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桜木花道によろしく⑦

 傲慢だと思う。身勝手だし不遜だし、ただの自己満足でもあるし、周囲がこうむる皺寄せなんかに全然考えが及んでいない無神経な行為だろうし、唾棄すべき自己陶酔だとも思う。
 放課後、体育館に続々と部員たちが集まってくる。コートと舞台との段差に寄りかかったまま手を小さく挙げて、後輩の挨拶に応える。手前のサイドラインから奥側に向かって、黒く埃が付着した黄色いモップが走っていき、一巾分ずれて戻ってくる。
 いつも通りのハーフコートで、逆側は女バスだ。天井から下がった緑の網の向こうは、バレー部の男女が鉄のポールを床に刺し、黒いネットを張っている最中だ。
 肘を張り、胸の前でボールを構える。スティールに伸びる腕を用心して、右脇に逃がす。頭の上にあげてフロアを見渡し、左脇に逸らす。見事にフェイスアップした姿勢で、右脚を左に踏み出し瞬時に身体を仰け反らせてシュートモーションをつくってから、右に一歩喰い込ませる。
 判を押したようにスリーポイントライン際で、ディフェンスを想定して一対一の練習を黙々と行なっている。軽々と、ロングシュートを放つ。一発一発に乱れはなく、とても画一的な、堅牢に固められた教科書通りのフォームだ。わずかに外へ向けて返した掌を、リングにボールが到着するまで掲げつづける。バックスピンがネットを巻き込み、砂利ついた音を奏でながらボールが突き抜けると、まだ余韻の残っている回転が板の表面に噛みついて、持ち主のもとへと忠実に跳ね返っていく。数歩迎えに行く。腰をかがめて拾い上げると、その場で柔らかく跳びあがる。雑味がない一連の動作で投射する。
 別に注目しているわけではないのに、同じ動画を終わりなく観させられているような、意識が肉体から離れていく気分に陥る。
 岩美川高の7番、いいシューターだった。鞭のように使う腕が独特で、粘っこいリリースからねっとりとネットに絡みつく。他にも竜泉に、つい最近練習試合をやったばかりの森山高校にもいたし、それなりの確率を誇っている3Pシューターなどはどこにでもゴロゴロしている。
 そんな時は決まって、ゾーンを無視して暴走し出す。まるでボックスワンみたいに一人だけオールコートマンツーマンをはじめて、3Pシューターを潰しにかかる。前から必要以上に激しく当たり、ドリブルの隙、ボールが床に着く瞬間、跳ねる間際を狙って、執拗にスティールに飛び込んでいく。そういう光景を、ここ何試合かの中でよく目の当たりにした。いや、よくよく思い返してみると復帰する以前からその傾向はなくはなかったけれど、最近は著しく顕著になっているように感じる。
 チームへの献身とはとても見なすことができない、ちょっと度が過ぎた執着だ。
 実力の誇示か、格の違いのご教授か、自分以外の3Pシューターを殲滅するつもりなのか、普段以上にディフェンスに熱をあげる。怠慢だ。勤勉ではない。表向きのその貢献は、実は個人的な敵愾心でしかない。奇しくも、ものすごく低俗な内心を露呈してしまったあさましい行為なのだ。無我夢中になって相手テームの武器を潰しにいき、さらには自らの得点も重ねているのかもしれないが、常にその意識を保てないのであれば、それは怠慢と呼ぶのだ。 
 半円のラインよりも二メートル以上遠くに離れて、通常より多少力んだフォームでシュートを放ち出す。ゲームでは必要のないロングレンジから狙い、ルーズボールを拾いにいく。ドリブルをついてセンターラインあたりをうろつき、長さとリングを見定め、強張ったリリースでボールを撃ちつづける。「あれ、NTBだってさ。」
 隣に来た加納が教えてくれた。
「なにそれ。」
「俺もなんかよく知らんけど、南城・特待・ボーイには負けない。っていう意味だって。」
 ちなみに、Bはダブルミーニングで『BOMB』も指すようだ。
 南城大付属高校の一年生シューターが県大会の準々決勝で超ロングシュートを成功させて、敗戦濃厚だった試合を見事逆転に導いたという噂が流れた。終了間際のその一発で形勢はガラリと一変し、とうとう土壇場で同点に追いついて延長戦にもつれこんでもその勢いは止まらず、明らかな格上相手にとんでもないジャイアントキリングを演じてみせたそうだった。それにライバル心をくすぐられ、さっそく一味で開発したらしい。
 もう高三になるというのに、必殺技だ。嗤うことすらできない。
 そしてその一年坊主というのもミニバス上がりで、兜城中出身だ。うんざりする。この街でバスケをしつづけている間はどれだけもがいてもこの看板から逃れることはできそうもなくて、全部投げ出したくなる。
「楠が抜けた時、空いたレギュラーの座を狙ってたんだけどな、オレは。」 
