🏛️エレンコス〜問答 📌2024 4/13 昭和から令和への渡し守

📌2024 4/13  昭和から令和への渡し守

また残念な人が一人。高評価したい人が目に止まらないのに、この手の話は実に喧しく、すぐ登場する。何と残念な年か。今回で挙げる残念な人は川勝平太氏になる。しかし、毎月残念な人がトピックとなる。毎月“今月の残念な人”を挙げて小論書こうか?実にネガティブな事だ、止めよう。

まず最初に田中角栄の言葉を引用。但しオフレコで言ったとされる無防備な物だから、本来田中の言葉として引用するのはNGかも知れない。

“現場で一生懸命働いてる土工さん、お百姓さんの悪口を言ってみろ、わしがぶち殺してやる!”

…大変センシティブな引用文で、申し訳ない。ただ、川勝氏の話が聞こえて来た時、すぐに田中のこの言葉を思い出した。これは庶民の慨嘆。要するに、何でこんな事言うのかな?高い公の役職者が。ああ、田中角栄さんが生きてたらな…こう言うんじゃないかな…と。無論、田中が上記の言葉を言うかどうかは判らない。だが庶民な者故、こんな事を期待してしまうのである。

川勝氏の問題発言、これは非常に響きが冷たい。
一方、田中の言ったとされる言葉は暴力的ではあるが、温かい。

この差は?

恐らく川勝氏は、育ちが非常に良いのだろう。だから肉体労働に勤しむ人々とはあまり接点無く歳を経て、現在の要職に就いた。いや、苟も一公共機関の首長、そんな解答は許さない!との向きもあるだろう。それが炎上して現職の辞職まで詰められた訳だが。もしかしたら、この人物はもうこの職自体嫌だったのかも知れない。早く辞めたいな、と。いつまでこれをやればいいのか?…などと心のどこかで思っていた?無防備な、もっと言えば無意識に出た言葉にこそその人物の真意がある、とはフロイトか言った。

昭和の末期に生を受けた我々、どうも昭和から令和への“橋渡し”の役目がある様だ。最近、長嶋茂雄だの田中角栄だの、やけに脳裏にその言葉や勇姿が過ぎる。そしてその生き様に、何か我々の、そして次世代の学ぶ所はないか、吟味してしまう。

今、最現在、上記の田中の発言(しつこいがオフレコ)、これはパワハラにもなり得るしモラハラにもなり得る。これが漏れれば、オフレコでも天下の角栄とはいえ一発で辞職を国民から迫られる。何と言っても、情報ツールの超加速化時代だ。故に、NGである、公の者として。だが、川勝氏及びそれに類似した人物が田中のテリトリーにいたとして、次のリーダーにせんが為人前に出て恥ずかしくない様育てる、一人前にする、俗に言って“シメる”、“クンロク”かます、そんな人がいて欲しいな、と童心めいた願いがホッと湧く。

川勝氏の発言、これは“昭和”の感覚ではなく、個人的な感興である。昭和の権化、田中が聞いても怒るだろう。

最後にロジックとして。
“差別”という言葉に本来悪い意味はない。寧ろこれは論理用語だ。例えば、“事象A、Bとあり、これを差別化して考える”、と。何が本当はいけないのか?

“蔑視”である。

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