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『The Miracle of Teddy Bear』翻訳者福冨渉さんによる訳者解説

『テディベア』をもっと楽しく読むために

 Prapt『The Miracle of Teddy Bear』をお読みいただき、ありがとうございました。訳者の福冨渉です。海外文学の翻訳では、作品の終わりに続いて、訳者による解説が載ることがよくあります。もちろん本作は、それそのものでエンタメ小説として楽しむことができます。ただ、お読みいただくとわかるように、物語のそこかしこに、タイの社会・政治・歴史的な文脈を理解していないとわかりにくい部分も見られます。以下では、本作の訳者解説あるいは副読エッセイとして、もう半歩くらい踏み込んだ作品の読み解き方を、ぼくなりに書いてみようと思います。『テディベア』を読まれた方も、これから読まれる方も、楽しんでいただければ幸いです。

 

『The Miracle of Teddy Bear』ってどんな本?

 本作は、タイの作家 Prapt(プラープ/ปราปต์)が2019年に発表した作品です。タイ語の原題は “คุณหมีปาฏิหาริย์”(クン・ミー・パーティハーン)というタイトルで、直訳すると「奇跡のクマさん」くらいになるでしょうか。日本では原作の翻訳もドラマの配信も、英語タイトルの『The Miracle of Teddy Bear』が使われていますが、厳密に比べると「奇跡のクマさん」と「クマさんの奇跡」と、焦点の当て方が若干違うのがわかると思います。

 本作は、タイの大手出版社Satapornbooks(サターポーン・ブックス/สถาพรบุ๊คส์)の、BL小説レーベル専門版元 Deep によって出版されました。そののちに、タイの大手テレビ局チャンネル3の制作でドラマ化されて、2022年に放送されています。

 ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、改めて作品のあらすじを見てみましょう。

バンコク郊外の一軒家で母のマタナーと暮らす、脚本家のナット。家に置かれた「物」たちとともにその生活を静かに見守っていたクマのぬいぐるみのタオフーだが、ある日突然、人間になってしまう。訳もわからず人間として過ごすハメになったタオフーのほうはもちろん大混乱だが、突然現れて、記憶喪失を訴える謎の男の存在に、ナットも警戒感をむき出しにする。一方の母のマタナーは、タオフーを「星の王子さま」と呼び、なぜか喜んで家に住まわせる。タオフーは、ナットに受け入れてもらおうと、家の「物」たちの協力を仰ぎながら、人間になってしまった由来と、ぬいぐるみに戻る方法を探そうとする。

 ファンタジー感の溢れる導入ののち、ナットとタオフーがだんだんと親密になっていくというのが、本作のBL的展開です。しかしほんわかしたお話が進んでいくうちに、ナットとマタナーの家族が抱える過去が徐々に明らかになっていきます。その過去がタオフー誕生の秘密と結びついたときに、ある事件の全容と、タイ社会の持つ闇の部分が見えるようになっていく……BLとしても、家族小説としても、ミステリーとしても楽しむことができる、複層的な構造の物語になっているのです。

  

物語を支配しているのは誰か?

 そんな風にさまざまな物語が重なる作品ですが、通底するテーマは「誰が物語を/『正しさ』を支配するのか?」ということではないかと思っています。

 単純なところから見てみましょう。作品を読み進めると、誰かが語ったり記憶したりしている「事実」が、他の誰かの語りや記憶によって覆されていく、という展開が繰り返されます。そのたびにタオフーは驚き、傷つき、新しい事実を受け入れていきます。「正しさ」として提示される事実が何度もゆらぐことで、人は悲しみ、時に狂いもします。しかしそのゆらぎが、奇跡のきっかけになりもする。そんな大きな波のようなものに巻き込まれていくタオフーですが、最後には、自分たちの物語を、自分たちの「正しさ」を描くのは自分たち自身なのだという結論にいたり、大きな決断をすることになります。

 ナットが過去のトラウマを乗り越えて、自己肯定感を取り戻し、成長していくさまも見どころです。彼もまた、誰かが支配する「正しい」物語のもとで「異常」な人間だとみなされて、深く傷ついています。そんな抑圧を与えるのは、父で軍人のシップムーンであり、あるいは母のマタナーであり、あるいは粉飾された「性的多様性」を称揚するタイ社会でもありました。BLドラマブームの中で自身もBLの脚本を書くことになったナットの言葉に、怒りがのぞきます。