 コートに向き合って横に並び、情報源がつぶやいた。
 具体的に答えられず、黙っていた。
 説明が面倒だったわけではなく、自分の胸に手を当てさせるという意図があるはずもなかった。チームバランスを考えての決定だったからインサイド主体でしかプレイできない彼という構想は初めからなかったし、とは言ってもスタメンを選出する権利を自分だけが独占している状況が異常なこともわかっていた。それでも無言を貫くのは、大層な理由があるわけでもなく誠実さが欠如しているだけの、単なる横柄な謝罪みたいなものだったのかもしれない。
「おまえは認めてくれんかったけど、オレだって試合に出てえし。」と言いながら、手前の零度のエリアまで降りていく。
「いいよなぁ、やりたい放題やれて。」
 猫背の後ろ姿のままで言った。
 喚き散らしたくなる感情を、噛み殺した。
 おまえだってあの時、さっさと責任から逃げ出そうとしたじゃねえか。授業の合間にわざわざ俺の教室までやって来て、これからの部活のことを不安気に尋ねてきたじゃねえか。損な役回りを押しつけといて、後から文句言ってくんなよ。
 それに俺には恨み節をぶつけてくるくせに、その練習試合から楠がスタメンに復帰すると部の決定事項として伝えてきて、そんな起用をおかしいとも感じず、抗おうともせず、情けなく伝書鳩になり下がりやがって、従順に「楠」に道を譲るような人間の願望など知ったことではない。
 いなくなってから最初の、体育館での「どうする?」の一言を、俺は忘れてない。
「俺らだけでやるしかないだろ。」
 3秒エリアの手前で身をひるがえしてこちら側に顔を向け、腰を落としてポジション取りした。わずかな時間、上目遣いとぶつかった。胸から目線の高さにボールを投げあげ、一緒に低く跳び、落ちてくるところを受け止める。着地に合わせて開いた大股で架空のディフェンスをゴールとの間に背負い、右に首をふってワンフェイクを入れてから、逆に身体をねじらせてあまり高さがないフックシュートのフォームに入った。
 いい加減、溜め息が洩れる。でも実力不足はあきらかなのだから現状をいさぎよく受け入れるべきだと、突き放したくもなる。
 俺たちのような地区大会レベルの高校生にそのシュートは難しいし、そもそも求めていたのはポイントガードの能力なのだから、レギュラーの座を奪うために習得しようとしている技術の種類が間違っている。さすがに努力の方向の的外れは、俺の罪ではないと思う。
 濡れ衣もあり、弁明させてほしい誤解もあり、もちろん自分自身が引き起こした摩擦もあるけれど、大小様々なみんなの鬱屈が俺に集約されていく。捌け口に使われる。思い描いた未来予想図がいつまで経っても実現しない原因に都合よく仕立て上げられて、チクチクと皮肉を言われる。
 俺だけが責められる。他にも犯人はいるはずなのに、いまだに野放しにされている。不公平だと思う。
 これだけ部内を混乱に陥れた張本人にはすこし拒否反応を示さず、いつまで経っても面と向かって非難する部員も出てこなくて、誰一人としてこの混乱の元凶に疑問を呈することもしないのは、自らの実力と照らし合わせた上での序列だろうし醸し出される存在感への迎合なのだろうし、対抗できる実績がないからでもあるだろうし、所詮は「楠」だからなのだろう。
 こういう雑音を、早く消したい。
 それトラベリングだよ。不二子ちゃんが狙ったトップエリアからの3Pを眺めて、ひとりきりつぶやいた。
 癖なのか、ハーデンの影響なのか、ボールをちゃんと持ってから後ろにジャンプし、両脚を極める。俺がいる近くの右サイドから、平べったい顔のルパン三世が体当たりをかましに行くみたいに勇ましくドリブルしていって、ステップを踏み、レイアップを試み、掌を離れるその直前に、リングから跳ね返ってきた他のボールのせいで中断させられた。首をかしげて間一髪で避け、ゴール裏へと走り抜けていく。「ルパンわりい。」残念ながら、売りにできるような才能は見つからない。
 笑えない茶番劇の幕が降りたリング下を、赤茶色い残影が彩った。凄まじい遠心力に弾き飛ばされたネットがオレンジの輪にからみつき、コートに接した革の表面が悲鳴をあげた。
 どうせ、ただ無責任に、高確率なスリーポイントに胸を張っていたいだけなのだ。あんなにキャプテンを嫌がったのも、途中離脱したのもそういう理由のはずだ。
 赦せない。納得がいかない。勝手な都合でチームを離れておいて、気が向いたからふらっとまた帰ってきて、以前までと一切何も変わらずバスケ部の一員に戻れるなんて、一言たりとも責めもしないで謝罪もないままで一員として受け入れるだなんて、そんな虫のいい話はないだろう。
 申し訳ないけど、俺のパスはおまえの自己満足を充足させるための道具なんかじゃない、引き立て役でもない。
 子分なんかじゃ、断じて、ない。
