山本太郎の棄権について

山本太郎の両論賛否が沸き起こっている。
本人はブログを公表し、その内容についてだ。

山本太郎『棄権について』
https://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12484345740.html

山本太郎の棄権で騒ぎ始めた時、私がまず思い出したのは、先日、友人とLINEで交わした内容だ。

給料とか残業の話になって、法律ではこうなっているという話をして、選挙に行こう、と初めてその子に声をかけた。

答えはふざけたスタンプが返ってきた。彼女にとってのNOである。
その時には怒りがこみ上げたが、今は仕方ない反応だよなって思って留飲を下げている。

彼女の反論はこうだ。

「なるようにしかならないんだから、そういうことはTwitterでつぶやいていてほしい。畑違いだし、私には無理。同志を見つけて、話が合う人とだけ話しておいて。足掻いたところで無駄だし」

その後、いろいろ言ったけど、彼女は話をぶった切ったので、話は終わった。
これだけ、ひどい拒否を受けるとは思わなかったし、自分と相手との隔たりを大きく感じた瞬間である。

彼女にはもう少し選挙に行こうと誘うつもりでいる。
でも、今回の参議院選にはいかないだろう。

彼女について、説明を入れておくなら、彼女は中学校以降の教育をほぼ受けていない。知識は小学生以下だ。
それでも、社会に揉まれて、立派にフルタイムで社会で働いている。
彼女は極端な存在だけど、日本で育った人のほとんどは、似たような感覚にちがいないと思っている。

夫は大卒だがノンポリである。
長い時間がかかったが、誘えば選挙に行くようになった。

最初は行ったって無駄、誰がやっても同じ、と言っていたが、一回選挙に行ってみると国政について考えるようになったようだ。
何より、萌芽として、彼が消費税に反対という明確なスタンスがあった。それもなければ、選挙には行かなかっただろう。

山本太郎の棄権について支持しないし、間違っていると思う。
他の頑張ってきた野党に対して詫びたとしても失礼だと思うし、その努力を踏みにじる行為だ。

だけど、山本太郎だけを責めてもいいんだろうか。

既にたくさんの国民が、安倍政権や与党に反対、消費税に反対するなどのスタンスを持ちながら、投票を棄権している。

ずいぶん前に、ウーマンラッシュアワー村本が選挙は棄権すると表明して物議を醸した。

そういう国民がたくさんいる。
白紙投票や棄権は、政治を信用できないという意見表明だと詭弁を述べて。

投票そのものがどれだけ尊いことなのか、こういう人たちにいくら訴えても無駄だろう。
説教なんてもってのほかだ。心は離れていくにちがいない。
投票に価値がないという人たちに、どうすれば寄り添えるんだろう。

山本太郎の棄権で、投票に価値がないと考える価値観が炙り出されたように感じている。

山本太郎は、政治の素人だ。
演説を聞いていると、その表現のうまさに、彼は本質的には役者なのだと痛感する。

彼が役者だからと言って、政治家に向かないと論じるのは、私はNOである。

今の政治に何が欠けているのか。それは、多様性だ。
元をただせば、長い時間を政治家と過ごしてきて、外界を知らない議員が多い。

小川淳也議員が、今年の3月1日に言った言葉を思い出す。

「最大の闘いの対象は、実は、安倍政権でもなければ自民党でもない。私自身を含め、真に闘うべき対象は、この国民のあきらめなのではないか。国民とともにこのあきらめと戦うために、まずは私たち自身が確固たる意思を持って、自らをはげまし、自らの絶望やあきらめと敢然と闘い続け、そして常に国民とともにあるその姿勢を示し続けなければなりません。
国民は気付いています。現政権の体質にその本質に気付いています。微妙に、敏感に、しかし確実に感じ取っているのです。」

そう、国民のほとんどはあきらめている。
先のLINEの彼女は、あきらめている。

投票が無価値で諦めている国民に対して、似たような諦めを持ちながらも戦おうとする山本太郎は、共感せざるを得ないだろう。

山本太郎を責めることは、投票を棄権する国民すべてを責めることと同義だ。

そのことを野党含め、国会運営についてモノ申す人たちは考えたほうがいいのではないだろうか。

野党は努力している。国会を見ている人は知っている。
だけど、それは、多くの人には伝わらないし、結果も出ていない。

その事実だけは受け止めておいた方がいい、そう思う。

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