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『うどん陣営の受難』書評|私たちとベストじゃない選挙(評者:小山田浩子)

四年ごとに開かれる会社の代表選挙。一回目の投票は票が散らばったため、上位二名による決選投票が行われることになった。接戦が予想される中、両陣営共に動向を窺うのは、一回目で三位につけた候補の支持者たちであった…。
という津村記久子さんの新刊『うどん陣営の受難』について、作家の小山田浩子さんに書評をご執筆いただきました。
うんうん、と首を縦に振りながら拝読した書評を、ぜひご覧ください。

「私」が製図係として働く会社で四年に一度の会社代表を決める選挙が行われる。候補者は業績健全化のため社員の減給を訴える現代表の藍井戸、合併先の現地採用の人々のリストラを図る黄島、給料も人員も減らすべきでないと主張しお花畑と揶揄される緑山、過激な紫村、若手の桃野原……「私」は緑山候補を応援しているが投票の結果緑山は僅差の三位で敗退、藍井戸と黄島の一騎打ち決選投票となる。二者の支持率が拮抗しているため緑山支持者たちは決選投票を左右する大きな「リソース」「票田」とみなされ、抱きこみ工作が進行する。匿名の告発メール、モラハラ音声流出、優遇の示唆、強引な誘い……

色がついた候補者たちの名前、いつも丸い帽子をかぶっており夜の方がいきいきしているやたらうどんが好きな現地採用の人々という存在、四年に一度の社員投票(パート含まず)で決まる会社代表選挙、本作ではそういうちょっと現実から浮いたような設定が用意されているけれど「私」の労働や生活の細部は極めて具体的で胃が痛くなるほど生々しく、笑える。申請しても届かない備品、トンチキに張り切るウイルスソフト、しんどいときのため取っておく高そうなカフェと仕事帰りスーパーで買うアイスモナカ、友達とも家族とも違う職場の人間関係、相手の態度から感じる値踏み、不調な誰かへの接し方……労働とは、生活とは、なんと細かくくだらなく珍妙で切実なことの集積なのか。

「私」は、弱っているところにつけこまれそうになっている先輩を助けるため咄嗟に嘘をついたり知り合いを引っ張ってきて加勢を頼んだりするくらい勇気と行動力があるのに社食で突然始まった某候補支持者によると思しき演説に遭遇すると嫌々拍手してしまう程度には空気を読む人でうっかりしてもいる。右往左往する「私」が、選挙という、人々の命運を決めてしまうのに肝心のところが実は巧妙に隠されている上に意外なほど空気や雰囲気で結果が左右される営みの中で、どのように戦い、あるいは戦わずして自分や誰かを守るかということを本作は克明に描く。選ばないということも結果なにかを選ぶことになってしまう。ベストとはほど遠いかもしれない、でも、できる限り自分の心身を損なわずかつ誰かの尊厳を削らないようになにかすべきなのだと、ときに脱力してまずい苦い濃いコーヒーを飲みながら立ち上がりの遅いパソコンにうんざりしながら誰かとうどんをすすりながらトッピングの天ぷらどれにしようと悩みながらやっていくしかないのだと、それは諦めではなくて希望なのだと、本作は読者に語りかける。

小山田浩子(おやまだ・ひろこ)
1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。

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