 おまえは技術を特化させるがあまり、いつからかバスケットボールが見えなくなったのだ。
 市内の高校ならかつての名声がいまだに有効で対戦相手は警戒してくるかもしれないけれど、まだみんな勘付いていないようだから教えてやる。そいつはハリボテだ。とうの昔に下り坂だ。あの頃の爆発力はすでに失って久しいし、本人に自覚があるのかわからないけど3Pに執心するがあまり、その引き換えに、ミドルレンジでの立ち回りが完全にできなくなってしまった。
 定点からのシュート以外には攻撃のバリエーションが極端に少なくて、たとえスリーポイントラインの内側にドリブルで切り込んでも効果的なパスさばきは期待できず、中間距離からのジャンプシュートみたいな基本プレイすらも満足におこなえない。そしてその主な原因は、凝り固まった礼儀正しいルーティンを経なければ撃つことができない、不自由で美しすぎるシュートフォームのせいなのだ。
 高一まではかろうじて残っていたプレイの巾が今では著しく狭まってしまい、いつしか目も当てられない偏狭な選手になり下がってしまった。わずか一、二年前のほうがプレイエリアは断然広かったはずなのに、それを捨ててまでスリーポイントにしがみつく楠の神経が理解できない。でも対戦相手のみなさんは勝手に注意を払ってくださいよ、遠くからの一発だけを常に用心して大事なディフェンスを一枚割いてくださいよ、こっちはこれっぽっちも戦力には数えてないけれど、現実を色眼鏡でしか見ることができずいつまでも幻影に怯えているような貴方たちには、まだ囮に使えるくらいの価値は残っているんだろうから。
 あの日、何かが変わった。
 部室で「休養」と聞いた時、どこかで音が鳴った。
 耳を澄まさなければ気付かないほど微弱だったその響きがヒビなのだと認識できるまで、さして時間はかからなかった。力の象徴か、絶対という畏怖か。最初は自分でも見えないほどかすかだったその亀裂は日を追うごとにじわじわと伸びていき、放射状に広がっていって、いつまで経っても修復されることはなく、むしろ留まるところを知らずに加速度を増して身体のどこかを浸蝕していって、やがて真っ二つに割れ落ち、無残なほど粉々に砕け散ってしまった。
 崇め奉る対象とは思えなくなった。恐れ慄く選手には見えなくなった。
 俺は、権威みたいなものから逃れたかったのかもしれない。もしかしたら今はじまった話ではなく、ずっとずっと以前から、俺はこの亡霊から解放されたがっていたのかもしれない。だからあの時引き止める気は起きず、それどころか退部のほうを望んでいたくらいだったし、全身を雁字搦めに縛りつけている、きつくて硬い縄みたいなものを断ち切りたいと願っていたのかもしれない。
 森高なんか別に大したことなかった。兜城の5番どころか、伝馬中の4番も伊賀の4番もいた。三人ともミニバスの、楠の同期だった面々だ。そんな贅沢な布陣を築けたのに猛練習の甲斐もなく、打倒南城大付属高校はおろか、毎大会二回戦あたりでつまずいている。
 驚きだった。驚きはなくなった。つまりは力量に即した、当然の結果だったのだと腹落ちした。
 一試合を終えた後、うちの生徒全員が出入りする昇降口に置かれた自販機の前でたむろしていたのも気に入らなかった。旧交を温めるなら、もっと辺鄙な所でやれよ。ゴミ捨て場の前とか便所の中だとか、今のおまえらには他にふさわしい場所があるだろ。当時の迫力なんか全員枯れてしまっていたし、ゲームを支配する絶対的な能力なんか同世代の台頭のせいでとっくの昔に色褪せてしまっているわけだし、それなのにいまだ特別な存在然としている大物ぶった態度が癪に障った。
 でも過去の栄光にすがりついて、そうやって振る舞いたい気持ちはわからなくもないし、同情する気持ちもないわけではない。遊びたい盛りの年頃にそれを我慢して過酷な練習に耐え抜いてきたのに、みんな全盛期が中学で終わっちゃってさ。
 もしもバスケットボールがいかに美しくいかに的確にゴールを決められるかを競うような、そういう芸術的採点のもと優劣を判定するスポーツだったのなら、彼は毎年全国大会に出場しているだろう。けれどそんな楠は、やはり傲慢だと思う。
 この前みたいに試合球が普通よりも軽ければ、俺が遠くから撃つのに。「あ! 幸せ者だ!」
 現れた富士見がコート上で様々な角度から3Pを放っている岩沼を一早く見つけ、声を掛けた。
 奥の零度に、紐も結んでいないバッシュでうるさく走り寄っていく。今日は学校帰りに公園の便所で一発か? しゃぶらせるんか? 人差し指で脇を突っついた。
「おまえしつけえなぁ、もういいから消えろや。」
 舌打ちし、こちらの壇上のほうへ歩いてくる。