 そいつら(BLドラマの鑑賞者・制作者)が大量に男と男のラブストーリーを作って、この国は次のレベルまでセクシュアリティの受容が進んでるって主張する。そのくせ、自分が好きなキャラクターに対して、〈ゲイ〉って言葉を使おうとすらしやがらねえ。それは、新しい物語を生み出して、別のおかしな信仰を育て上げてるのとなにも変わらない。そんな不寛容、もとからあった抑圧の方法論となにが違うんだよ。

(下巻・210ページ) 

 日本でも「タイは性的マイノリティに寛容」とのイメージは流通しています。タイ政府としてもLGBTQツーリズムをインバウンド観光の目玉のひとつとして打ち出したりすることで、そのイメージを積極的に利用しています。しかし実態では、「寛容」を謳うのであれば認められてしかるべき基本的な権利である同性婚すら、法整備の議論が進んでいないという状況です。

 また、多くはトランスジェンダー/トランスセクシュアル女性を指す「カトゥーイ」と呼ばれる人々が、タイの性的多様性の象徴かのように扱われることもあります。ですが、それもメディアや共同体において「道化」の役割を果たしている場合に限っての「条件付き承認」といった側面が強いでしょう。それ以外の性的マイノリティの人々に関していえば、存在こそ認知はされつつも、いまだに差別的言動にさらされることもあるといった状況で、とても華やかな多様性の国などとは呼べないのではないでしょうか。

 そうした現状において、BLドラマが「ソフトパワー」などといったフォーマットのもとに輸出された上で、表面的な「性的多様性」のイメージを再生産していることは、ゲイ男性としての抑圧を強く感じて生きてきたナットにとって許容しがたいことなのです。それゆえに自身はそのステレオタイプから脱するようなドラマの脚本を書こうと努力しているし、そのナットの意思が『テディベア』という作品に与えられたメタメッセージとしても働いているのです。

 

タイ社会の「父」

なるほど、社会派ミステリーであり、ゲイ青年のビルドゥングスロマンでもあるんだねと感じられる方もいるかもしれません。もちろんそういう側面はあるのですが、物語や正しさの支配について問うというのは、タイ社会においてとても強い政治的な批評性を持つということも、少し指摘しておきたいと思います。

 19世紀から20世紀を通じてタイという国が続けてきたのは、多様な民族や文化が集まり、さまざまな国際関係のはざまに置かれた場所に、どうやって「正しいタイ人」を生み出すかという、国民統合と国家創出の試みでした。そのよりどころとされたのが「タイの原理」とも呼ばれ、国旗の赤・白・青がそれぞれ示す民族・宗教(仏教)・国王という3つの要素です。

国旗、王室旗などを販売する商店。前国王ラーマ9世の御真影も飾られている。
2013年撮影

 このうち「国王」には、特に第二次世界大戦後から、時の国王ラーマ9世(在位1946-2016年)のカリスマ的な人気もあり、「国父」としての象徴的な意味と権威が与えられるようになります。強い力と愛を持つ「父」である国王のもとに「子」たる国民が暮らすタイという、想像上の家族関係のもとに国のかたちが規定されていきました。「父」や「タイの原理」に対して忠順たれ、さすれば正しいタイ人として認めよう、というわけですね。

 しかしもちろん、「正しい」タイ人が規定されれば、そこに「正しくない」タイ人も規定されます。「国民」が生まれれば「非国民」も生まれるのです。タイの歴史において、国が提示する統治のあり方に逆らう人々は、容赦なく弾圧されてきました。王室と軍が強く結びつくようになった現代では、その抑圧の方法も、より暴力的なものになっていきます。

 権力を持つ者や大きな「父」が物語=歴史の正しいあり方を決めてきたタイ社会。そんな場所で、小さな人々の語りによってお仕着せの正しさを覆そうとしたり、「父」や家父長制の権力に疑問を投げかけたりしているのが『The Miracle of Teddy Bear』だとも言えるわけです。

 

目次の謎、112ページの謎

 そんな問題意識を作品に投影するギミックとして働いているのが、読まれた方の多くが「?」となる、謎の章タイトルの数々です。上巻第1章の「タイ人はアルタイからやってきた」に始まり、下巻特別章の「第二次世界大戦の戦勝国タイ」に至るまで、一見まったく内容と関係なく見える章題が、目次に並んでいます。

