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映画の感想:かがみの孤城

こいつ、noteを日記だと勘違いしてないか?
qiitaとかそういう場所だと思っていた筈なんだが
まあいいや。ここは公文書ではなくインターネット文章を練習するためだけのアカウント

遅れ馳せながらかがみの孤城という映画を見にいったという感想文。結論から言うとこのnoteはこれを叩きます。

よくアニメ映画を見に行くインターネット重症の友人がいるのだけど、こいつとすずめの戸締まりを見に行った時に予告編でマークしていたのがこの映画。その時は彼とバックボーンの違いから映画に関する感想が全く異なる体験をしたんだった、と思い出しながら映画館に。
人と映画を見ると終わった時の感想のことばかり考えてしまい良くないんじゃないか、と感じつつ、その場その場で言語化し脳が噛み砕いた感想はいつまで経っても残るので何かしらのメリットを見出せるようなたぐいの見方らしいことがわかった。

以下ネタバレ含有。

序盤。無。
自分は小学生の頃、弄られ役がちで、カーストが低く、本の虫だった。周りにも、特に家庭内で馬鹿みたいに被支配的な位置を強いられている子がいた。それはすなわち、いじめ、ハブ、そういった子ども社会の残虐性とか、視野の狭さとか。そんな現実は小学校のリアルにも、図書室の本棚にも溢れるほど落ちていたということ。
だから、ああこれかと話を追うだけ。スカートの人間の足を引き摺ったら見えるだろ、とかそんな些事にばかり気を取られていた。こんなふうな現実が現実では見えていなくて描写に心が締め付けられた人は幸せに生きて来たと思う。是非そうやって自らの理解のうちに毒を含んで欲しい。

共働きの場合、子供は家に一人になる。たぶん、一度そこまで追いやられた子供は1人で世界に立ち向かっていくことはできない。一人でいる家では、ほとんどの子供は、人生が過ぎ去ってしまう時間への恐怖と、そんな時間を使いながら外に一歩も踏み出せない自分に対する絶望をやり過ごすのが精一杯だと思う。学校に行ったって、ひとは特に何もしていないのに。

だからというか、少なくとも今回の描き方で、孤城というぬるま湯の安心感が不健全なのは誰の目にも感じられた通りで、それは最終的にこころを救ったのが孤城でないことがいちばん分かりやすい証左なのだと思う。そもそも学校に通うことが正義なのかとかそういう話は一旦置いておこう。あの場のみんな学校に行った方が良いとは思ってたんだし、ウレシノ君も学校マウント取ろうとしてたし。うんうん、普通が自分に当てはまるとは思わないのはわかるよ。でも子供の世界の前の向き方なんて学校くらいしかないんじゃないの、と思うのよ。

リオンくん、あの場所にいる意味あるのかな。いろんな事情を並べるために人が多いのはわかるんだけど、特に問題のない人がいるのはあまり、必要を感じない描写だった。舞台装置のからくりが分かってもそれは変わらない。

中盤。いろいろなことが分かり始めるあたり。
ああ、「君の名は。」か。年齢差のある邂逅、最初に思いついたのはコレだった。時をかける少女とか言ったほうがオタクらしいんだけどあいにく未通過。若さが何にもならない例。
SF的な舞台装置はよくあるし、あまり興味がなかったので、どうやってこのメンバーは現実に折り合いをつけるんだろう、というところに着目していた。結局、あの城が寄りかかる腰掛けであって、それ以上の何も起こらない、ただ時間が少しずつ歩みを形にしてくれるだけだったらしいけれど。でも、そういうことって、フリースクールもやっているんじゃないかな、とか思ってしまった。世界には孤城がなくてもキタジマ先生は狼さまだと思う。

性的暴行未遂の件。誰も、らしくなく触れようとしなかったのは何故なんだろう。中学生は、自我はほとんど大人と変わらず、無限に続く悩みの螺旋に囚われているのだと思うのに。子供子供と言っていたけれど、あの場面は幼く描き過ぎているものを感じてしまった。
友人はいじめっ子の真田や義父への解決感の無さを問題として挙げていたけれど、自分はさして問題と感じなかった。だって現実はいじめっ子を大人として生産する確率のほうが遥かに高いのだから人間の追い詰められ方は共感が持てて、取材を感じて大変良かった。

声優ネタは要らない。
そもそも演技がコナンすぎたけれど、あれは単なる悪ノリだった。
いらない。

終盤。演出として気に入らない場所が多くて、カクカクモーションのCG、ブラフと一言挟めば良いと思っている伏線のなさ、オルゴール、存在する意味あったか?など。ピアノやってるフウカがオルゴールを分からないのは解せなかった。
願いの部屋の中、こころファイナルアタックライドしてませんでした?
キタジマ先生=アキ、の冒頭の焼き直しシーンなんて、野暮な演出のオンパレード。原作では意味があったらしいが、差し出した手を逆にするだけで良かったんだと思うのに。

やはり孤城はこころを救わなかった。
言いたかったことはこれなのだと雑に考える。

雑と言えば、舞台装置の二人だけ、やっぱり話から浮いていた。というか、途中から主題が明らかにそちらにズレていて、全体として誰の話がしたいのかを急激にぼかされた。萌ちゃんとの会話があって、こころの物語はあそこで終わったと言いたかったんだろうか。そうだとしたら、映画の制作陣がそれを理解していたかは怪しいと思う。

エンディング、というよりエンドロール。とにかく不満で、10点満点から2点が引かれた。素直に現実ですれ違うシーンで良かったのに、リオンのお姉さんが消えていく様を何度も何度も見せつけられる。代償なんて一回で分かるんだよ、一回で。楽しかったデートの帰り道電車から降りると一人で土砂降りに見舞われたような不快感に見舞われて、映画の幕は閉じた。

あと音楽のバランスが悪い。盛り上げたいポイントも微妙に外れてるし、音量が1と100しかない感じ。

以上がこの映画の自分による感想。自分を用いて他人の作ったものを語る自分語りのそのカケラでした。総じて、本筋とは別に引っ掛からされて勿体無い映画体験であったと思う。

以上。

なんでこころちゃんラストで昇級出来たんでしょうね。勉強してたのかな。それはとても偉いぞ。

一番不快になったのは感想を調べている時に泣けるか泣けないかで映画を判断している人に出会った時

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