 岩沼は、最近、学年で高いランク付けされている尾島郁美と噂になっている。帰りにそれとなく探りを入れてみても、口を割らない。彼は男のくせに、色恋を詮索されるのを結構嫌がる。虚実ないまぜにして私生活を煙に巻く富士見とは、種類を別にする秘密主義だ。
「うっぜえわぁ、あのボケ!」
 後ろをふりかえって吐き出した。眉間に怒りがまだ残留している。
「やっぱほんとに付き合っとるん?」
「全然なんもねえって!」
 うんざりしきった顔が睨んできた。
「じゃあ今日の夜、尾島をオカズにしてシコっていい?」
 真剣をよそおって、尋ねた。テニス部のスコート姿が頭に浮かんだ。
 白い唾を飛ばしてちょっと噴き出し、勝手にしろや、と岩沼が呻いた。なんだよその発想。遅れて、ちゃんと笑ってくれた。こうやって軽口を叩いて楽しませるのが、唯一の贖罪だ。
「ほんとにいいのか? 止めるなら今のうちだぞ。プリンッとしたあのちっせえケツ想像してマジでシコるぞ!」
 してえなら好きにすりゃあいいやん。舌打ちし、サイドラインの外からツーハンドで、小学生みたいなシュートを撃った。
 知らないわけではない。岩沼も腕を上げている。楠の指導を仰ぎつつ、昼放課とかも使って遠くからの反復練習をよくおこなっているみたいで、3Pの確率がかなり高くなってきている。どうやらコツを掴んだらしくて練習の五対五の時も時々決めてくるし、実際ぼやかれたこともなくはなかった。「別にオレを出せってわけじゃないけど、加納あたりは試してやってもいいんでない?」返事もできずに、自転車を漕いでいた。「やっぱオレらのレベルじゃ納得いかん?」
「オレらだって試合に出てえし。」
 ベンチワークにまで口出ししているつもりはないのに、御伺いを立ててくる。加納が許可を求めてきて、判断を押しつけてくる。それに決定を下せば、後々愚痴を言われる。
 他にも真面目に練習に参加している部員であれば、多少至らない点が目につこうとも、練習試合くらいなら定期的に出番を作ったほうが健全なことは理解している。けれども試合に出ている間も全員に気を配り、戦況に応じて個々の特性を鑑みて、その都度誰かの起用を顧問に進言して、そこまでしてチームを引っ張っていかなければならないのか。
 今思えば、具体的な動機もなくただ漠然と楠の真似をしてはじめたバスケだったけれど、意外に長くつづいた。
 どんな習い事でもすぐに投げ出していた飽きっぽい性格だったのに、辞めたいと思ったことは一度たりともなかった。今だから言える。バスケが好きだった。地味な練習をくりかえしていてもパスを出してもシュートを撃ってもディフェンスで抜かれようとも、愉しかった。でも今はもう、このままここに留まっていたらいつかバスケが大嫌いになりそうで怖かった。なのに向かう。六限目の授業が終われば、部室で着替えている。集まってくるみんなと顔を合わせ、他愛のない会話をかわして、できるだけ下世話な話題に徹する。機嫌を取り、やましい気分を紛らわせる。
 蔑ろにしているみんなに対して罪悪感が消えずそれどころか終わりなく膨張していく感じで、どんどん居場所が狭まっていく気がしてしまい、でも逃げ込む先も見つからず、おめおめと体育館に足を運んでいる毎日だ。自分が破裂してしまいそうな不安を常に抱えていて、バスケをやっていても全然面白くないのにうじうじと悩んでいるだけで決断できず、まだ自分自身を諦めたくないらしくて未練がましく練習にしがみつき、それなのにもうひとりの俺が冷徹に、自分自身の才能に見切りをつけている。
 直接にはまだ告げられてないけれど、岩沼が部活を辞めたがっているのは言葉の端々から感じていた。だったら、それなら一層、他の部員が心置きなくそういう道を選ぶことができるように、なおさら俺だけは続けなければならないのだと思う。方針の大半を決めてきた人間として無責任に途中で逃げ出すわけにはいかず、結末を最後まで見届けなければならない義務があるのだと思う。それとも自分一人が抜ければ残った人間だけで全員が不満や異論もなく、揉め事も起きずにバスケットボールを愉しめて面白おかしく活動できるのだろうか。
 部活の時間が、いつからかずっと苦痛で仕方ない。

 何かが上達しているという実感は残念ながら、ない。
 一発の拍手を潮に、最前列の5人がエンドからセンターまで走り出す。急激に、コートを目一杯踏み締めて、低く止まり、真逆へと身体の向きを転換させる。足の裏に集中する。全体重を受け止めた右脚を、俊敏に、可能なかぎり素早く、懸命に前に持ち出そうとする。出ない。どうしても一瞬の速さが、鋭さが、この俺には身に付かない。
 やはり筋肉の質か、それとも、もしかしたら、やっぱり履いているバッシュの機能性の違いなのだろうか。