「The Miracle of Teddy Bear 上」目次

 これらはどれも、先述したような政府権力による市民の弾圧事件や、タイの「正しい」歴史や物語として提示されていながら、その実態について議論が続いているエピソードを示しています。もちろんただランダムに並べられているわけではなく、若干ではありますが、各章のタイトルと内容がリンクするようになっています。目次そのものが「正しさ」への問いとしても働いていると言ってもいいのかもしれません。この文章の最後に、それぞれの章タイトルの簡単な解説を入れておきますね。

 そしてもうひとつ。作中ではたびたび、ある登場人物の持っている本が、特定のページから進まないという描写が登場します。漢字で「百十二」と表記されているのでイメージが湧きにくくなっているのですが、この「112」という数字にも意味が与えられています。

 タイには、「王室不敬罪」とも呼ばれる刑法112条が存在します。20世紀の初頭から、何度か形を変えて(厳罰化されて)残る王室不敬罪の現行の条文には、以下のように記されています。「国王、王妃、王位継承者あるいは摂政を中傷・侮辱し、あるいは敵意を示す者は、3年から15年の禁錮刑に処する」。 罪とされる具体的な行為内容も示されていない、曖昧な文です。

 しかしその曖昧さゆえに、タイ社会が王室をめぐって分断された2000年代から 、王室改革を訴える若者たちによる民主化運動が盛り上がった現在まで、ある意味「最強」の政治的武器として濫用されています。SNSでの投稿、デモでの発言とパフォーマンス、書籍の文章からアート作品まで、さまざまな言動が「不敬」とみなされて取り締まられています。特定の枠組みに入らない者=「父」への敬愛を示さない者を「非国民」であると断罪するこの法律によって、多くの活動家や大学生が逮捕され、裁判にかけられ、投獄され、国外に亡命し、時には命を落とすまでに至っています。

「今、百十二ページは、さながら最後の扉になっている」(下巻・262ページ)というタオフーの実感は、本作の物語において、ある隠された事実が暴かれる瞬間のものです。けれども同時に、百十二ページは、現代のタイ社会における「最後の扉」でもあるのかもしれません。物語や「正しさ」の支配に疑問を抱いてなにかを変えようとしても、表現の自由を制限して、政治や社会の構造の根本にあるものへの批判を禁じてしまう扉。現状では、「不敬罪の改正を唱えること自体が不敬である」というロジックによって、法律の改正すら阻まれています。 そんな1ページをめくって物語を進めていこうとするタオフーやナットたちの行動には、実はとても重い意味が含まれているのです。

 

原文からの変更点

 編集作業においては、これまで海外文学の翻訳をしてきた福冨の信念と、BL小説の編集を続けられてきた編集Sさんの信念とのあいだで、やや激しい戦いも発生しました。と書くと、殺伐とした雰囲気が想像されてしまうかもしれませんが、ぼくにとっては、BL小説としてはもちろん「多くの人に読んでもらうための」文章を作るという作業と向き合う、とてもクリエイティブな時間になりました。Sさんには心から感謝しています。

 さてその上で、今回の日本語訳版では、いずれも著者の Prapt から承諾を得て、編集の過程でいくつか原文から変更したり、カットしたりしたところがあります。具体的には以下のような部分です。

 まずは改行。タイ語原文は段落あたりのボリュームがかなりあるのですが、BL小説としての読みやすさに欠けるとの意見を受けて、かなり改行を増やしています。改行を変えるというのはかなりセンシティブな作業でもあるのですが、結果的に物語のテンポはよくなったと思います。

 続いて登場人物の呼称と人称です。タイ語の原文では、たとえばタオフーについて「クマさん」(คุณหมี)や「われらがクマさん」(คุณหมีของเรา)や「彼」(เขา)といった呼び替えが頻出しています。これらを忠実に訳出するとかえって読者の混乱を招き、没入感を削ぐとの判断から、同一の登場人物については、ある程度、統一した呼称を使用するようにしています。

 余談ですが、「ナットくん」や「ケーンくん」については、いずれも比較的年齢の近い年上の人に呼びかける「ピー」(พี่)という言葉をつけた「ピー・ナット」(พี่ณัฐ)や「ピー・ケーン」(พี่เกณฑ์)からの訳出です。「ピー」をどう訳すかというのはタイ語翻訳・通訳における永遠の課題なのですが、よくある「さん」「兄さん」「ピー」ではいずれもタオフーの無邪気さとは合わないと考えて、年上の人間に対する親しみと愛情のこもった「くん」で統一することにしました。そんなつもりで読んでいただければ幸いです。

