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AKATSUKI FIVE とともに戦った6年、人生変えた“バスケ愛”

「みんな、やっとバスケのおもしろさに気づいてくれました。遅いよ(笑)!」 

8月25日にさいたまスーパーアリーナで行われたバスケットボール男子日本代表の国際強化試合、チュニジアとの一戦には、史上最多となる1万8377人の観客が訪れました。チームカラーの赤で染まった客席に、選手を後押しする大声援、歓声。冒頭の言葉は、アリーナにつめかけた大観衆を前にして、当社のバスケットボール担当、佐藤葉(さとう・よう)が口にした言葉です。

2月25日、バスケットボール男子日本代表はワールドカップアジア地区2次予選の最終戦でカタールを96-48と圧倒し、開催国枠で出場した2006年大会以来の本大会出場を決めました。自力での出場は1998年ギリシャ大会以来、実に21年ぶりの快挙。8月31日に上海で開幕するワールドカップ、そして44年ぶりの出場となる来年の東京オリンピック。年々活性化するBリーグに、八村塁選手、渡辺雄太選手らのNBAでの活躍。今、日本には空前のバスケブームが来ています。

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しかし、ほんの数年前まで、日本のバスケットボール界は国際試合への出場停止の措置を受けるなど、厳しい局面を迎えていました。私たちアンダーアーマー(株式会社ドーム)がバスケットボール男子日本代表のサポートを始めたのは2013年。冬の時代を共に乗り越えて今があるのです。そして、佐藤は当時から変わらず、ずっと日本代表を支え続けています。

バスケットボールへの恩返し

佐藤が大学を卒業して、最初に就職したのは外資系の金融機関。
「同じ時間働くなら、お金をたくさんもらえる方がいい」
とてもシンプルな理由でした。しかし、激務に奔走する中で、少しずつ考え方は変わっていったそうです。

佐藤
お金を稼ぐために入った会社だったので、仕事の内容が好きなわけではありませんでした。激務の中で時間の大切さに気づき、限られた人生の時間をどのように使うかと考えた時に、自分の本当にやりたいことはバスケットボールだとあらためて実感しました。
学生時代は部活を通して強い精神力と体力が身につきましたし、アメリカに留学した時は、最初は英語がまったく話せなくて苦労しましたが、バスケがきっかけでコミュニケーションが取れるようになりました。仕事で辛い時は週末のバスケ観戦を楽しみにしてがんばれました。多い時には1日に2試合、3試合は当たり前。大学、社会人中心に年間80試合くらい見ていたんじゃないですかね(笑)。こんなに素晴らしいバスケットボールというスポーツを、もっと多くの人に知ってほしい。バスケに恩返しがしたいと思ったのです。

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縁あって日本バスケットボール協会へと転職した佐藤は、それまで協会としてほとんど取り組んでいなかった普及事業の立ち上げに参画。「バスケキッズフェスティバル」と題した、小学生にバスケットボールの楽しさを伝えることを目的としたクリニックを企画し、講師役の元日本代表選手らとともに全国各地を回りました。

そして2013年に新たな転機が訪れます。
アメリカのアンダーアーマーがバスケットボール事業に本格参入し、ほぼ時を同じくして日本ではアンダーアーマーが日本代表のサポートを開始することになったのです。契約に至る背景について、国内総代理店であるドーム社長の安田秀一はこのように証言しています。

安田
日本バスケットボール協会の理事の方が改革に対して非常に熱心でした。リーグの分裂、そして内部で意見が分かれて一枚岩になれない協会。そういった現状を打破したいという強い熱意に動かされました。日本のバスケットボール界は将来必ず良くなると確信できました。人が持っているパワーやエネルギーでサポートを決めた、ということですね。

