uneo

「「死にたい」というのをやめよう」というのをやめる。

uneo

「「死にたい」というのをやめよう」というのをやめる。

最近の記事

身辺整理と銘打った「片付け」が効かなくなってきてる気がする。

「死にたくなったら部屋を片付ける」ってのが僕のメンタル改善ルーティンだったんだけど 今回は、効いてない。 ミッドライフクライシスっていうには少し早すぎる年齢だけど、数年前から「この先のなにもない感」が現実化してきたと感じていた。 これのせいだろうか。 それとも最近崩しがちな体調のせいかもしれない。筋トレで怪我はするし、何やらずっと日々体が重い。 メンタルが先なのか、フィジカルが先なのかわからないけど どうも調子が悪い。 しかし、身辺整理は死ぬ時だからこそしなければな

    • 「今」しかないから「たられば」言っててもしかたない

      時間は「今」しかない。だからタラレバを言っていても仕方がない。今出来ることを考えるしかない。 あの時ああなっていれば お金があれば、彼女がいれば、結婚していれば 友達がいれば 仕事がうまくいっていれば 氷河期世代じゃなければ たらればは考えればいくらでも思いつく。 僕のタラレバは「人とうまく付き合えれば」だ。 だけど、そのタラレバがあった世界も、それはそれで問題が起きることもある。 どんな立場、状況の人も悩みが消えることはない。 人は悩む生き物だから。 立場や状況ではな

      • 鳥山先生の年齢まで生きるのにあと30年。 もう自分がやりたいことやって生きる決心つけたいけど 何がやりたいのかすら、よくわからん

        • 何もしなくても良い

          別に何もしなくても良い 何かしないとアイデンティティが維持できない気がする事がある なにかしてないと生きている意味がない気がする事がある 人間は生まれて死ぬまで生きるだけの生き物でそれ以外はおまけなんだから 別に何もしなくても良い 勝手に焦って不安になって、何かしない事を責めてるのは自分

        身辺整理と銘打った「片付け」が効かなくなってきてる気がする。

        • 「今」しかないから「たられば」言っててもしかたない

        • 鳥山先生の年齢まで生きるのにあと30年。 もう自分がやりたいことやって生きる決心つけたいけど 何がやりたいのかすら、よくわからん

        • 何もしなくても良い

          親ガチャは構造主義

          正直、哲学は門外漢ではあるけど 「親ガチャは構造主義」だと思った。 僕が学んだ浅い知識を疲労するなら 実存主義は「世界、自分の存在に意味がないという虚無を受け入れ前を向いて生きよう」 という哲学であり、サルトルは自己啓発顔負けのポジティブさを展開したように思う。 マルクス思想に即した思想を展開したのは資本主義化における「奴隷的である立場の打破」を実存主義における「自分の人生は自分の手の中に」を体現しようとした結果なのだろうと思う。 しかし、僕らの親世代から時代は代

          親ガチャは構造主義

          孤独 or 他者への依存

          孤独を回避するために他人とつながるというのは正解のように思えるけど、実際はどうなのだろうか。 孤独を回避するために他人とつながるというのは、 他人と繋がり続ける事で孤独を解消するという一つの歪んだ認知を手に入れる事になるのではないだろうか。 一人でいられなくなってしまうのではないだろうか。 一人でも平気になって初めて他人と真っ当な形で繋がれるのではないだろうか。 誰かがいなければ成り立たないような精神状態を脱却することが最善の道なのではないだろうか。 一人でも生きて

          孤独 or 他者への依存

          いつ終わるかわからない人生だから。

          当たり前だけど人間はいつか死ぬ。 それを最近改めて自覚した。 先のことを考えすぎないように生きたい。 お金や、承認は自分を幸せにはしてくれない。 お金があれば嫌なことを減らしてくれることはあるけど、求める心がある限り、永遠に今を生きる事は出来ない。 承認もそう。友達や家族は、僕はいないけど、いたほうがいいと思う。だけど、多くの、不特定多数の人に好かれる必要はない。 そんなものを追いかけていたらきりがない。 今を生きよう。 楽しいことをして、面白いものを見て、新し

          いつ終わるかわからない人生だから。

          2024年もきっと何も変わらない。

          2023年は何も変えられなかった。 24年もきっと何も変えられない。 変える力もない。

          2024年もきっと何も変わらない。

          人間の一生は「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だ。

          人間の一生は、「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だと思う。 人間には限界がある 人間には限界がある。 すべてを手に入れる事はできないし、得られる可能性があったとしても、それには運が伴う。 生まれた環境から才能、そしてすべてを手に入れたように見える人ですら、不満を感じているのだから、まだ「足りない」のだろうし、すべては手に入らない。 人間が何かを得るという行為には限界があり それは物理的な制約よりも、精神的な問題によって無限発生する欲望の方に問題がある。