 もうひとつは歌です。本文中で何度か、だれかが歌をうたっていたり、ハミングをしていたり、カーオーディオや店のスピーカーから曲が流れたりする場面があります。タイ語原文ではこれらのパートにいくつかの楽曲の歌詞が引用されていたのですが、権利の関係でカットされています。読まれる際にはぜひ、下記の曲を頭の中で補ってみてください。

1)タオフー、ナット、ターターンに関連するパート
ジョン・デンバー「悲しみのジェット・プレーン」(Leaving on a Jet Plane)

2)マタナーに関連するパート、カラオケ店
チャートリー(ชาตรี)「心の契り」(สัญญาใจ)
*動画はチャートリーのボーカリスト、ナラーティップ・カーンチャナワットのソロバージョン

3)チェンマイのレストラン
チャラン・マノーペット(จรัล มโนเพชร)「おねえさん」(พี่สาวครับ)


タイのさまざまな言葉

 最後になりますが、文体について少しだけ。タイ語の原文は基本的に標準タイ語で書かれています。ただ、いくつかのキャラクターについては、出自ごとにやや異なる言葉を使っています。チェアさんの東北タイ語、チェンマイのお茶屋の店員の北タイ語、ジュース屋のクッションさんの潮州語混じりのタイ語などです。

http://www.aquanotes.com/asia/thai.html

 当初は、地方の言葉だからといって日本の地方の言葉にそのまま置き換えるべきではないと考えて、いろいろとひねった訳文を作ってみたのですが、端的に意図の読み取れない文章ができあがって、編集Sさんに赤字を入れられまくってしまいました。

 実際には、一様な「東北タイ語」や「北タイ語」といったものが存在するわけではありません。地域や話者によっても、発音(声調)や語彙にかなり違いがあります。ただ、バンコクを中心に話される標準タイ語から見たときのイメージや距離感で考えると、東北のものは地方/田舎の「なまった」言葉としてみなされる一方、北部のものは同じように方言の範疇に収められつつも、もう少し上品なものとしてみなされています。それぞれの地方の人々に対しても、言語とあわせてある種のステレオタイプが構築されています。

 なおまったく個人的な意見ですが、標準タイ語を勉強している身からすると、なんとなく東北の言葉のほうが語彙や声調にも近いものがあって理解できる気になったりします。その一方、北タイのほうはずいぶんと標準語から遠くてわかりにくいような、そんな風に感じることが多いです(一応どれも同じ語族に属している言語なのですが)。

 本作のキャラクターたちの描写には、そんな戯画化されたステレオタイプも投影されていると考えて、最終的にはかなり単純に、日本の地方の言葉を想起させる文体にしたり、カタカナを多用したり、元の漢字がたどれるものは漢字とルビをあわせて使ってみたりしました。

 そうした役割語の観点でいうと、マタナーやチャンといった登場人物たちの語り口は、かなり「女性的」とみなされるものが採用されているかと思います。これについては、そもそもタイ語の語彙における男女のジェンダーバイナリーが比較的強固であるということに加え、先述のキャラクター描写の観点から、ある程度は意図的に選択している部分もあります。

 

 すっかり長くなってしまいましたが、この文章が『The Miracle of Teddy Bear』をいろいろな角度から読んでいくための橋渡しになれば幸いです。ボリュームのある作品ですが、みなさんの読書体験が、クマさんと一緒に、人間という存在の複雑さ、罪深さ、優しさに触れられる機会になるといいなと、訳者の立場から思っています。またどこかで。

 

謝辞

 本書の編集過程においては、編集Sさんの的確で鋭い数々のコメントのおかげで、本当に読みやすい訳文ができあがったと思っています(そして翻訳やゲラ作業の遅れで多大なご迷惑をおかけしたことを、お詫びいたします……)。またお名前は挙げませんが、訳稿の最初のバージョンができあがった段階で、ある方に原文と訳文の一部読み比べとコメントをお願いしました。個人的にしっくり来ていなかった点などにも意見をいただき、とても助かりました。改めてみなさんに、記して感謝いたします。


