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【試し読み】柴田哲孝による正統派ノンストップ・サスペンス『ジミー・ハワードのジッポー』

大藪春彦賞受賞作家・柴田哲孝さんの書き下ろし長編小説が、U-NEXTオリジナルとして配信・販売開始されました。
ベトナム戦争を題材にした新作の取材で現地を訪れた小説家が、戦時中に米兵の所有していたらしいひとつのジッポーライターを手に入れてから次々に不気味なことが起こり、やがてアメリカで殺人事件が発生する──というなんともスケールの大きいストーリーです。本作のインスピレーションは、柴田さんがベトナムへ取材に行かれたときに入手された本物のベトナムジッポーだったそうです。
今回は特別に、冒頭の物語を【試し読み】として公開いたします。ぜひお楽しみください。


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■著者紹介

柴田哲孝(しばた・てつたか)
1957年、東京都出身。日本大学芸術学部写真学科中退。フリーのカメラマンから作家に転身し、現在はフィクションとノンフィクションの両分野で広く活躍する。パリ〜ダカールラリーにプライベートで2回出場し、1990年にはドライバーとして完走。1991年『KAPPA』で小説家デビュー。2006年、『下山事件 最後の証言』で第59回「日本推理作家協会賞・評論その他の部門」と第24回日本冒険小説協会大賞(実録賞)をダブル受賞。2007年、『TENGU』で第9回大藪春彦賞を受賞し、ベストセラー作家となった。他の著書に『DANCER』『GEQ』『デッドエンド』『WOLF』『下山事件 暗殺者たちの夏』『クズリ』『野守虫』『五十六 ISOROKU異聞・真珠湾攻撃』『ミッドナイト』『幕末紀』など、多数。


■あらすじ

2019年7月、小説家の桑島洋介はベトナム戦争を題材に新作を書こうと思い立ち、取材のため彼の国を訪れた。ベトナム人女性で、旧知の新聞記者ホアン・タオにホーチミン市内を案内してもらった折に、戦時中に米兵が所有していたらしいひとつのジッポーを、桑島は手に入れた。約50年前、激戦地で任務に就いていた兵士の名は「JIMMY HOWARD」と刻まれている。俄然、興味が湧いた桑島が調査に乗り出すと、次々に意外な事実が明らかになり、やがてアメリカで殺人事件が発生する。いまだ癒えぬ戦争の影と米軍の闇を暴く正統派ノンストップ・サスペンス‼


■本文


一九六八年一月 クアンチ

ジャングルは〝糞〟だ。

蒸し風呂に入っているような暑さと湿気……。

汗の臭いを嗅ぎ付けて集まってくる虫の羽音と痒み……。

毒々しいまでの緑の中に仕掛けられた〝まぬけ〟な罠と、パームツリーに同化して息を潜める〝我鬼〟の群……。

もしこの世に地獄と呼ぶに相応しい場所があるとするならば、このベトナムのジャングルをおいて他にない。

かつて詩人、ランボオはいった。

──地獄の責苦に終りはないとすれば。みずから不具をねがうとは、まさしく奈落の男じゃないか。俺は自分が地獄にいると信じている、だから俺は地獄にいる。

違う。奴は、本当の地獄など見ていない。

ジミー・ハワード二等軍曹はM113装甲兵員輸送車に揺られ、ケサン基地からジャングルの中を北西に向かっていた。すでに南北ベトナム間の非武装地帯から、五キロ近くデスゾーンに入っている。いつジャングルの中から北ベトナム軍の兵士が出てきても、おかしくない。

キャタピラーが〝たこつぼ〟(塹壕)を踏んで、鉄の箱が大きく揺れた。

「糞……。頭をぶつけたぜ……。お袋が産む時に歪めた俺の頭の形が、もっと悪くなる……。このポンコツめ……」

兵員輸送車に詰め込まれた小隊九人の中の一人、アレックス・ケリーが悪態をついた。

「そうか。元より形が良くなったように見えるぜ」

セサル・ロドリゲスがそういってからかうと、皆が笑った。

実際にこのポンコツ──M113装甲兵員輸送車──は、忌々しい代物だった。車内はオーブンの中のように暑く、狭苦しくて、それでいて装甲板は薄い。しかもエンジン音がやかましく、すぐに故障する。

いま、二台のM113に二一人の小隊が分乗し、連なって走っているが、北ベトナム軍の中隊には恰好の獲物だろう。襲われればひとたまりもない。グークどもは我々米軍より強力なソビエト製のAK47アサルトライフルで武装し、RPG2ロケットランチャー、B―10無反動砲など何でも持っている。

第四七歩兵連隊の命令は、きわめて端的だった。

──八八一高地(881A)の東南東七・二キロの地点に、北ベトナム軍の補給基地らしき村を発見。第二六小隊はロバート・コリンズ曹長以下二一人をもってこの村を偵察し、事実関係を確認。北ベトナム軍の兵士がいればこれを殲滅し、村と物資を焼き払うこと──。

