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星のおじ様 ーニシノユキヒコの恋と冒険ー

『ニシノユキヒコの恋と冒険』を観終わったとき、『星の王子様』を思い出した。

冒頭から空と鷹の映像が長く続き、この映画は好き嫌いが分かれそうな作品だと率直に思った。
作品の放映自体は2014年だから、今よりも少しだけ時間の流れがゆっくりだったように思う。
2024年の今、颯爽と吹く風のように物語の展開が早く、飽きさせないスピード感が主流となっているからか、本作の緩やかな、ジワリと来る展開を面白みがないと思うかもしれない。
個人的には、面白い試みだと思っている。
この映画は無言であったり、カメラワークを敢えて止めているシーンが多い。観ている側は、キャラクターやその背景が移り変わる様を見て、目に見えない大事なことを心の目で見るよう求められていると感じた。

ここで、冒頭の『星の王子様』が浮かび上がってくる。
大事なものは目に見えなかったり、声にならなかったりする。
主人公『ニシノユキヒコ』は登場する女性たちの声にならない声や大事なものが心の目で見えている。
砂漠のどこかにある井戸や、星のどこかにある一輪の花のように。
隠された美しさを見つけて愛でる事が『ニシノユキヒコ』の才能であり、
その才能に振り回されて、誰を一番に愛するか順位をつけられなかった人。
何とも人間らしい『星の王子様』と『バラたち』だ。

女性たちの一人である『マナミ』は、みんなを代弁して彼に伝えている。
「ユキヒコは誰も愛さない」
この言葉はドキッとさせられる。
愛は順位をつけないと愛にならないのか。
誰も彼も平等に大事にすることを愛とは言わないのか。
『ユキヒコ』は愛すること自体を知らず、恋ばかりしているのか。
女たちが考える愛と『ユキヒコ』が考える愛は決定的に違っているように思える。
多分、『ユキヒコ』は本当に愛したい対象が異なっていたのかもしれない。
『ユキヒコ』は望みを口にしている。
「結婚して娘が欲しい」
この「娘が欲しい」が『ユキヒコ』の最上の愛だったのではと思っている。
つまり、女性たちには愛する順位をつけられないけれど、娘とは特別なものだったのではないか。
娘ができても、みんなを平等に愛することは変わらないかもしれないけれど。
冒頭、『夏美』と別れる際の喫茶店で、彼は彼女である『夏美』と同じものを注文せず、敢えて彼女の娘の『みなみちゃん』と同じパフェを注文した。
『みなみちゃん』は不貞腐れていたけれど『ユキヒコ』は嬉しそうだった。

それから、『ユキヒコ』があっけなく死んで、彼が幽霊になってでも最後に会いに来たのは『みなみちゃん』だった。
『みなみちゃん』は『ユキヒコ』が喫茶店でくれた子供が好きそうにない「犬の置物」を、大きくなっても大事に持っていた。
彼女にとっては家出した母親『夏美』との接点であるだけでなく、それ以上の何とも形容しがたいものを秘めているように思う。
『ユキヒコ』と『みなみちゃん』のやり取りは、親戚の叔父さんのようでもあり、父親のようでもあり、彼氏のようでもあり、とにかく、とても特別な関係を築いていた。さしずめ、『ユキヒコ』は『星のおじ様』だ。

『みなみちゃん』の心情は様々なシーンで『みなみちゃん』が語らずに表現されていた。
お家の庭、水やり、電車、坂道、変な演奏、海岸線。
其処かしこに『ユキヒコ』との関係性と、『ユキヒコ』の望むものが隠れているように感じた。
娘と過ごす日常。

最後は再び冒頭の喫茶店に戻る。
そこで家出していた『夏美』と三人で会話をするけれど、『夏美』は決定的な事を『みなみちゃん』に告げる。
『ユキヒコ』とは恋で、『みなみちゃん』を生んだことは愛だと。
これって、『ユキヒコ』にとっても同じだったんじゃないだろうか。
『夏美』には恋をして、『みなみちゃん』という彼女の娘と3人で過ごせることを愛したのではないだろうか。

『ユキヒコ』の幽霊が消える前、『みなみちゃん』とデートしたかったと告げたけれど、これは恋というより成長した娘に対する言葉だったように思う。
この映画は俳優さんの演技があるから、特に『マナミ』『昴』『タマ』は凄さを見せつけられた感があるけれど、それでもやっぱりラストシーンが一番好きだと感じる。
『みなみちゃん』が『夏美』にお帰りと言うシーン。
『みなみちゃん』は自分が愛されていると知って、振り返るシーンは何とも心があったかくなる。
『ユキヒコ』が望んだ愛は、やっぱり『みなみちゃん』に向けられていたのでは、と思えてならない。

本作は原作がある。
未読だから原作の意図は紐解けないけれど、この冒険の終わりに愛に気付き、娘を愛することで『ユキヒコ』は『星の王子様』になれたのだと思っている。

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