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『森林限界のあなた』書評|この不合理なもの(評者:王谷晶)

蛭田亜紗子さんの好評シリーズ最新作『森林限界のあなた』を、小説家の王谷晶さんに読んでいただきました。まずは書評から、そして是非本作へとご覧ください。


ハッピーエンドの恋愛物語が好きだ。特に疲れているときはネタバレを踏んででもラブラブ幸せエンディングが約束されている本や漫画を探して読む。なんでそういうのが好きなのかというと、全て道理が通っていて、理詰めで納得できる物語だからだ。どんなにすれ違っても誤解があってもトラブルが起きても、最終的には理不尽は正され、ねじれはほぐされ、善は栄え悪は滅びるのがハッピーエンドだ。主人公たちは愛すべき正しい相手を愛し、胸の内を明かし、こんがらがった人間関係も将来への不安要素も解消され、お互いに真っ直ぐ向き合う。そういう、すっと整理され筋の通った物語を読む快感が、ラブストーリーにはある。

しかし、現実の私たち愚かな人類の恋愛ときたらどうだ。惚れてはいけない相手に惚れ、すれ違ったらすれ違いっぱなし、しょーもない誤解を解くこともできず、思い込みで行動したりされたりして修復不可能な傷を負い、タイミングは常に悪く、言うべきことを言わず、言っちゃいけないことを言い、自分に都合のいい解釈をし、時に相手への思いやりや、愛そのものすら忘れてしまう。道理は通らず、理不尽そのもので、つまらない意地を張り多大な時間を無駄にする。そして時が経てばきれいな部分だけを残して思い出補正にかけ、己の愚かさに向き合うこともせずまた新しい恋愛を始め、似たようなことを繰り返す。

『森林限界のあなた』は、そういう、道理の通らない、どうしようもない、いびつで不安定で安心させてくれない恋の物語だ。地方で新卒として会社員になった主人公の花谷が、希望とは違う仕事内容とセ(クハラ)・パ(ワハラ)両リーグのハラスメントに揉まれ疲弊しながら、病気療養から復帰したイサミさんという先輩社員に恋をする。このイサミさんが憎らしいほどクールで、優しくて理知的で思い切り惚れさせてくるのに、ある一線からは踏み込ませないし踏み込んでこない。こういう相手にベタついた恋情を抱いてしまったらもう大地獄だ。

初めて恋人ができたと舞い上がる花谷に対し、イサミさんはあくまで自由で個人主義で、少しも思い通りになってくれない。求めていたものを与えられず、かと言って離れられない恋の苦しさに花谷は悶え苦しみ、せんでもいいことをし、言わんでいいことを言い、ドツボにはまっていく。フィクションの恋物語なのに、少しも道理が通らないし、都合のいいことは何も起こってくれない。現実ではない話なのに、現実と同じような恋愛の痛みと傷が差し出される。

短い中にいくつも小さな仕掛けが仕込まれている物語なので、初読の驚きを奪わないために具体的な内容に触れずに紹介を書くのが難しい。確かに言えるのは、このラブストーリーはあなたを傷付けるし、その傷は不思議と心地いいということだけだ。タトゥーを入れるときのように。

王谷 晶(おうたに・あきら)
1981年生まれ。小説家。女性同士の様々な関係を描いた短編集『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ社)で注目を集め、その後も『BL古典セレクション3 怪談 奇談』(左右社)やエッセイ『どうせカラダが目当てでしょ』(河出書房新社)などを発表。シスターフッドとハードボイルドを活写した近刊『ババヤガの夜』は、第74回日本推理作家協会賞の長編部門で最終候補に選ばれる等、高い評価を得ている。
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