日本協会とタッグを組み、バスケットボールを日本の一大スポーツ、成長産業とすることを目標に掲げるアンダーアーマーに、佐藤は大いに影響を受けました。

佐藤
協会の仕事に不満があったわけではないのですが、劇的な変化をもたらすには日本のバスケットボール界の常識にとらわれない、外部の力が必要なのでは、とも思うようになっていました。協会の内部にも強い変革への意思を持つ方がいたのですが、アンダーアーマーの一員として、協会の内部からではなく別の側面から日本のバスケットをサポートしていきたいと思いました。

大好きなバスケットボールを仕事にできたことに一定の充足感を得ながらも、佐藤は、アンダーアーマーへの転身を決意します。しかし、話はそれほど簡単には進みません。

佐藤
日本代表は弱かったですし、代表戦でさえ観客数が2000人程度。選手も有名じゃないし、リーグの分裂で国際バスケットボール連盟から国際試合出場停止の処分を受けてそもそも試合ができませんでした。選手のモチベーションも上がりませんし、まさにどん底でしたね、、、。 さらに言えば、日本代表をサポートするアンダーアーマーの体制も十分ではありませんでした。

当時を知るオンフィールド部部長の樋口亜樹浩(ひぐち・あきひろ)は、その時の苦労についてこう振り返ります。

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樋口
アンダーアーマーではそれまで日本代表のような大きいチームをサポートした実績がなく、ノウハウが十分にありませんでした。商品の生産や供給をはじめとして、あらゆる体制が十分に整っていませんでした。例えば、4XLなどビッグマン向けのサイズはラグビーやアメフトの規格に基づいており、丈が足りなくて作り直しになることがありました。全部が初めての経験です。最初の頃はかなりお叱りも受けて、相当苦労したはずです。

どん底から躍進へ

苦労しながらも日本代表のサポートに奔走した佐藤。
そして2016年にBリーグが開幕し、日本のバスケットボールは新たな時代を迎えます。約3年の業務を通じて築いたノウハウと信頼を武器に、佐藤はBリーグの各チームのサポートにおいても奮闘します。「日本のバスケットボールは必ず盛り上がっていく」。バスケに魅せられ、励まされ、育てられた佐藤の信念はぶれることなく、契約チームのスタッフ、選手らに寄り添い続けました。そして、日本男子バスケットボール界に「どん底」の時代から間近で見続けてきた佐藤の目にも変化が映るようになってきます。

佐藤
たくさんの人に見られている、応援されていることによって、選手のプロ意識もすごく高まってきたと思います。Bリーグの設立以降は代表戦も含めて目に見えて観客数が増えてきましたし、バスケットボール界が変わったな、と感じるようになりました。リーグと日本代表、どちらか一方が盛り上がるということはありません。お互いの相乗効果によって発展している、というのは間違いないです。このタイミングに八村選手のようなスターが現れたのはラッキーですよね。
今、これだけバスケが注目されているのは八村選手のおかげなので、本当に感謝しています。しかし、今まで人気がなく、取り巻く環境が良いとは言えない中でもずっとがんばってきた選手たちがいます。日本のバスケ界の今の盛り上がりは、そういう人たちが支えてきてくれなければありえなかったと思います。。だから、選手たちが報われる時代になったというのがとてもうれしいです。

そして男子日本代表の躍進は皆さんご存知の通りです。8月31日に開幕するワールドカップでは9月1日の初戦でトルコと顔を合わせ、3日にはチェコと対戦。そして5日にはNBA選手がそろう優勝候補筆頭のアメリカに挑戦します。

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取材の最後に、こんな質問をしてみました。

「アンダーアーマーが日本代表のサポートを始めた6年前、バスケが日本でこれだけ人気が出ると思っていましたか?」

すると、佐藤は笑顔でこう話しました。

佐藤
もちろん!必ずこうなると思っていましたよ。でも、まだ途中です。
これから、もっともっと盛り上がります。

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これまでもお伝えしてきた通り、アンダーアーマーのミッションは“Under Armour makes you better.”ですが、それを達成するためにアンダーアーマーが大切にしている大事な価値観の一つを最後に紹介したいと思います。

FIGHT ON TOGETHER
(ともに戦い続ける)