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帰ったら、海に行こう。

ある意味、毎日悠々自適な生活をしている。

今日10日ぶりに専属ドライバーのウィリアムのモトタクシーに乗った。
町の中心部にある銀行にいくため。
大金を持って帰るので待ってて、とお願いしようと思っていたけど、おじちゃんは当たり前のように待っててくれて、無事に家まで送り届けてくれた。

その後ろ姿をみながら、やっと日本に帰る実感が湧いてきた。


正直、一時退避帰国になっても特別な感情にならなかった。
どんなことでも”受け止める”力がついたのかと錯覚するくらいに。

世界中に散らばった同期たちのいろんな感情をみても
本当に、自分は「未練がない」と思っている。

あれだけ憧れていた国際協力をしにきていたのに?
貴重な2年間を注ぎ込むつもりできていたのに?
世界一の体育教師になりたかったのに?
退職して、青年海外協力隊になったことで自分に誇りを持っていたのに?
出国前は、高まるいろんな感情で燃えていたのに?


本当に未練がない。
「どうせまた任地に戻れるんだから」
「少しの期間だけだろうし」
とかそんな気持ちもあるのかないのか。

仮に日本滞在期間が長引いて、再赴任した際の残りの任期がどんどん短くなったとしても、構わないと思っている。


一昨日は書き殴ろうと思っていた感情も上手く書けなくて
昨日も書く気が起こらなくて
そして今日。

今の自分の感情を、一番しっくり表してくれる言葉を見つける事ができた。





他人事


「全隊員のみなさんには、一時帰国をしてもらうことに決定しました。」
事務所からのメールを見ても
同期たちから噂として聞いていても

「ああ、そうなんですね。わかりました。」
出国日はいつなんだろう?
国境封鎖されて今月中は動けないよなあ?
とか考えることも脳が鈍くなってきた。

なんか、どうでもよくなってきた。


JICAとしての大きな決断、国を挙げての事業であること、隊員の安全を一番に考えてくれたこと、帰ってからも何らかの生活の保証があるだろうということ、にはとても感謝している。
特に各国の事務所スタッフは今頃本当に大変だと思う。
守られていて、身を預けられる立場だから呑気なこと言ってられるんだとも自覚している。
個人できていたら必死こいて、情報集めて、次の手を打って、危険と隣り合わせで・・・

JICA海外協力隊は守られている。ありがとうございます。



一番の自分の心配事としては
日本に帰れるかどうかよりも、再赴任がいつになるのかよりも
「再赴任が決定する時、またペルーに行くぞ!っていうモチベーションがあるのかどうか」である。

3ヶ月ペルーに滞在しているのに、体育隊員としての活動日数は8日。
学校が夏休み明けてたったの8日で休校し、非常事態宣言からの一時退避帰国である。

体育の授業は、月火木金の週4日しかない。
第2週目の水曜終了時点で休校になったので、オリエンテーションでの自己紹介をしたっきり次の授業がないクラスもある。

「2年間体育を教えるからよろしく!」って言っておいて
次に学校が再会した時には
「あの先生は今日本に帰っています」って面白いな〜
って考えて呑気に笑っている。





決して落ち込んでいるわけでも悲しんでるわけでもなくて
本当に無気力、脱力、無関心に近い「他人事」なんだなあ。

楽観主義と悲観主義の両面を持っているけれど
今はどっちでもないというか。


ペルーでもニートしてたのに
日本帰ってもニートかあ。人生の夏休み長えよ。って感じ。


日本帰ったら
まず心配かけたばあちゃんに会いに行って、愛犬に癒されて
ジム通って、昔習ってた空手道場通って、図書館行ったりするかなあ
って考えてたら、ん?空手道場?配属先に求められてることじゃん
任地戻った時のための動きしようとしてんじゃん
って自分にツッコミを入れた昨日。あれは笑えたなあ。



JICA海外協力隊として国際協力に関わる以上、途上国への貢献、社会や世界を良くしたいと切望すること、誰かのためになること、そんな想いをもってないといけないのか?もれなく全員が?

他人事でどこか冷めてしまっているだけで、自分の根っこには熱い部分がもちろんあると思う。
自分だけ自分だけ、って悲観するのは良くないけど、世界中の同期が活動バリバリやっていたり、壁にぶち当たったりしている時に、自分は活動すら始まっていなくて。葛藤とも呼べないこの苦しかった感情しかこの3ヶ月では残っていない。
他人と比較するな、って簡単なことじゃない。だってたったの8日だ。

「ペルーに何しにきたんだろう?」って100回以上考えた。
この言葉が一番厳しい、言葉だな自分にとって。

だからある意味任地を離れることに、とびきり寂しい思いをしなくて済むのかもしれない。


自分の任地には、他に協力隊員もいないし、日本人もいない。
0から現地の人たちとだけ生きてきて、町を歩いてたら「おお!」って声をかけられる友達もできた。それは、自分の財産だ。

正式にJICA事務所から帰国連絡がきたのに、同僚たちにも、ホストファミリーにも、現地の友達にも言っていない。日本の友達にも言っていない。

学校が休校になった日に、
「当分休暇だぜ!楽しもう!」って言ってたいつもふざけあう同僚と
『Hasta la vista, Baby』ってシュワちゃんの真似してバイバイしたのに
本当に当分会えなくなった。
「おいおい!現実になったじゃねえか!」って電話で笑い合う姿が今から想像できる。





今あれこれ考えても先のことは分からないし
”人生何が起きるかなんて本当に分からん”って事が、この3ヶ月の中でもコロナ以外に、とてつもなく大きなこととして身に降りかかってきたし
ただ1日の24時間を生きるだけに必死だった時もあった。

それなりにいろんなことは経験していたつもりだったけど
28年間生きてきた中で、最もキツイ3ヶ月だったなあ。
でも今後何が起きても、余裕な気がしている。
乗り越えて生き延びた自分に感謝できる日がいつかくるのを待ちたい。



またペルーに戻りたいと思うのか
もういいやってなるのかは
数ヶ月後の自分に任せるとして。

帰国に向けた荷造りはどう考えても
今の自分がやるしかないので、今の自分に任せる。

(行きは荷物3つokだったのに帰りは2つって無茶だろ!)



1ヶ月後、半年後、何年か後の自分に宛てて。

#人生 #JICA #青年海外協力隊 #ペルー #日本帰国

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