 アシックスの「FABRE JAPAN-L」。高一の夏、本気で購入を考えた。純白の本革に、ネイビーブルーのブランドラインがあしらわれたシンプルだけど雰囲気抜群のモデルで、くるぶし付近にプリントされている金色の日の丸がやけに眩いのだ。けれど被る。だから、値段はやたらに張るがその後継モデルである「FABRE POINT GETTER-L」を視野に入れた時期もあった。結局それを買うのも思い留まったのは、一試合で数点しか獲れない、多くても10点にも届かない、貧しくて特筆すべき魅力もないこの得点能力のおかげだった。
 それに目指すべき理想はもういない。どれほど一歩目が速くてもディフェンスを抜き去った後、彼が持っている攻撃の選択肢は零に帰してしまったのだから。
 両脚で跳ぶ。腿を胸に引き寄せ何度も跳びながら、前に進む。頭では整理できていても、身体が脚力を求める。背後からふざけたような、わざとらしい気合を装っているような、暗に批判しているような、厭味な掛け声が聞こえてくる。
 両方の掌を尻の上あたりに置き、バックステップしてバッシュのソールを手に当てる。跳ねるように後ろを蹴り上げて、前へ進んでいく。ストレッチも腿の筋力アップの意味も含んでいる。手を腰に添えて大きく一歩踏み出し、膝が鋭角に曲がるまで深く沈み、後ろ脚も同様に巨木でも跨ぐかようにして大きく歩いていく。これは膝の柔軟性を高めるメニューだ。その場で、細かく、低く小さく、足踏みする。拍手によって解放され、何歩か前に進んでから、合図で再び同じ動作をくりかえす。ハーフコートを往復する。
 どれも息が切れるほどの運動ではないのに、全身から汗が滲み出てくる。人によっては上のジャージを脱ぎはじめる。
 次、なんだっけ?
 本木を見た。
「なあヤクゥー、試合に出してもらえない人間からしたらこんな練習つまんねえよー。」
 近頃は珍しく出席率の良い不二子ちゃんが、声を間延びさせた。
「あ? たまにしか来ない奴に合わせんといかんの?」
 思わず、歩み寄った。二人の直線上に苦笑いした何人かがなだめるように小さく万歳して割って入り、仲裁する。
 別に売ったわけではない。応戦したわけではない。ただの率直な疑問だった。その日の気分で球遊びに来る奴、ダイエットと称して身体中にラップを巻きつけて練習に現れる馬鹿、そんなふざけた幽霊部員には微塵も後ろめたさは感じなかった。
 けれども。
 二人組ぃ!
 本木の大声が挙がった。
 数人が溜まり醸し出されていた緊迫が、ほどけていく。不満を滲ませて、去っていく。
 かまけている暇はない。議論する気はないし、理解してもらう必要もないし、心の底から方針に賛同してもらった上で練習に参加していただきたいとも思わない。
 ボールを持たないでジグザグに走るオフェンスのコースを、丁寧に潰していく。腰を落とし、スライドステップの、脚の送り出しに意識して正面に身体を差し込んでいく。高速の一歩を習得できないのであれば、それを阻む別の性能を手に入れたい。
 欲を言えば、一試合平均20点獲れるようになりたい、曲芸みたいなレッグスルーで相手の陣形を切り崩したい。キーマンだと見抜かれ、ボックスワンでディフェンスに張り付かれたり、ボールを持ったらダブルチームで徹底マークされるような選手になりたい。余裕で3Pを届かせたい。強いプレッシャーにも動じない、どれだけ当たってこられても涼しい顔でキープしていられる圧倒的なボールハンドリングを身に付けたい。全能の存在になったかのようにコート上に君臨できる、オールラウンドプレイヤーになりたい。
 どうしても、鋭い踏み出しが欲しくて仕方がない。一瞬でサイドをえぐり取って残りの八人と対峙し、要求を汲み取り、意思を伝え、防ぎようのないアシストパスを送り、状況によっては封じ込める意図を欺いて自ら得点もできてしまうような、攻撃の決定機をつくり出したい。
 最強の選手になりたい。
 なりたい。なりたい。
 いや、なりたかった。
 なれなかった。
 もう、現役の時間は残されてはいない。
「ボーケッ! チョーシにのんなっ!」
 ひとりきりフットワークの練習から離れて、コートの外でバッシュを脱いでいた不二子ちゃんが、立ち上がって罵声を投げつけてきた。開け放たれた鉄の扉の内側に設置されている、ルーズボールが館外に出ないための鉄格子で耳障りな衝突音を響かせつつ、姿を消した。すっげえ、ブチ切れた。でも、ちょっと返しの切れ味が鋭すぎたかな。「まあまあ。」批判なのか褒め言葉なのかもわからない感想が聞こえ、どちらの肩を持ったのかも詮索したくない意見がかすかに耳に届いた。でも一理あるやん。「聞こえるぞ。てか聞こえとるぞ。」はやしたてるような、いくつかの鼻息も鼓膜に忍び込んできた。
 全員の不満が全身に突き刺さってくる気がする。納得いかない思いが、つまらない部活の退屈な練習の連続に対する不平が、見えない意識が、ここぞとばかりに矛先を見つけて襲いかかってくる錯覚に苛まれる。