このような情報はガセネタであることが多い。指定された現場に行っても村などなかったり、あったとしても何年も前に廃村になっていたりする。北ベトナム軍ではなく、ただ何家族かの農民が住んでいるだけの普通の集落の場合もある。

「もうそろそろじゃないか。デスゾーンに入ってから、だいぶ来てるぜ……」

ジミーの正面に座るライアン・デイビス一等兵がハッチから首を出していった。

「そうだな……。あたりのジャングルが、デフォリアント(枯葉剤)でだいぶ焼けてきている……」

ジミーはそういって、愛用のM16自動小銃の弾倉を確認した。もしもの時に自分の命を救ってくれるのは、こいつから発射する223口径の小さな弾だけだ。

「とにかく〝仕事〟を早く終えて、基地に帰りてえや。生きて帰ったら今夜はビールを五本飲んで、カンボジアン・レッド(大麻)をたっぷり決めてハイになってやる……」

ライアンがそういって笑った。

そうだ。基地に帰ればビールでもカンボジアン・レッドでもヘロインでも、何でもござれだ。だが、すべての任務は、それを達成するよりも無事に生きて帰ることの方が難しい……。

M113装甲兵員輸送車が突然、咳き込むようにぎくしゃくして止まった。

「どうした。また壊れたのか」

兵員室の一番前に乗っているロバート・コリンズ曹長が、運転席に身を乗り出して訊いた。

「いえ……。曹長殿、前方のジャングルの中に、村のようなものが見えます……。あれじゃないですかね……」

運転手のトム・ベイリー一等兵が天井の丸いハッチの窓から外を眺めながらいった。

「距離は?」

コリンズ曹長が訊いた。

「距離七〇から八〇ヤード。椰子の葉の小屋のようなものが五つ。手前に〝たこつぼ〟らしきものがいくつか……」

ベイリーが答えた。

「人はいるか」

「いえ、見えません……」

「よし、ロドリゲス。お前はセンターハッチを開けて銃座に着け。ベイリー、あと三〇ヤード前に進めてそこで停めろ」

コリンズ曹長が命令した。

二人が、指示どおりに動いた。ロドリゲスはセンターハッチを開けて屋根の上に備え付けられたブローニングM2重機関銃のチャージングハンドルを引いた。ベイリーはいわれたとおりにM113装甲兵員輸送車を三〇ヤードほど前に進め、またぎくしゃくしてそこで止まった。