 

おまけ:章タイトルの解説(タイ文字は原題)

01 タイ人はアルタイからやってきた/มาจากอัลไต
タイ系民族はもともとアルタイ山脈の近辺から移動してきたという説があるが、今では、現在の中国南部から南下してきたとの説が有力。

02 残忍なる国王オークルアン・ソーラサック/ความเหี้ยมโหดของออกหลวงสรศักดิ์
18世紀初頭にアユッタヤーを治めた国王。気性の荒さと性への貪婪さが言い伝えられており、「トラ王」(プラチャオ・スア/พระเจ้าเสือ)と呼ばれたとも。

 03 アユッタヤーの才媛ノッパマート女史/นางนพมาศ
スコータイ王朝時代に、現在まで続く灯籠流しの祭りローイクラトン(ลอยกระทง)で使う灯籠を考案したとも言われているが、その存在自体に疑問が呈されている(そしてここを書いていて大きな誤植に気がついてしまいましたが、正しくは「スコータイの才媛」となるべきでした……自分でタイトルを補ったゆえのミスです)。

 04 バーン・ラチャン、国を守る戦い/บางระจัน
現在のタイ中部シンブリー県にある地域。18世紀後半にビルマの軍が侵攻してきた際に、当時のバーン・ラチャンの村人たちの決死の抵抗によって、敵軍の侵攻を遅らせたとの伝承がある。

05 統治体制変革のための計画概要/ร่างเค้าโครงการเปลี่ยนรูปการปกครอง
1932年6月24日、欧州に留学中だった文民・軍人を中心に結成された秘密結社「人民党」が起こした立憲革命によって、タイの絶対王政の時代は終焉を迎え、憲法のもとでの議会政治が導入されることになる。革命に先立つ形で、各方面で、それぞれの思惑に基づくいくつかの憲法案が起草された。

06 追放された詩聖シープラート/ศรีปราชญ์
アユッタヤー王朝時代の宮廷に仕えた詩人とされている人物。王の妃との不貞を疑われて追放され、客死したとされている。本人の作とされる詩も伝わっているが、実在が疑われている。

07 植民地になったことがない国/ไม่เคยเป็นเมืองขึ้น
19世紀から20世紀にかけてフランスとイギリスが進めた東南アジア大陸部の植民地化において、「緩衝地」とされたタイは、領土を割譲したのみで、植民地化を免れた。これをもって「タイは植民地化されたことがない」と喧伝されるが、実際は文化的・政治的に半植民地の状態であったとの指摘が数多くある。

08 団結を失った二度目の王都陥落/เสียกรุงครั้งที่ 2 เพราะขาดสามัคคี
1351年に成立したとされるアユッタヤー王朝は、1569年に1度隣国ビルマの属国となったのちに独立を果たす。だが1767年に再度ビルマ軍の侵攻に陥落し、王朝が崩壊する。「団結」(サーマッキー/สามัคคี)は、現代のタイ社会でも、大きな流れへの同調や迎合を求めるときに頻繁に使われる言葉。

09 王宮の隠し財宝を狙う盗賊/หัวขโมยกรุสมบัติ
1950年代、アユッタヤー王朝の遺跡のひとつである寺院ワット・ラーチャブーラナに忍び込んだ盗賊たちが、地下室で金の仏像や装飾品などを大量に発見した。犯人たちはすぐに逮捕されたが「アユッタヤーのナレースワン大王の財宝発見か」などと大きなニュースになった。盗賊たちはその後発狂したとも言われている。

10 ビルマ軍に奪われたテープ・カサットリー王女/พระเทพกษัตรีย์ถูกชิงองค์
16世紀後半にアユッタヤーを治めたチャックラパット王の王女。ビルマとの戦での協力を得るため、ヴィエンチャン(現ラオス)国王の妃として下賜されたが、それを知ったビルマ軍に略奪されたとも伝えられている。

11 東北タイ、ピー・ブンの反乱/ผีบุญ
主に20世紀初頭、東北タイで起こった千年王国運動。特殊能力を持つとされる行者たちを中心に、苦しい生活からの解放を求める人々が集まったが、中央政府への反乱運動として鎮圧された。運動の指導者たちは自らを「プー・ミー・ブン/ผู้มีบุญ/徳を持つ者」と自称していたが、体制側によって「ピー・ブン/ผีบุญ/徳の霊」と呼び替えられた。

