見出し画像

私の定義。

この間、友人と話をしていたら、友人が

私の最推しは私だから、自分にだったらいくらでも
お金かけたり、自分のことを大切にするようにしてる。

ということを言った。

すごく驚いて感銘を受けたあと、ふと私にとっての私はなんだろう…と考えた。
友人の言う、「どんな状況においても私が最推し」と言うのはものすごく彼女らしいマインドだと思った。彼女は中学からの知り合いなのだが、当時から「私すごくナルシストだから、自分が大好き。どんなにダメだったりしてもそれを含めて自分が愛おしい。」と言っていた。

私は昔、それの意味が実感として理解できなかった。なぜなら昔から私は自分のことが大嫌いだったから。
人より要領が悪く、失敗も多く、みんながみんな私より優れて見えて、私には悪い所しかないと思っていた。そんな自分のことは愛せなくて当然だと思っていたのだ。自分のことが嫌いで憎くて仕方なかった。
多分彼女ならそれでも自分のことが好きだと言うのだろう、でも私はそうはなれないと感じていた。

昔から自分のことは大嫌いだったが、ある時Twitterで流れてきたブログで自分嫌いは自分を知らないだけという記事を見つけた。

自分のことを知るために、紙に「私は○○です」というふうに自分の自己紹介を書いてみましょう。初めはすんなり出てきますが、だんだん出てこなくなります。人は自分のことを知っているようで、意外と知らないのです。

という旨の記事が書いてあったので、やってみた。
やってみたら確かに自分の自己紹介を書き出してみるのは難しかったし、私は意外と自分を知らないことにもとても驚いた。

それがきっかけになり、自分は何が好きで何が嫌いなのか、どんな人間でどんなことにどういう気持ちを覚えるのか…などに興味を持つようになった。そこから、自分のことを知るために新しい趣味を始めたり、やりたくないものを嫌だと言ってみたり、なるべく自分の心に正直に動くように心がけてみた。

そのおかげか、最近ようやく自分のことを自覚することができるようになってきた。まだまだ自分の完全な理解には至らないが、だんだん自分の機嫌の取り方も分かってきた。そうしたら、いつの間にか自分のことが嫌いで憎くて仕方ないという感情がだいぶ緩和されていた。

冒頭の話に戻るのだが、私が今「私にとっての私」を定義するのであれば、

私にとって私は戦友である

と考える。嬉しい時も悲しい時も、腹が立って仕方ない時も基本的には私が常に横にいる。
自分のことが長年嫌いで、理解出来なかったけれど、歩み寄って自分のことを知ろうとしてみたら別に悪いやつではなかったし、とてつもなく不器用だったけど身の回りにあることに対して懸命に努力して戦ってくれていたのだ。
これからも自分の弱さや周りとの関係とかで悩むことはあるし、それと戦っていくのだろう。
だから、私がそれと戦っていけるように、私は横で何ができるかをずっと考えていきたいと思った。

こんなことを言いつつ、私は私としょっちゅう喧嘩して、上手くいかない時に自分を責めてしまったり、自分のことが嫌になったりすることはまだあるが、その度に自分は頑張って戦ってきたんだぞ、ということを心がけて、自分をいたわるようにしていきたいな、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?