「よし、ここでいい。全員、外に出ろ」

コリンズの命令で後部のメインハッチが開けられ、残る全員が屋根の上に出た。ジミー・ハワードも二番目にハッチを出て、ジャングルのぬかるみの上に飛び下りた。

ジミーは外に出てまずポケットの中のマールボロを一本くわえ、愛用のジッポーのライターで火をつけた。

煙を、胸に吸い込む。この魔術をかけたジッポーで火をつけたタバコを吸えば、敵の弾は体に当らない……。

「全員、前進!」

二台のM113から降り立った一二人の歩兵がジャングルに散開し、村へと進んだ。

だが、荒れた村だ。周囲のジャングルはデフォリアントで黒く腐っている。小屋は傾き、人の気配はない……。

だが、その時、〝たこつぼ〟の中で何かが動いた。

「北ベトナム軍だ! 撃て!」

ベイリーが叫ぶと同時に、ロドリゲスが兵員輸送車の上からM2重機関銃をぶっ放した。

他の兵も腐ったジャングルの中に身を伏せ、M16自動小銃を乱射した。

「やめろ! あれは北ベトナム軍じゃない! 農民だ!」

ジミーが叫んだ。

だが、その声は銃声の轟音に搔き消された。

ライアン・デイビスが銃弾の中を走り、〝たこつぼ〟の中にM26手榴弾を投げ込んだ。次の瞬間、ジャングルにくぐもった爆発音が響いた。

椰子の葉を被せた穴の中で、女や子供の体が吹き飛ぶのが見えた。

やっちまった……。

「やめろ! 撃つのをやめるんだ!」

コリンズが止めた。やっと、銃声が止んだ。

「お前ら、何をやってんだ! 農民だといったじゃないか!」

ジミーが振り返り、銜えていたタバコを泥に叩きつけた。

「聞こえやしねえよ! 北ベトナム軍にだって、ビッチの兵隊はいるだろう!」

「子供がいたじゃないか!」

「わかるもんか! グークを殺したくらいでガタつくんじゃねえよこのチキンが!」

「お前ら、やめろ! この小隊の指揮官は俺だぞ! 勝手なことで揉めるな!」

コリンズ曹長が争うジミー・ハワードとアレックス・ケリーの間に入り、二人の胸を突き飛ばした。

そして、いった。

「ジミー、それにアレックス、あの〝たこつぼ〟に行って中を見てこい。他の奴らは、俺についてこい。後ろの小屋を確かめる」

「わかったよ。行くぞアレックス……」

ジミーはM16を腰に構え、〝たこつぼ〟に向かった。

「糞ったれめ……。何てこった……」

アレックスが悪態をつきながら、後ろからついてきた。

〝たこつぼ〟の前に手榴弾を投げ込んだライアンが立ち、中を覗き込んでいた。

「どんな具合だ」

ジミー・ハワードが訊いた。

ライアンが振り返り、自分の喉元を手で搔き切る仕種をした。

ジミーも〝たこつぼ〟の中を覗いた。

目を背けたくなった。泥の穴の中に生のハンバーガーのミンチをぶちまけたような、酷い有様だった。

女が三人に、子供が二人。老人が一人と、子豚が二匹……。

思ったとおりだ。大人の男は、一人もいない。武器もなかった。

まだ、生きている女がいた。飛び出したはらわたを手で押えながら、怯えた目で穴の外を見上げている。

M16の、乾いた銃声が二発。女の体が崩れるように泥水に沈んだ。

「アレックス! 何をしやがる!」

ジミーが、女を撃ったアレックスの胸ぐらを摑んだ。

その腕を、アレックスが払った。

「ジミー、冷静になれよ。その女は腸をぶちまけてるんだぜ。どうせ助かりゃしねえ。そうだろう」

アレックスがそういって、小屋の方に歩きだした。

小屋の方からも、銃声が聞こえた。

三発……M16の音だ。音のした方に行くと、アル(アルベルト・ゴンザレス)とチコ(フランチェス・ロメロ)、二人の新入りの二等兵が立っていた。

小屋の前に男が一人、倒れていた。まだ、少年だ。背中を撃たれ、死んでいる。

「誰が殺った?」

ジミーが二人に訊いた。

「俺だよ。こいつ、逃げようとしたんだ。だから、仕留めてやった……」

アルが自分のM16を軽く叩き、得意そうに顔を歪めた。

「アル、こいつはまだペニスに毛も生えてないようなガキだぞ。わからないのか!」

ジミーは小屋の中を覗き込んだ。

中に、人はいない。武器もない。ただ、豚が二頭、餌を食っていただけだ。

二号車から火炎放射器を持った工兵が二人、追い付いてきた。ジミーはアルとチコに少年の死体を小屋に放り込むように命じ、戸を閉じた。工兵が、その小屋に火炎放射器を向けた。

まるで生き物のような火が地を這い、瞬く間に小屋が炎に包まれた。黒煙が腐ったジャングルに立ち上る。小屋の中で、豚がけたたましく鳴き叫んだ。

ジミーは、耳を塞いだ。

やはりベトナムのジャングルは〝糞〟だ。ここには俺を含めて、正気の奴なんて誰もいない。

村の奥から、またM16の銃声が聞こえた。また、誰かが誰かを撃った。こんなことは、もう沢山だ……。

ジミーは愛用のジッポーでもう一本マールボロに火をつけ、それを銜えて村の奥へと向かった。コリンズ曹長を捜した。奴は、どこに行きやがった……。

コリンズは、村の一番奥のまだ真新しい小屋の前に立っていた。相棒のダン・ムーア伍長もいる。

奴らは、いつも一緒だ。二人は、デキているに違いない……。

だが、何か様子がおかしい。二人は銃も構えずに小屋を覗き込み、笑いながら中に入っていった。

ジミーは、小屋に向かった。後ろから、アレックスとライアンも付いてきた。

怒っていた。もう、お前らには、我慢できない──。

「コリンズ! それにダン、貴様もだ! こんなことは、もう沢山だ!」

ジミーは小屋に入るなり、捲し立てた。

二人が振り返った。

「ジミー、何を寝ぼけたことをいってるんだ。これを見てみろよ」

コリンズ曹長がいった。

ジミーは二人の背後、小屋の奥にある物を見た。

何だ、これは……。こんな物は、いままで一度も見たことがない……。

「こいつは、凄え……」

「神様、何てこった……」

後ろにいたアレックスとライアンも、感嘆の息を洩らした。

「〝本物〟なのか?」

ジミーが訊いた。

「ああ、〝本物〟だ。だからいっただろう。俺たちは皆、寝ぼけたことをいっている場合じゃないんだよ……」

コリンズが、笑っている。

だが、ジミーは首を横に振った。

「だめだ、コリンズ。この〝ブツ〟と村人を殺したことは、話が別だ。前にも一度、他の村でやっただろう。あの時は黙っていたが、もう我慢できない。俺は基地に帰ったら、この村で起きたことをすべて連隊に届け出る」

アレックスとライアン、ダンが、二人のやり取りを見守っている。

「おい、ジミー。お前、気でもおかしくなったのか。グークの女を殺したくらいで、何をいってんだよ……」

「女だけじゃない。子供もだ。俺は連隊に、報告する……」

ジミーはきびすを返した。

小屋を出ようとした時に、背後からM16のチャージングハンドルを引く小さな音が聞こえた。

振り返った。M16の銃口が、ジミーに向けられていた。

「ジミー、お前は基地に帰れない……」

コリンズ曹長がいった。


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