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【試し読み】中学生当時を思い出し、ヒリヒリする読後感の青春小説──大前粟生『話がしたいよ』

SNSでの短編発表を経て、「彼女をバスタブにいれて燃やす」が『GRANTA JAPAN with 早稲田文学』の公募プロジェクトで最優秀賞に選出され小説家デビューを果たした大前粟生が、U-NEXTオリジナル書籍として、「同調圧力」をテーマに書き下ろした『話がしたいよ』。同調圧力を同調圧力と割り切ることのできない中学生の姿を活写した青春小説です。


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■著者紹介

大前 粟生(おおまえ・あお)
1992年生まれ。小説家。京都市在住。
著書に『のけものどもの』(惑星と口笛ブックス)、『回転草』『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』(河出書房新社)、『岩とからあげをまちがえる』(ちいさいミシマ社)などがある。近刊『ハルには はねがはえてるから』(亜紀書房)では、漫画家・宮崎夏次系との共作で話題となる。


■あらすじ

中学二年生の僕は、「大人みたい」と友達に評され、口惜しいが、自分でもそう思っている。だから、幼馴染のケンケンが坂本にいじめられていたって、器用にクラスの空気を読み、「なんでもない」とやりすごす。やがて、文化祭のシーズンがやってきて、半強制的に主役にされたケンケンは、ある行動に打って出る――。閉塞感と退屈が支配する生活、大人になる手前にいる登場人物たちをリアルに描きだした、新時代の青春小説。


■本文

なんでもない日だ。僕の三つななめ前の席で、なんでもないみたいにケンケンが笑ってる。坂本といっしょになって笑っている。

ケンケンと僕は幼稚園の頃からの幼なじみだ。小学三年生まではよく遊んだりしていた。今は別に仲が悪いわけでもないけど、仲がいいと言えるほどでもない。なんとなく距離ができて、そのまま時間が過ぎただけ。

だから僕は、ケンケンと坂本のやりとりに口を出さない。

坂本がケンケンに「なあゾンビぃ」と言って笑ってるのは、からかってるだけなんだろうって。

二学期が始まってからだ。坂本がケンケンのことをゾンビと呼ぶようになったのは。それにつられて、他の男子や女子もケンケンのことをそう呼ぶ。なんでゾンビなのか、きっと坂本以外誰もよくわかっていないのに。これってもしかして、いじめ? 浮かんできた考えにふたをする。

そのうち僕もケンケンのことをゾンビって呼ぶのだろうか。ケンケンのことをケンケンと呼ぶだけで、変な目で見られるようになるのだろうか。

坂本とケンケンのことを見ながら、僕は自分のことばかり考えていた。

ケンケンの三つななめ後ろの席でよかった。これが三つじゃなくてふたつやひとつだったら、僕が考えることも変わっていただろう。もっとケンケンのことを心配していたかもしれない。そしたら僕は、もっと苦しくなっていたかもしれない。

空が見たい、と思った。

これは僕のおまじない。

教室にいて気持ちがすさみそうになったとき、僕は空を見ることにしている。

中学二年のこの秋から、僕の席は廊下側、教室の後ろの扉近くにあった。ここからだと空が上手く見えない。廊下の窓からは中庭を挟んで別棟が見えるだけだ。

僕は読むでもなしに開いていた文庫本を手に持ったままとぼとぼと教室を横切って窓に近づき、体ごと包まれるくらい視界いっぱいに空を見た。

この日は雲ひとつない青空で、本当に、退屈な空。

退屈な空、と僕は繰り返し思う。そうすると「まあこんなもんか」って僕は、退屈な日々や僕の退屈さに納得できる気がする。昼休みが終わるチャイムが鳴った。

席に戻るとき、坂本にヘッドロックをかけられているケンケンと目が合った。他の男子に何枚も写真を撮られている。僕はケンケンから目を逸らした。なににも気がついていないふりをした。

目を逸らした拍子に、自分の教室に向かって廊下を歩いているこおりのことが目に入った。

氷は相変わらず、ごついヘッドホンをしている。僕らが通う中学は公立だけれど私服登校がオッケーで、みんな思い思いの格好をしている。それでも、授業中以外ずっとヘッドホンをしている氷は目立っていた。

僕はときどき思う。氷は、たとえば坂本や、坂本みたいな人たちから、どうしてからかわれたりしないんだろうって。

僕の視線に気がついた氷と目が合って、僕はどうしてか笑ってみた。

はあ? と顔をしかめて彼女はそっぽを向いた。

「氷」というのは彼女のあだ名だ。氷のような目をしているからとか、そういうことじゃない。彼女の目つきは冷たいけれど。

真崎くんから聞いた話だと、彼女は小学生のとき、休み時間も授業中もずっと氷を口に含んでいたらしい。

「ほんまにずっとやねん。一日も欠かさずな。テスト中も朝の読書の時間もあいつの口のなかで歯に氷があたる音がコロ……カコ……って聞こえ続けてたんよ」

真崎くんがいつだったか僕に話してくれた。

小四と小五、真崎くんは氷とクラスがいっしょだった。

「それでさ、五年の秋くらいのときに急に音が聞こえへんくなってんな。テスト中、鉛筆が紙にこすれる音ばっかり聞こえた。それで俺、いつも聞こえてた氷の音が聞こえへんもんやから、なんかパニックになって、国語のテスト四十点やってん」