 針の筵だ。当然受け入れるべき、自業自得だ。
 そうやって理解できているのに、ある一言がどうしても聞き捨てならない。
 どっちだ。「一理ある。」というその賛意は、俺のへか、不二子ちゃんの意見へか、どっちだ、岩沼大輔。
 うつむくと木目が現れた。一面にひろがっている板の濃淡が透明なコーティングの層で光っていて、かすかに一部の表面がへこんでいるように見え、目を凝らすと一滴の汗なのだとわかった。
 なら俺の意見を何でも通すなよ。学年でそろえたジャージの色もデザインも、練習メニューもスタメンも交代選手も、ボール運びもパス回しもリバウンドも速攻も、何でもかんでも俺に頼り切るな、丸投げするな。間違っているのなら反論しろよ、止めてくれよ。もっとキャプテンが引っ張っていってくれよ、集団行動なんて概念は頭の片隅にもなくて、束縛とか模範とか融和みたいな価値観の対極にいるような人間だから仕方がないとは思っているけれど、俺は「副」キャプテンなんだからサポートにまわらせてくれよ。無能な俺を矢面に立たせて全部を背負わせ、俺だけのチームにさせないでくれよ。
 何気ない一言が全部実現していく、みんながそちらに舵を切っていく、発言が独り歩きしていく。
 俺が自分勝手か、独裁か。だって、みんな、身動きが取れなくなってただろ、楠が抜けてから。たかが楠程度の平凡な選手が一人欠けたくらいでだらしなく動揺しまくって、無責任に愕然として気もそぞろになって適当に練習しはじめたし、一年とか残される部員に委ねてしまうもののことなんか一切考えずに退部が頭をよぎった部員も何人もいたみたいだし、それなのに実際には辞める勇気もないから卑怯に留まりやがって、かと言ってこれからのチームを引き受ける覚悟を持とうともしないで、自分自身の意思決定すらも放棄してただろ。
 都合よく悪者にするなよ。
 同意できないんだったら俺なんかを中心に据えるな、認めるな。傍観するな。異存があるんだったら、いくらでも結託して追い落としてくれ。
 時々初戦を突破できる程度の、万年一回戦負けだったんだぞ。楠に頼りっぱなしで、東河大会ごときも出場経験がない雑魚選手だぞ。
 弱小河南中の7番だぞ、この俺は。
 文句があるんだったら、たまには余裕で見上げさせてくれよ、たまにはスクリーンアウトを休ませてくれよ。だってノーマークなんだから、誰も邪魔しに来ないんだから大人しく横に並んで眺めているだけなんだから、いちいちフリースローなんか外すんじゃねえよ、レギュラー全員! 接戦ならたかが1点でも大切なんだぞ! 調子悪かったら一旦ベンチに下げてくれよ。こっちだって別に特別上手いわけじゃないんだから、ミスを連発して醜態をさらしつづけるのは、精神的にやたらとこたえるんだよ。ドリブルが下手だとか外が全然入らないとか調子の波が激しすぎるとかと陰口を叩くのなら、代わりに全部やってくれ。
 実績がないから、兜城とか伝馬から来た後輩たちとどうやって接したらいいのかもわからない。人に教えられる立場なのかも自信が持てず、高校バスケでもいまだに結果を出せていない人間なのだから、そんな体たらくで的確な指示なんか思いつくわけがない。
 ここにいる後輩たちに、中学の頃の無様な負け試合をもしかして観られていたのかもしれないと考えると、寒気がする。
「ヤクちー、俺も膝痛いからジャンプ系休んでもいい?」
 富士見が甘ったるく言った。
「おん。」
「あの片脚で連続二回跳ぶやつ止めん? 膝やりそうで怖いわ、あれ。あんなんできんてぇ。」
 高柳がぼやいた。
「おん。」
 お調子者の二人が本音を吐き出すと、堰を切ったように様々な願望とか要望が噴き上がってくる気がし、具体的にどんな意見を言われたのか知らないけれど、何度も肯いた。一年全員が空気を読んで息を潜める中、二年の補欠の大半がコートの脇に退いていく。
 意欲が炙り出されていく。偽物が脱落していく。ひとりきり、これまでの試合で彼らを使わなかったことは間違いなんかではなく、むしろ英断だったのだと胸を撫でおろした。バツが悪そうに視線を合わせない部員を見つめ、それなのにこちらのほうが直視できなくなってうつむいた。直前に湧き上がった自信とか確信、誇らしい審美眼みたいなものがあまりに脆く、跡形もなく崩れ去っていく。どうやって償えばいいのかもわからず、焦燥に駆られた。
 自己弁護だった。あいつらにはそもそも出場の資格がなかったなんて体の良い現実逃避だったし、単なる言いがかりでしかなかった。今まで邁進してきた自分の方向性がまごうことなき正解だったのだと思い込んでいたいから苦しまぎれの理屈をこねくり出しただけで、実際には、練習から外れた彼らは俺に不適格を突き付けてきたのだし、レギュラー陣の他にも留まったメンバーはいるけどそれは間違いを一層強固にする一因となるだけだったし、結局誰も認めてくれていないのと同義だったのだ。