          人間の一生は「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だ。

          退屈に対して「楽しい事」を求めてはいけないのかもしれない

          退屈に対して楽しい事を求めようとすると、欠乏感が沸く。 ストア哲学や釈迦の哲学を基礎として生きてる自分としては、この楽しいを求める事もまた自分を不幸にしてる原因になっているのではないかと思えてきた。 楽しいことをするなというのではなく「なんか楽しいことあるんじゃないかなぁ」という妄想に耽る事が問題だと思ってる。 これも、いわゆるフォーカシングイリュージョンだし、白黒思考にも該当しそうな認知バイアスだと思う。 今楽しくないから、何か楽しいことをすればよくなるんだろうと思

          退屈に対して「楽しい事」を求めてはいけないのかもしれない

          適当に楽しくやって100万円か、一日1時間で300万円か。

          適当に楽しくやって100万円か、一日1時間で300万円か。 現在、2つの仕事プランがある。 どちらもネット事業で、後者は黒字化、後一歩というところで、僕が飽きた。 ずっとお金の不安が原動力で漫画を描いてきたのに、今はお金を目的化した行動がいまいち取れない。 ある程度資産が作れた事や、40手前になり年齢を重ねてさほど先の未来を心配しなくなった事があると思う。 吉田兼好よろしく「男は40手前で死ぬのが良い」と思っているので、そもそももう死ぬ年齢だ。昔と今のあれこれを雑に

          適当に楽しくやって100万円か、一日1時間で300万円か。

          サラリーマンも増税:インボイスを「脱税」とか意味わかんねぇ事言ってるから。

          他人の増税にヨシヨシ言うてるからや。 PTAもそうだけど「私達も苦しかったんだからお前らも」じゃねぇんだよ。 自分が苦しい事を他人がされてる時に一緒になって「ソレはあかん」って言えないと、何も変わんないんだよ。 脱税とか言うてるやつは所得税45%払ってから言ってくれ。免税の意味わかってんのかってずっと思ってたけど。 まぁもうみんな大増税時代乗り切ろうね。 乗り切っても別に先があるわけではないんだろうけど。

          サラリーマンも増税:インボイスを「脱税」とか意味わかんねぇ事言ってるから。

          レンジ料理で食費が浮いている

          https://twitter.com/uneo05/status/1677620770980401152 3月中旬ごろからだろうか。 物価高騰の煽りを受けて、弁当を買わなくなった。 最近体重減少に悩んでいるのだけど、もしかしてこれは病気うんたらじゃなくて 弁当やらに書いてあるカロリーが不正確だったのか または、含まれてる成分、たとえば油もの等々のせいで、体重が増えやすい食事だったのか。 そのあたりの疑問が少し沸いている状態。 現在の食事材料 ■炭水化物 ・米はふるさ

          レンジ料理で食費が浮いている

          幸せは金で買える。

          「幸せは金で買える。」 もう言葉の時点で幸せが「金」とイコールではない事を示してしまったが、まず「幸せ=金」ではない。 言わずもがな地位でもない。 いわゆる、「金、承認、色欲」は直感的な欲望として満たされれば幸せになれると思いがちなものだが、関係ない。 無関係ではないが、根本的な解決にはなりようがない事物達がこれら。 では何がアレば幸せなのか。 答えは「猫、兎、犬…etc」である。 幸せは人間関係だというハーバードとかいう頭のいい大学でアホな結論を出した論文があ

          幸せは金で買える。

          病んだら「物語」に触れる

          結局、人間は物語にする事でしか理解ができないから「神話ができた」なんて話がある。 僕は以前まではノウハウ本、いわゆるノンフィクション側の本を読む事が多かったが最近は完全にフィクションに移行している。 ノンフィクションで何か変わったと思えなかったからだ。 一時的に変わったような気はするけど、結局は変わってない。 何か状況を変えたいならとにかくフィクションだと思う。 変えられない事象を受け入れる力もフィクションなら鍛えられるように思う。 世の中にある自然由来の事実は決

          病んだら「物語」に触れる

          Ankiで虫嫌いが克服できるのではないか。

          どうでもいい話を書く。 恐怖症の克服は「慣れ」 系統的脱感作法という心理療法がある。 いわゆる「慣れ」で恐怖を克服する療法。 探偵ナイトスクープでよく恐怖症克服依頼に対して、荒療治的に「慣れ」を身に着けさせることがある。 ゴキブリ恐怖症の依頼も一度みたことがあった。 ただ、1人で系統的脱感作法を実行するのは難しい。 人間はどうしても嫌悪するものからは逃げるように脳ができているし、 恐怖症が強い人はパニックを起こす可能性があるので、専門家に依頼するのが一番だと思う。

          Ankiで虫嫌いが克服できるのではないか。