12 ラーマ四世が創作した第一の碑文/ศิลาจารึกหลักที่ 1 สร้างโดย ร. 4
タイ史上最高の王ともされる、スコータイ王朝のラームカムヘーン大王が13世紀に作成したとされる碑文。タイ語で書かれた最古の文献とも言われているが、19世紀に国王ラーマ4世が創作したものだという説もある。

13 真の民主主義のためのクーデター/รัฐประหารเพื่อประชาธิปไตยอย่างแท้จริง
民主的な選挙によって成立した政権が軍事クーデターで倒される際に、軍やクーデターの支持者がたびたび用いるフレーズ。 

14 スコータイこそタイの最初の王都/สุโขทัยคือราชธานีแห่งแรก
タイの「国史」においては、13世紀に成立したスコータイ王朝、その後のアユッタヤー王朝、そして現チャックリー王朝の3つの王朝をもって、国家の歴史的正統性が語られる。ただスコータイは数多くあった小さなくにのひとつに過ぎず、王国と呼べるほどの大きな影響力は持たなかったとの批判もある。

15 深南部パタニの英雄ハジ・スロン/หะยีสุหลง
現在のタイ深南部にかつてパタニと呼ばれるイスラーム王国が存在した。タイに併合されたこの地域は、20世紀初頭にイギリスとタイのあいだで結ばれた条約をうけて、最終的にタイとマレーシアの県として分割・統合された。ハジ・スロンはこの地域のウラマー(宗教指導者)で、1947年に、マレー系ムスリムの権利を守るための要求をタイ政府に提示する。結果として彼は投獄され、民衆による暴動が起こる。1954年に一度釈放されるが、その後、息子とともに行方不明になっており、政府の手による暗殺が疑われている。

16 ソーン・コーン村の殉教者たち/มรณสักขีแห่งสองคอน
1940年に発生したタイとフランス領インドシナの国境紛争を受けて、国内のキリスト教徒がフランス側のスパイであると疑われ、迫害を受けるようになった。同年12月、東北タイのナコーンパノム県ソーン・コーン村のキリスト教徒7名が警察に射殺される。この7名は、1989年にローマ教皇によって「福者」に認定されている。

17 純血のタイ民族/ไทยคือเชื้อสายบริสุทธิ์
どこの国でも同じように、国家や民族の歴史的正統性を主張するために、混血性を否定し、自らの純血を訴えることがある。タイにおいても、こういった表現を用いて「タイ人」とみなされる人々や王族の正統性や純血性を強調することがある。

18 10月6日の学生たちを殺めた人々/ผุ้สังหารนักศึกษา 6 ตุลา
1976年10月6日早朝、バンコクのタマサート大学で、警察と右派の市民団体が、反王室の共産主義者であると糾弾された大学生たちを暴行・虐殺した。学生たちの死体は容赦なく凌辱され、その残酷さからも、タイ史上最悪の虐殺事件に数えられる。しかし殺害に関わった人々は一切罪に問われておらず、事件の被害者や犠牲者遺族は、40年以上のあいだ沈黙を強いられている。

19 真なるタイの味/รสไทยแท้
世界的にも人気のあるタイ料理のプロモーションにおいて、その味の真正性や正統性が主張されることがままある。ただ、現在タイ料理として広く認識されているもののほとんどは、元をたどれば、中華系やラーオ族の料理や調理方法の影響を強く受けてできあがっている。

20 エーカタット王の弱さ/ความอ่อนแอของพระเจ้าเอกทัศน์
アユッタヤー王朝最後の王。国内の権力争いに明け暮れる一方、ビルマ軍の侵攻に対しては無策で、敵軍に捕らえられ、部下に見捨てられ、命を落とし、国を破滅に導いた「弱い」王だと伝えられている。

21 デモ参加者の本当の数/จำนวนผู้ชุมนุม
デモ主催側は、自分たちの規模を大きく見せようとする。一方の体制側は、数を少なく見積もって、その影響力をないものにしようとすることもあれば、弾圧を正当化するために、あえて規模を大きく見積もることもある。

22 赤いドラム缶で燃やされた人々/ถังแดง
1971年から1972年にかけて、タイ全土で赤狩りが激化した。南タイのパッタルン県などでは、軍人が、共産主義者と疑われた一般市民をドラム缶の中に入れて、生きたまま燃やすという事件が何度か起こったと言われている。