 つまりはこのフットワークを許容できないのであれば、それは俺のやり方への明らかな不信任の形であるのは当たり前で、でもたとえ納得してくれてコートに留まったとしても、それはその熱心な努力を空費させている俺を俺自身が断罪しなければならないという、笑い話にもならない堂々巡りの始まりだったのだ。
 出口の見えない思考に飲み込まれてしまい、唇を噛みたいのやら大声で笑い飛ばしたいのやら、頭を掻きたいのかそれとも抱えてうなだれてしまいたいのかも、さだかでなくなった。とにかく、なんか、全部が、とてつもなく馬鹿馬鹿しくなった。
「どうする? 残りのフットワーク。」
 パリパリに束になった前髪が歩いてきた。表情からうろたえている様子は読み取れず、いたって普段と同じに見え、俺と違って堂々としていた。肝が小さくて自分に自信がない俺とは、根っこから異なる人種だった。相手が強豪であっても物怖じせず、後先考えないで一対一を仕掛けていけるだけのことはあると思う。そういえば、こいつは東河大会まで行ってるんだっけ、ふと頭によぎった。
 いや、気質の問題か。
「メニューどうする?」
 ペイントエリアの右角にいた俺と、フリースローサークルの円周上で向き合った。ゴール下のエンドとハーフライン付近で部員が見守り、壇上側のサイドでも数人が注目している。
「今日は止めよっか。」
「おお、薬内がそう言うなら俺はどっちでもいいけど。それでいい?」
 端正な眼差しを丸くした。
「今日は止めとこ。」
「OK。了解。」
 練習が始まる前に準備体操もろくにしない物ぐさな性格からすると、嬉しい省略なのだろう。
 正面に立った本木の背後に、高柳がこっそり迫ってくる。そっと足元に手を伸ばし、内緒でバッシュの蝶々結びをほどこうとした。一瞬瞼を剥き、驚いた。全身を搾らせるように左の太ももを斜めに引き寄せ、間一髪で回避した。てっめえふざけんな、ミツル! 逃げる尻に、蹴りあげる真似をした。
 深刻そうに話しはじめた二人を心配して和ませようとしてくれたのだろうか、それともただの冷やかしか。本気になるだけ虚しくなる。部活は勝ちにこだわらず、高い目標などさだめたりもせず、だらだらと遊んでいるのが正解なのかもしれない。
 でも才能に見合わない舞台に恋焦がれ、才能に見合わない努力を積むことは、さらに強いることは、そんなに間違っているのだろうか。
「スクエアパスー!」
 甲高い、本木の声が響き渡った。
 銘々が思い思いの野太い声を上げて、四方に散っていく。
 ハーフコートの四つ角に等分に分かれ、一本の対角線がひとつずつボールを持つ。時計回りならボールを持った選手が左隣の角にパスを送り、同じ方向をえぐるように走り込む。そしてリターンをもらって、元の対角線で待っている相手へ最後に渡し、そこの列に並んで次の番を待つ。
 速度を抑えてはじめ、感覚を慣らした後、ダッシュに変える。走りながらボールを受ける、動いている相手の胸元へパスを的確に供給する、そういう技術を養っていく。一瞬のパス交換だけなら、視界に入っても気分はあまりささくれ立ったりはしない。
 早く最後の大会が終わらないかな。
 最近知らないうちに、そうやって考えている。頑張るのも残り後わずかだと指折り数えれば、幾分か気持ちが楽になった。
 次の瞬間、勝ち進んだ先の歓喜を思い描き、即座に厭な気分に包まれる。早く全部が終わってほしいのに本能がまだバスケをつづけたがっていて、いつまでもバスケをやっていたいのに早く全部が片付いてほしいと願っている。
 今だって練習を止めて帰りたいのに、脚が出口に向かわない。自分の順番が待ち遠しい。早く革の感触をこの掌で確かめたいし、少しでもよい返球をしたい。周りを唸らせるすごいプレイをしたい、より遠くから、シュートを決めたい。
 三対三の時、楠はルパンと、ほとんど体育館に顔を見せたことがなかったデカいだけの素人と組んでいる。休養が明けてから、必ずこれら取り巻きどもを連れて練習に顔を出すようになった。
 中学時代に頼り切っていたことを後悔している。ずっと反省している。部活はいつも手を抜きがちで、当然のごとくまったく上達せず、戦力になれず、パスを回して得点してくれるのを待ちわびているだけの、不甲斐なかった自分を今でも憎んでいる。
 その試合に勝てば晴れて東河大会に進出できたのに、二戦目という疲れのせいで終盤には脚が止まってしまい、勝負所で速攻が決められるのをフロントコートからぼんやり眺めていた。守備が誰もいない、ボールが振られたガラ空きのサイドは俺の持ち場だった。市の大会程度で終わる選手ではなかったのに、惨めな思いをさせてしまって悪かったと今で悔いている。だから高校では努力してわずかでも構わないから認められたかったし、ふさわしい舞台を用意してあげたかったし、一緒に立ちたかった。