あはは、と真崎くんが笑ったから、僕もいっしょに笑った。

真崎くんとは中学からの付き合いだ。真崎くんはたまに話を盛る。しかもそれは決まって誰か他人の話をしているときで、自分が笑われるまとになろうとする。国語のテスト、本当は五八点くらいだったんじゃないかなって僕は思う。

真崎くんの名前は光っていう。僕はいつ真崎くんのことを苗字じゃなくて名前で呼ぼうか、最近はどきどきしている。

氷の名前は知らない。一度も同じクラスになったことがないし、他のみんなも彼女のことを氷と呼ぶからだ。そのことを本人がどう思っているのかはわからない。でもなんとなく、氷は嫌なことに対してはちゃんと嫌だと言いそうな気がする。

そんなことを考えているうちに授業が終わった。下駄箱のところで真崎くんが待ってくれていた。僕らは帰り道がいっしょなんだ。小学生のときは別の学区に住んでいたけど、中学生になって真崎くんが近所に引っ越してきた。ときどき真崎くんが僕の家に来ることはあるけど、その逆はなかった。僕らは学校から伸びる坂を下って大通りを歩いた。

「なんでも粘土で作る」

「なんでもって?」

「なんでも。世界とか、命も」

「すげー。じゃあ僕は……カードゲームの開封」

「あーそれすごいお金かかりそう」

「でも大人になったら働いてると思うし」

「え。なにしたいとかもうあるん」

「まだなんにも」

「そうやんなあ」

「犬の散歩」

「犬の散歩の動画?」

「そう。すごい人気出そう」

「あー犬はなあ。せやなあ。犬はやばいなあ」

将来自分が動画投稿者になるとしたらなんの配信をするかというのを話しながら歩いていた。真崎くんとはどうでもいいことばかり話している。くだらないことに「くだらない」なんて反応しないから、真崎くんといると気が楽だった。

僕らの住んでる街はきっと都会だ。大通りを五分歩けばひとつはコンビニがある。最近ではどんどん潰れていっているけど、まだ街には本屋さんがいくつか残っているし、映画館だってある。図書館や市民センターでいろんな習い事を教わったりできる。わりと文化的で、気晴らしというか、逃げる先は探せばいくらでもあるはずだ。それなのにこの閉塞感はなんなんだろう。

「お菓子を一度でどれだけ大量に食べられるか」「心霊スポットで肝試し」「漫画の考察」「踊ってみた」「一日で一万円をどれだけ増やせるか」「ゲーム実況」僕は動画投稿をやる気なんてないのに冗談みたいに自分の将来を羅列することで、この今、この僕、この街にこうやって暮らしている自分から気を逸らしたかった。

気を逸らしたいということも冗談みたいにしたかったんだ。僕はこの先も今の僕を引き連れて生きていくしかないということを、まっすぐ受け止めたくはなかった。落ち葉を蹴りながら歩いた。上手に転がすことなんてできない。砕けてしまう。

ゲームセンターの角を曲がったところで、坂本によく似た後ろ姿を見つけた。僕は声を小さくして、坂本に気づかれないようにした。歩く速度を遅くする。

「どうしたん?」

真崎くんが言ってくる。

こら! と僕は真崎くんをにらんだ。

それがなぜかウケたらしい。びゃびゃびゃ、と変な声を出して真崎くんが笑ったから、僕はしゃがみ込んだ。坂本に背を向けて、ゲームセンターが店頭に出してるガチャガチャをじっと見ているふりをした。真崎くんもいっしょになってしゃがみ込んだ。

すると僕と真崎くんのななめがけしたそれぞれメーカーの違うショルダーバッグに、小走りでそばを通り抜けていく誰かのかばんがパンパスンと連続してぶつかった。

真崎くんのショルダーバッグはもうボロボロで、ぶつかられた拍子にロゴのところのエナメルが割れ、細かくほこりのように舞い散った。

「あ、わるい」

言いながら走り去っていったのは同じクラスの相沢で、スクールバッグを手に持って背中にはギターケースを背負っていた。学校に軽音部はないから、プライベートで音楽をやってるんだろう。相沢は前を歩いてる男子に追いついて彼の肩に手を回した。やっぱりだ。相沢はよく坂本とつるんでるから、あいつは坂本だ。

