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怒られるから嘘をつく

前回は見栄は自分を隠す保身ということについて書いた。
じゃあ嘘は何のためにあるのか。

嘘にも色々種類があると思うが、
自分に中身が無かった時につくものではないか。

見栄が既にあるものに対する保身=絆創膏のようなもの、
に対して嘘は何も無いものに対する保身=サポーターのようなものなんじゃ無いかと。

実際わたしも嘘をつく。
悪い癖だなと怒られ、自分で責めたりもした。
何度も止めようと思ったけれどやめられなかった。
それは「怒られる時の嘘」だ。

会社やバイト先で失敗したりミスしたりした時に、
怒られるのが怖くてそれを隠してしまうのだ。
怒られるような事をしたのだから、怒られて仕方ないのだが、
嘘で隠してしまう人は、申し訳ないという気持ちより恐怖が勝っている。
それは過去に過度に怒られた経験、謝っても許してもらえなかった記憶があるからだ。

本来は人は失敗を経験して学んでいく。
だから失敗したら反省をし、次どうするか。に繋げるように考えていく。
失敗は必ず必要なものなのに絶対に一生のうちに一度でもしてはいけない悪い事のように記憶されてしまっている。
そうすると必然的に手は遅くなり、挑戦もせず、誰かが言った成功法則に乗りたくなるのだ。失敗を恐れて萎縮して何もしなくなる。これが一番良くない。


一度おばあちゃん、おじいちゃんが多いところでバイトをしていた。
その時の店長がかなり適当な人で、まあいいんじゃね。という考えだった。
おじいちゃん、おばあちゃんが多ければそれくらいの適当さじゃないと
やっていけないのかもしれない。
失敗しても、まあいいんじゃね。謝ると、いーよいーよ大丈夫。と言ってくれた。何度失敗しても怒らなかった。
そうすると自然と反省ができて、
どうしたらミスしないで済むかを考える余裕ができた。
失敗を恐れず新しいことを考える余裕もできた。
適当店長なので、より良くなるための工夫などを提案したら、いいんじゃね〜とすぐ受け入れてくれた。ひょっとしたら普通の会社よりもかなり従業員の意見が反映されて前衛的なのではと思った。笑

つまり失敗を許してくれる人に嘘はつかなかった。
過去に過度に怒られた記憶を塗り替えるのは、かなり難しい。
しかし失敗を避ける癖はつけない方がいい。
ずばり失敗を正直に打ち明けるのが怖い相手からは逃げるのがいいと思う。
過去、過度に怒られたのは自分のせいでは無いし、
それが恐怖体験として残っているのはしかたない。
失敗を隠そうと嘘をつく行為は信頼をかく行為だから良くない。
嘘を無意識についてしまう相手は自分にとって日常的に恐怖を感じている対象なのだと思う。
(大きな声で怒鳴っているのを見た、気分屋で無視をすることがある)
そう感じる相手の近くにいると失敗を隠さなきゃという間違った癖がついてしまうので距離を取ったほうがいい。
そして失敗を許してくれる人は必ずいるので、
そこで新しい成功体験を積み上げて失敗から学ぶ癖を受けたほうがいい。


その適当店長のところでは失敗しても謝らないごまかす人も居たが、
そこでこそ正直に謝る事で誠意が伝えられるということもわかった。
正直でいるのは自分は嘘をついていないという自信につながる。

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