23 バーン・プラカノーンのナーク嬢/อำแดงนากแห่งบางพระโขนง
タイで最も有名な幽霊のひとり。現在のバンコク、プラカノーンに住んでいた夫婦のうちの夫が、徴兵で家を空ける。そのあいだに、待っていた妻のナークが、お腹の子どもとともに亡くなってしまう。だが未練を残す彼女は霊として夫を家で待ち、帰宅した夫も、妻が生きているものと信じ込む。19世紀に実在した夫婦のエピソードが元になっているとも言われている。

24 プレーの国、シャン族の乱/เงี้ยวเมืองแพร่
19世紀末から20世紀初頭にかけて、現在の北タイ、プレー県で、中央政府の統治に反感を抱くシャン族の人々による暴動が何度か起こり、いずれも鎮圧された。最も規模が大きかったとされるのは、1902年のもの。

25 クーデター後を統治する、国家平和秩序協議会/คณะรักษาความสงบแห่งชาติ
クーデターを起こした軍人たちが「平和」や「秩序」の名のついた団体を結成して、クーデター後の統治をおこなうことがある。「国家平和秩序協議会」は、2014年の軍事クーデター後に権力を握った軍人の集団。

26 カオ・プラ・ウィハーン/プレア・ヴィヒア/เขาพระวิหาร
タイとカンボジアの国境上にあるヒンドゥー教寺院。カンボジアの世界遺産にも登録されているが、長年に渡ってタイとカンボジアでその帰属を争ってきており、両国が軍を派遣した武力衝突も発生している。2013年の国際司法裁判所の判決で、寺院はカンボジアへの帰属が認められた。原文はタイ語名称の「カオ・プラ・ウィハーン」が使用されているが、翻訳に際してクメール語名称の「プレア・ヴィヒア」も補った。

27 ブンサノーン博士の暗殺/ดร. บุญสนอง
ブンサノーン・ブンヨータヤーンは、1971年にアメリカのコーネル大学で博士号を取得したのち、タマサート大学で教鞭をとっていた。1974年にタイ社会党の事務局長となるが、1976年2月、激化する左右対立の中、自宅近くで何者かに射殺される。

28 古のタイ婦人たちの貞節/ความรักนวลของหญิงไทยโบราณ
アユッタヤー王朝の時代から、宮廷の女性たちは貞節を尽くしていたとも伝えられているが、古典文学などには放埒な性のエピソードが溢れているし、純潔や貞節の感覚は、近代以降に西洋的な価値意識とともに根付いたものではないかとの説もある。

29 象を用いる戦/ยุทธหัตถี
アユッタヤーは、1569年からビルマの属国となっていた。だが1584年に、時のナレースワン大王のもとで、ビルマとの独立戦争が勃発する。この「騎象戦」によって、アユッタヤーは再び独立を勝ち得たとされている。

30 バーン・ナー・サーイ村の焼き討ち/บ้านนาทราย
1974年、東北タイのノーンカーイ県バーン・ナー・サーイ村で、政府の治安維持部隊と村に潜伏していた共産主義勢力の衝突があり、複数の死者と家屋への損害があったと発表された。しかし住民の証言によると、実際には「衝突」はなく、突然現れた政府部隊が、無差別に家屋を焼き討ちしていったとされている。

特別章 第二次世界大戦の戦勝国タイ/ไทยเป็นฝ่ายชนะสงครามโลกครั้งที่ 2
第二次世界大戦において、タイは当初、プレーク・ピブーンソンクラーム首相のもと英米に宣戦布告をおこない、枢軸国側として参戦した。だが、摂政の座にあったプリーディー・パノムヨンを中心として、「自由タイ運動」とも呼ばれる抗日運動がタイ国内と英米で展開された。この結果、終戦直後にプリーディーが宣戦布告の無効を宣言し、タイは敗戦国化を免れた。ただ戦後はすぐにアメリカを中心とした冷戦構造の中に取り込まれていくこともあり、非敗戦国すなわち戦勝国とみなせるかどうかについては、かなり疑わしいとされる。

*なおアユッタヤー朝についての記述の一部は、下記の書籍の記述を参考にしています。
チャーンウィット・カセートシリ編『アユタヤ』吉川利治編訳、タイ国トヨタ財団、人文社会科学教科書振興財団、2007年。


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