違うということ。紙の本だと、ねっとりと絡みついてくるような文章のほうがよく理解できますが、デジタルだとそういう文章は疲れてしまう。テンポよく進んで行くほうが読みやすいんです。だから、今回の『ジミー・ハワードのジッポー』は、デジタル向けに軽くてテンポのいい文体で書きました。私のほかの作品と読み比べると、文体の違いがわかると思います。そのあたりも注意して読んでいただけるとうれしいですね。

──最後に、これからこの作品を読む方に向けてメッセージをお願いします。

柴田:自分で書いたものですが、面白い作品になったという自負があります。非常に読みやすいエンターテインメント小説なので、まずは楽しんでください。そのうえで何を感じてくださるかは、人それぞれでいいと思います。

小説家がどんなに早く書いても、1冊を書き終えるまでに3、4ヵ月はかかります。一方、読者は、早い人ならば一晩で読めてしまう。3、4ヵ月分の体験を一日でできてしまうのですから、こんなにお得なことはないじゃないですか(笑)。ぜひその特権を生かして、これからも小説を味わって楽しんでいただけたらと思います。


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