 でも、今のお前はどうだ。
 意欲に水を差す異分子ばかりをここに連れてきて、遊ばせたいのか成長をうながしたいのか本心は知らないけれど、試合で成功するはずのない、たとえ決まったとしても絶対にマグレでしかないダブルクラッチみたいな高等技術を教え込んでいる。出来もしない高度なスピンムーブなんかを、身振り手振りをまじえて熱心に指導している。元々サボりがちで見込みがない人間を鍛えてどうする、才能が微塵もない人間に大切な時間を割いてどうなる。
 勝ちたいのか、仲間と遊びに来たのか、それとも足を引っ張りにもどって来たのか。
 チームは足し算ではない。そんな単純ではない。
 おまえは、チームを二回も壊したんだ。一回目はかまわない、責める気はない、なぜなら、どんな人物であっても部活を辞める権利は有しているのだから。けれどもおまえが気まぐれに帰ってきたせいで、もう一回チームが壊れたんだ。
 確かにおまえが抜けて以来、外は著しく弱くはなった。それでもインサイド主体で攻められるように磨き上げてきたし、事実、強豪以外にはあまり負けなくなった。
 自分がいないところで完成しつつあったチームから一枚削らせて合流したにも関わらず、従来のレベルが据え置きされてさらにおまえの分の戦力で底上げされるだなんて、そんな都合のいい話はない。
 たった一回だった。トーナメントの階段を後一段だけ駆け上がれていれば、県大会に手が届くはずだったんだ。もう少しで指先に触れそうだったのに、目の前をすり抜けていってしまった。
 俺だって上の世界を見てみたい、体感してみたい。クジ運だけで勝ち抜いてしまったらとんだ大恥をかくかもしれないけれど、選ばれたチームしか出場できない大会に臨めば、過去に出会ったことのない新しい感情が湧き上がるかもしれない。それを感じてみたい。
 それなのにおまえが勘違いしてまた戻ってきて、なぜなのか誰も疑いの余地もなく歓迎して異議を申し立てるわけでもなく当たり前みたいにスタメンに復帰して結局スリーポイントにこだわっているだけで改心もなく、そのせいでこちらはまたイチからチームを作り直さなければならなくなったんだ、四人だけで戦えるように。自分の再加入でとうとう役者がそろったとでも思っていたのなら、残されていた最後のピースが音を立てて空白にはめ込まれたとでも悦に入っていたのなら、とんでもない勘違いだ。
 チームは、足し算ではない。むしろ、掛け算のほうが本質に即していると思う。
 俺は集団の和を乱してしまうし、内部で軋轢が生じようとも他の目的を優先してしまうから、このチームに本当は属していてはいけない異物なのだと自覚している。自分自身に余裕がない弱い人間なのでごく少数だけにしか出場機会を与えず、日々の練習の目的すら見失わせてしまい、みんなを不愉快にしてしまう諸悪の根源だということを理解している。けれど、おまえだって、二回目は赦されないのだから当然同罪だ。お互いに、このチームにはいらない虚数みたいなものなのだ。そんな二人が同時にコートで揃い踏むというのなら、i×i=i2になってしまう。答えは-1だ。文系のおまえにこんな講釈垂れても到底理解できないだろうけど、俺たちが同じチームでプレイするのは、プラスでも等比級数的な相乗効果でもなく、文字通りマイナスにしか働かないのだ。
 また性懲りもなく、長いモミアゲがプランもないくせに突進してくる。二歩踏み出してくる最中に、持ったボールを高く掲げる。飛ぶ間際に、下げ、レイアップを狙う。楠直伝の、紛い物のダブルクラッチだ。使い物にならない代物だ。
 異分子を連れてくるな。身の丈に合わない稚拙なプレイをコートに持ち込むな、持ち込ませるな。本当に頼むから、これ以上チームを搔き乱さないでくれ。
 親身になって仲間を指導するのが友情を示すための常套手段なのはこちらも重々承知しているから、あるいは信奉者を増やすための大事な布教活動の一環なのかもしれないから、そんな些細なところまでいちいち目くじらは立てたくないけれど、もしも今度の球技大会で優勝するために下準備を進めているつもりなら、マジでぶっ殺すぞ。
 勝てると見越したから戻って来たんだろう、熟成されたと、機が熟したとあざとく嗅ぎ取ったから戻って来たんだろう、全員の意識が改善されたと感じたからノコノコ帰ってきたんだろう。
 それともやっぱり無責任に、自分勝手にスリーポイントが撃ちまくれそうだとでも、下劣な妄想を抱いて戻って来たのか。
 つるんでいる連中のバスケに対する姿勢、そいつらと行動をともにする精神性の矛盾に、身悶えするほど腸が煮えくり返る。

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