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最近みた映画の話つらつら。(キアヌとか、ウェスの箱庭感とか、福田村の人間の業とか。)

高校時代からずっとキアヌ・リーヴスが好きと公言しているのですが、彼の芸歴が50年だということに気づいて驚きました(9歳の時に舞台『くたばれ!ヤンキース』に出演していて、いま59歳)。私のファン歴なんて彼の芸歴の中では短いほうだわ…これからも末永く応援しなくちゃ…と気持ちを新たにしている宮嶋です。

というのも、「ジョン・ウィック」シリーズの新作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』の試写に呼んで頂いて、キアヌ熱があがっているところなのです!ああ面白かった~。

私のレジェンドであるキアヌに加えて、小学生の時に“初めて「このひとカッコいい!」と思ったテレビの中のひと”である真田広之さんだったり、リナ・サワヤマさんの曲やパフォーマンスが大好きで1月には来日(帰国?)ライブに行ってたり、『シンプル・シモン』でビルと出会って以来スカルスガルド兄弟には注目しているし、いやもう、それはそれは“好きの大渋滞”な上に、今回は日本も舞台のひとつだし(しかもわかりやすいTOKYOとかKYOTOじゃなくてOSAKAにコンチネンタルホテル・ジャパンがあるというのが面白いし、OSAKAという要素が絵面の勢いに説得力を増している!気がする!)、そしてもちろんバキバキのやりすぎアクションと予想のつかない展開で、めちゃくちゃ楽しんでまいりました。

このティザービジュアルが超カッコいい!タイの部分…!!


こちらは9月22日に劇場公開です。ぜひ。

ちなみにキアヌ、ハリウッドの俳優組合ストライキのためプロモーション来日はしないのですが、そのあいだに久しぶりに自分のバンド「DOGSTAR」でツアーを回っていて、今週は日本での公演なんですよね。俳優の仕事ができないあいだであっても、ちゃんと好きなことやってるね~いいね~!って嬉しくなっちゃいます。日本でまたラーメン屋さんや喫茶店にふらりと現れたりするのかしら(わくわく)。そして私も横浜公演に参加いたします(わくわく)。


閑話休題。とにかく映画界隈は今月も観るべき注目作が多くて!先月もそんなこと言ってた気もしますが、嬉しい悲鳴です。


まずは9月1日の公開早々ウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』はとにかく早く観なくちゃと爆速鑑賞。だいぶ前からTシャツ付きムビチケを購入して、公開前からいそいそと着用して待っておりました!

作品を重ねるごとに、ウェス・アンダーソン監督の頭の中の箱庭感(あるいはドールハウス感)が加速している…!というのが初見の強い印象。入れ子構造ということもあるのですが、今までより強くそれを感じました。四角い枠に収まった、ミニマルな世界。ウェス独自の洗練を極めた(とはいえ少しの毒や悲しみがあったりもする)美意識だけで構築されたノスタルジックな世界。俳優たちが、ストイックさやリアリティやペシミズムとは無縁にみえる(たぶん敢えて)演技をみせている世界。

「映画」というよりも「ウェス・アンダーソン作品」という独自の境地の切り拓きかたに、『グランド・ブダペスト・ホテル』以降、より磨きをかけてエッジィに極めてきているような気がする…それを映画産業のなかで堂々と成立させてるの、すごくないですか!?

みえるものすべてが可愛いウェス・アンダーソンの世界。

プライベートで新作映画を観る時はできるかぎりレビューサイトを読まずに鑑賞するのですが、正直申し上げて、私の感性ではこの映画が作品の中で内包するコンテクスト、作品外部との接続、あるいは彼のメッセージ性…といった映画評論的ものについては語る言葉を持ちません。「あぁ、可愛かった…」「ふぁあ、素敵だった…」「でもちょっぴり切なかった…」というふんわりした感覚から脱していない感じ。だからといって映画として優れていないという感触は当然ながらまったくなくて!むしろ映画館では、観客がみんなでニコニコしたり思わず笑いが漏れたり、という、同じものを見て同じ疑似体験をする極めて映画らしい空間が成立しており、まったくもって幸せ空間でありました。

作品の背景やらリファランスやらの勉強は自分のふわふわした感覚が落ち着いたら勉強するとして、いやー、すごいなー、ウェス・アンダーソン!という感じです。


そして「同じものを見て同じ疑似体験をする」という意味では、まったく反対側にありながら、こちらもまた映画的な体験だった『福田村事件』。みんなが息をのんでスクリーンに見入り、みんなが思わずぎゅっと目をつぶったような空気がありました。

関東大震災の時に実際に起きた虐殺事件をもとにした物語ですが、これは遠い話ではない、と。多分、観ていた人たちが全員そういう戦慄を覚えたのではないかと思います。

ひとりひとりのごく普通の人々が「集団」になった時。集団に「外からの、見知らぬ要素」が混ざった時。見知らぬものへの警戒感が「攻撃」になった時。それが自分たちのローカルな「正義」や「正当化」と結びついた時。

それはいつの時代も、何に対しても、誰に対しても、自分たちの過去を書き換えるという形でも、そして、ごく普通の私たちにも、起こりうることだと、これは人間が誰しも抱えている“業”のようなものだと、ものすごく「自分ごと」に感じられます。自分のなかにもこういうものがあるのだということを、知っておかなきゃいけないと。

この「自分ごと」な感覚は、事件が起きる前に、ごく普通の、ごくありふれた善良な人びとの村での暮らしが丹念に描かれるからこそだと思います。村の社会の持つ「ムラ社会」性であったり、ある種のマチズモであったり、「ムラ社会」に完全になじめていない人たちのちょっとした距離感も。そして差別される側の無力感や静かな怒りも。

森達也監督のドキュメンタリー映画は、ドキュメンタリーだからこそのスリルに満ちた作品たちですが、今回初めて手掛けられた劇映画である『福田村事件』にも、まるでドキュメンタリーのような生々しい手触りがあります。

言葉を尽くしてもあまり上手に伝えることができていない気がします。ぜひ観て頂きたいです。

モノクロの本ポスターも静かで絶望的で美しいのですが、アザー版も素晴らしいですね。


ジョン・ウィックにしても、ウェス・アンダーソンにしても、『福田村事件』にしても、映画としての立ち位置はまったく異なるものの、とても映画的な映画だなと思っています。

映画って本当に幅が広いし懐が深いです。



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