僕はバレないよう、真崎くんの肩越しに坂本と相沢を観察した。ふたりは少しうつむいて、きっとスマホをいじりながらゆっくり歩いている。事情を察した真崎くんは、ガチャガチャの前から動かず、しゃがんだままでいてくれている。真崎くんはその体勢のまま上を向いていた。真崎くんの目線の先には、路上に取り付けられた丸い反射鏡があって、そのなかに坂本と相沢がうつっていた。鏡を見ていると、坂本と相沢は通り沿いの雑居ビルに入っていった。 

「いこう」

立ち上がり、真崎くんとふたりでかばんを揺らしながら走っていった。

雑居ビルの二階には音楽スタジオがあった。そこに入ったということは、しばらく坂本は出てこないだろう。ホッとした。僕は妙に強気になった。

ぎゃーーー! と奇声を上げながらもっと走った。真崎くんはいっしょになって叫んでくれるし、こんな僕を今、坂本は見ることができないんだ、笑うことができないんだって思うと、楽しくて仕方がなくなった。


僕と真崎くんの家へは薄緑色の歩道橋が分かれ道になっている。

そこに向かって走っているときだ。

「あ!」

思わず声を上げて僕は立ち止まった。

セミの抜け殻を見つけたんだ。

街路樹のそばに停まってる自転車の下にそれはあった。僕はしゃがみ込んだ。

「どうしたんよっしゃん?」

真崎くんが言った。僕のことをそう呼ぶのは真崎くんだけだ。他の人は僕を「吉田」と呼ぶか、小学校からの知り合いだったら「よっしー」と呼ぶ。

「また坂本でもおった?」

「えっと、お腹が痛くなった」

「え。だいじょうぶ?」

「だいじょうぶ。先に帰っておいて」

「なんか買ってこよか。なんか、薬とか」

「ほんとにだいじょうぶだから。今日はもう、バイバイ」

「マジで? じゃあ、バイバイ?」

「うん。バイバイ」

「バイバイ」

真崎くんは歩道橋へと歩いていった。振り返るかもしれないと思って、僕はしばらくしゃがんだままでいた。素早くあたりを見回してから、セミの抜け殻をズボンのポケットに入れ、崩れないようそっと手で包んだ。


家に帰るなり兄の怒鳴り声が聞こえた。

短い私道を挟んで左右に六つずつ、同じような家が建っている。そのひとつが僕の家だ。十二軒も家があれば、この小さな区画にも僕の家と似た家族はいるだろう。母と息子ふたりの三人暮らしで、兄の方がひきこもりで癇癪かんしゃく持ち。玄関の扉を開けるなり「うっぜえ! うっっっぜえ!」と聞こえても、僕はなんとも思わない。こんなのは、どこの家でも起きてる。

「ただいまー」

と言うと、リビングの扉が勢いよく開いて、兄が廊下をずんずんこちらに歩いてきた。

お、と僕は思った。

兄は二年間家から出ていない。玄関のスペースに足を踏み入れてさえいないはず。このままこっちに来るのか? 僕はどきどきしていた。リビングのなかから、「おかえりー」と母の声が聞こえる。廊下の際まで来た兄は、母の声に被せるようにして「おかえり!」と怒鳴り、きびすを返した。奥にある階段を上り、二階にある自室へと引っ込んでいった。

僕は拍子抜けした。そしてどこか安心してもいた。兄が変わると僕も変わらないといけない、そんな気がしていた。

「どうしたの?」

僕は母に聞いた。

「お母さんが仕事増やすって言ったら怒っちゃって。なんでも自分のせいだって思ってんのよあの子」

「仕事増やすの?」

「うん。お金ほしいし」

「そっかあ」

そっかあ、と僕はもう一度言うと、戸棚からお菓子を見繕って自分の部屋に向かった。隣の兄の部屋の前で耳をそばだててみると、ゴリ……ゴリ……、なにかを削るような音が聞こえた。

母は週六でレジ打ちのパートに入っている。仕事を増やすっていうことがどれくらいの負担なのかピンと来なかったから、学校が一日増えることをとりあえず想像してみて、すぐにげんなりした。僕はポケットから慎重にセミの抜け殻を取り出して勉強机に置いた。机の裏を探る。そこに、引き出しの鍵をセロテープで留めていた。鍵をかけているのは勉強机のいちばん下の引き出し。

引き出しを開けて、今日拾ってきたセミの抜け殻を入れた。

カシ……、カシシ……抜け殻に抜け殻がぶつかる音がする。僕は引き出しのなかにセミの抜け殻を溜めている。もうそろそろいっぱいになりそうだ。そうなったら、僕はこの引き出しをどうしよう。別のところにまたセミの抜け殻を集めようか? それとも、もうこんなこときっぱりやめようか。やめられるの?

そもそも僕は、なんでセミの抜け殻を集めているのか自分でよくわかっていなかった。ただ、落ち着くんだ。どうしてか、抜け殻をじっと見ていると落ち着く。これも僕のおまじないのひとつ。


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話がしたいよ


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