人生にはゴールが無い。



人生にはゴールが無い。

若い頃は、「これやり遂げたら上がりやろ!」みたいな事思ったりしていた。

お金の問題、仕事の成果、結婚等の人間関係など、それぞれ各人の課題はあるだろうけど、それは当たり前だがゴールではない。

残念ながら、100億円稼ごうが、スーパー美形と結婚しようが、Amazonのような企業を立ち上げて世界の小売やクラウド関連でTOPクラスの存在にしようが、ゴールは出来ない。

大金を稼いで働かなくてよくなっても、その後新たな課題が生まれてくるだけ。
暇、退屈との向き合い方であったり、病気や親の介護等金で負担を減らせたとしても、「0」には出来ない課題は生きている限り残る。

生きている限り。課題は残り続ける。

先日、ケイト・スペードとアンソニー・ボーディンの自殺の記事を読んだ。

成功しても苦悩は残るのだ。

最後はみんな死ぬからバッドエンドやね。

人は生きている限り苦しい。仏教では一切皆苦と言われている。

生きている限り苦しみと向き合わなければならない。

そして、死ぬという過程においてかなり高い確率で何かしらの痛みや苦痛に耐えつつ、力尽きていく。

最後は、結局バッドエンドだ。

「家族がいれば幸せに死ねる」とか「最近は薬があるからそんなに苦痛がない」とか、そういう話で片付けられるものではない。

死んでいく自分と向き合う苦痛は、いくら想像したところで想像しきれないものだ。

バッドエンドである理由として。この世界では自殺を否定している。

自殺を否定するのは、死は自分にとってすべての終わりであり、善悪で言えば、悪いものであるという解釈が蔓延しているからだろう。

そうでないなら、自殺は否定されていない。

僕は自殺を否定しないようにしている。無論、悲しさは感じるが。

自殺した人にはもう取り返しのつかない事だから、否定したところで死体蹴りにしかならない、という理由が主であるが、

ソレと同時に、死を悪者扱いしても、100%みんなそこにたどり着くからだ。

どんなに金を稼ごうが、死ぬ。今後不老不死の技術が出てきたりするかもしらんが、とりあえず今のところは、ジェフ・ベゾスもイーロン・マスクも、みんな死ぬ。

多くの人に愛されたであろう志村けんも死んでしまった。

愛されていても、金があっても当たり前だが死ぬ。

死が人の終着点であり、本当の意味でのゴールなのだ。

死をゴールというとあれな感じな扱いを受けるが、事実その先に何も無いという意味ではこれ以上に、人生においてゴールと定義できるものはないのではないか。

死ぬまで続くのだ。

終わりのない苦痛、課題との対峙、そしてそれらを乗り越える喜びも。

すべてが死ぬまで続く。終わりはない。

その日その日を乗りこなすだけでいい

終わりはないから、受け取り方を変えなければ、ただただ長く辛く苦しいものになるのが人生だ。

だから、その日その日をどう生きるかより大事なものはない。

その日その日にやりたいことややるべきことを決めて、乗り越えて遊ぶだけ。

死がやってくる、その日まで。

それをひたすら繰り返すのが人生。

人は変わる。だから生きがいの一つや2つ、持っていた所でそれに対する情熱が途絶える事だってある

だから、日々自分を見直さなければならない。

それが最も楽に生きるための知恵なんじゃないだろうか。

死ぬまで続く、終わりがないものに仮初のゴール設定をして、やった気になってごまかして生きる。

本物の死がやってくるまで、本当の課題と向き合う事を先延ばしし続けるのが人間の人生なんだろう。

むなしやむなしや。

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