🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十六

五十六、

所謂第一次長州征討期の徳川側のゴタゴタで恐らく西郷はうんざりしたか、若しくは藩からの帰還命令があったか、所謂第二次には参戦せず。坂本は?といえば、これも相当詳細不明な活動?詳細不明な件を活動、と明示して良いものか?詳細不明なものだから別に遊んでいた可能性もあり、そこにどうのこうの突っ込み入れる事が無粋。何せまだまだ若い男だったのだから。“日本の夜明け”を考えるのも、女の子と遊ぶのも、楽しんでいたって特段悪い事もない。さて。
京都及び畿内、そしてもっと想像を逞しくして北は北海道(函館か?)西は長崎の広範囲移動には流石に明け暮れていたか?だが西郷帰還(これも明示して良いのか疑問)のタイミングで、坂本の活動拠点が長崎に定まった事は勘付ける。西郷のあやふやな帰還は、次の第二次長州征討開戦期。第二次期で薩摩は一切徳川-長州間のいざこざから手を引いた、と見て取れる。
小松的視点から見れば、戦争ビジネスの大チャンス。千載一遇の事業的成功の時。ここに目を掛けていた土佐の近藤が自害する。まあ恐らくだが、近藤一個の死は冷たい言い方だが小松的にもそこまでの打撃ではなかったかも知れない。長州側に自分の息の掛かった井上、手元には右腕の五代、これだけで充分ではあっただろう、容易に想像は付く。

ただ、船なのだ

闇取引も闇取引。非公式の外国船購入、そして長州-薩摩の事実上折半で落とした。どちらがどう、上げた利益はどう行くこう行く、近藤が取り仕切っていた。五代か井上に投げて、あとは宜しゅう、それでも選択肢としては良かっただろう。だが、やはりこの闇船は土佐の者にやらせた方が良い、色々便宜が立つ。
推測で、恐らく近藤はこの船の管理・運営に関して殆ど同士と意見交換していなかった。そこに本人も恐らく思っても見なかった自死。近藤と共に活動していた仲間も船の動かした方や管理については、それは一人で動かす物ではない訳で、経験はしていただろう。小松は?やはり目を掛けていた土佐人士も限定的だったのか?
近藤長次郎の死後の少し後に、坂本がやって来た様だ。

ここがドラマや小説であると、同士を叱り付け近藤の死を悼むシーンに100%なる。

だが恐らく、近藤の死は死。自分達の今後、特に残された船の件は、近藤の死よりよく語らった事だろう。

またしつこく坂本のドラマや小説への突っ込みになるが、大体このヒーロー物はもう最初期から仲間達のリーダー然として話が構築されているものだ。もっと詳細な分析及び推測は?

①第一次長州征討期の坂本の裏活動がよっぽど薩摩から評価されていた
②立身の上げ潮の西郷と共に自身の存在価値も上がっていた

意地悪く断じれば、棚ボタ。船長を失った船の事実上の後任めいた者にはなった、か?あやふやだ。近藤という特命を帯びていた先任を引き継ぐ形で、坂本龍馬、彼が船の頭目的にはなって行った様だ。
そしてここからが真に面白い所で、所謂“薩長”の闇取引が西郷・坂本を立てて進んで行く毎に、ビジネスとはちょっとニュアンスの離れた趣きに変質して行く事。

押さえるべき点は?
西郷も坂本もカネカネしていない。

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