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傷ついた、苦しかったと認めることから始まるもの。『一月の声に歓びを刻め』とか、『哀れなるものたち』に見出した個人的な希望とか。

私事ですが誕生日が近いせいか、これまでどう生きてきたのか、これからどう生きていこうか、というようなことを考えがちです。ちょっとノスタルジックになってるかもしれません、映画部の宮嶋です。

ちなみに、誰かを傷つけるような表現や、今でいうマイクロアグレッションが、身の回りでもメディアでも普通のこと、時には“面白いこと”としてまかり通っている時代に育って、大人になってからハタとそのことに気づいて愕然としたりしている世代です。

一方で、自分自身も成長して社会が広がっていくにつれ、自分がそういう表現をされる側の立場になるケースも時にはあったりして。でもあまりにもそういうナラティブの中で育ったせいか、気にしないふりをしたり、へらへらと笑ってスルーしてやり過ごしてしまったり、場合によっては自虐的に使ったりしていたなぁ、と。そしてそれをどこまで飲み込めばいいかわからなくなって「まぁ、私が悪かったのかもしれないな…」と思ったり、理不尽なことがあっても「私がやり過ごせば波風立たない。ぜんぜん大したことじゃない」と思い込むようになってしまったのかなぁ、と。

本当はぜんぜん良くないですけれどね、次の世代にまでそういうものを残してしまうことになってしまって。でも、とりわけ性や身体にかかわることって、嫌だ、傷ついた、理不尽だ、ってどうしてか言えなかったなぁ。オトナ気ないと思われるのも、女性としてわきまえていないと思われるのも、面倒な女だと思われるのも、弱い人間だと思われるのも、とにかくどれも嫌だなって思ってしまって、まずは忘れてしまおうとしていたなぁ。

そんなことを思ったのは、映画『一月の声に歓びを刻め』を観たことも理由のひとつかもしれません。

『幼な子われらに生まれ』の三島有紀子監督が、自身が47年間向き合い続けてきた過去の出来事をモチーフに撮りあげたドラマ。公式サイト:https://ichikoe.com/

3つのエピソードで成るこの映画は、すべての章が性暴力をモチーフとして持っています。それぞれ立場や切り口は違うものの、それぞれに胸に痛く刺さる3つのエピソード。今までのどの作品よりも、主人公たちだけでなく、映像そのものが苦悶して慟哭して、そしてそこから立ち上がっている映画でした。

何も知らない幼い頃に性暴力を受けるという過酷。心の中に閉じ込めていた幼い頃の深い傷を掘り起こして、思いだしたくもないことを見つめなおして、植えつけられたトラウマを乗り越えて「違う、自分を責めることはない。自分は汚れてなんかいない」と認識をしなおすことがどれほどのことか。自分の取るに足らない経験から想像するだけでも本当に…。その出来事がなければこんなこと、乗り越える必要のない人生だったはずなのに…。
それでも、そこから立ち上がろうとしている映画でした。
監督の実体験から作られたものだそうです。

私が登場人物たちと同じくらい大きな傷や悲しみを背負っているかと問われればそんなこと言えないし(一方で人の悲しみや苦しみは比較できない、比較では語ってはいけないとも思っていますが)、私に起きたいくつかの出来事は、身体的・社会的に女性である多くの人が経験しているような、よくあることかもしれない(だからといって、あっていいことではありません)。

それでもこの映画を観終わった帰り道、過去にあったいくつかの出来事が思いだされて、私は涙が出てきてしまいました。あー、あの時まわりは笑ってたけど私は悲しかったんだな、傷ついてたんだな。あの時は自分も悪いような気がして言葉を飲み込んでしまったけれど、苦しかったんだなぁ。たぶんそれを言ったりしたりした人も、悪気がなかったと思うのです。でもだからこそ「傷ついた」と言えなかったから、思いだすのは心がキリキリしましたし、せっかく忘れてようとしていた重いものが沸き上がってきて落ち込みもしましたが、「嫌だった、傷ついた」と認めたことで、自分のなかに何かひとつ小さな変化が起き始めている気がしています。(自分のことについて詳細を書かないことをお許しください。かなり昔の話です)

正直、あらゆる人におすすめできる映画ではないかもしれません。思いだして辛くなる人も多い気がする。でも私は、この映画が生まれてきてくれてよかったなぁと心底思っています。

「悲しみ」「苦しみ」はきちんとそれとして認められるべきで、その種類によっては仕組みや社会のプロトコールで予防や解決を目指すべきことです。現代はそういう類の課題を目の当たりにすることが多くて、私も学ぶことばかり。反省することも多いです。私自身も誰かを無邪気に傷つけたり、無意識に加担してしまったこともあるでしょうし、自分が当事者であることさえも、波風立てないためにやり過ごしてきてしまったことで結果的に次の世代の同じような人たちを守れなかったことにも、申し訳ない気持ちになります。


ところで最近『哀れなるものたち』も観て、これがまた素っっ晴らしかったのですが…

ヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンのタッグで、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings

未見の方もいらっしゃるでしょうし簡潔に説明すると、胎児の脳を移植された女性がある男性と旅に出て、世界や人間を知り、「大人の体を持つ赤ちゃん」からどんどん成長していく物語なんですね。

その旅路の中で、知的好奇心に目覚めて彼女が手にする本を取り去り捨ててしまう人物がいる一方で、自分が持っていた本を彼女に手渡して物事を学び自分で考えることを伝える年老いた女性がいるのです。彼女自身がどんな人生を経てきたのかさほど多くは語られませんが、若き主人公に明らかに「人生を自分で切り開く」というバトンを渡しているのが本当に素敵です。
この映画には魅力的で興味深いシーンがたくさんありますが、私はこの老婦人とのシーンがすごく好き。

私自身は今までいろいろな良からぬものを内在化してしまっていたのだと思うし、文字通り世界を変えることができなかったけれど(ちなみに説明するのも野暮ですが『僕たちは世界を変えることができない。』っていう映画のタイトルに掛けています。いい映画ですよ)、この女性のように、少なくとも自分が持っている「良きもの」を次の世代の人たちにパスできる人になりたいなぁと思っている今日この頃です。




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