見出し画像

このままお前の手を握りつぶしたいよ

人間には、大事なものなのに、大事だと分かっているはずなのに、今この瞬間も変わらず大事なままなのに、なぜかそれを手放したくなったり傷つけたくなってしまう気持ちが存在する。これは、人間の心の複雑さを説明させる、とうてい人工知能には付加できない感情だろう。暴力的で、想定しようがなく、不確実で、誰にも納得させようのない、でも間違いなく人の心で生まれるこの感情の存在は、あなたが人間であるということの証明にもなるだろう。

「大事すぎて やになっちゃったの」
市川春子の漫画の短編である、「月の葬式」で登場するこのセリフは、自分の矛盾だらけの虚栄心を突かれたというか、なんだか色々と考えさせられた。休養の為に地球に訪れた月の王子が、月へ帰る為に必要なリモコンを捨ててしまい、それほど大切なものを、わざと手放してしまった理由として王子が答えた言葉だった。

引用:「25時のバカンス」市川春子 P211/講談社/2011

「大事すぎていやになる」は、可愛いからいじめたくなっちゃう、とはまた違う。距離を縮めたいわけでも逃げて距離を置きたいわけでもない。悪いと分かっていながら不道徳なものに身を委ねる感覚と似ている。悪いと分かっているのになぜかその時は魅力的に見えて、正常な自分がどうでも良いわけではないのに、ダークサイドの芳香にくらっとよろめく。理性だけではコントロールできなくなる時があるのが人間という生き物だ。

また、少し離してもすぐに手繰り寄せられる距離や関係だから、いやになるのだろう。この漫画の王子も、どうせ探せば見つかることをわかっていて、雪の中にリモコンを放り投げたのだ。いずれ春が来て雪が溶ければ嫌でも見つかることが分かっていた。本当に嫌になって月に帰る必要がないなら、リモコンを壊して燃やしてしまえば良いのだ。でもそれができない。私にはこの王子の欲張りなところや、怖がりなところがよくわかる。永遠の別れは想像するほどすっきりするものでも気持ちの良いものでもないものだ。

好きで好きでどうしようもなく大切だから疎ましく思い、大切な物であり続けるが故に、手放したくなる。この矛盾する心を、我々はどこで間違って手に入れてしまったのだろう。手を離せばどうなるかも分かっているのに、どうしてこんなにやすらかでほんの少し嬉しくも思うのだろう。まっとうな生き方なんて、考えなくてもすぐに分かるのに、どうしていつも道を誤っては傷つき、それでも生きていくのだろう。

市川春子の描く物語
また、この漫画のポイントとして、奇病にかかった月の王子の皮膚が硬化しどんどん穴だらけになっていく描写がある。美しくたくましくどこか儚げな彼の身体がグロテスクに崩壊していく様子は、しばらくトラウマになったほど気味が悪いが、どこか納得も出来た。まるで我々そのものではないか。髪や爪が伸びるのも皮膚を擦れば垢が出ることも、よく考えればグロテスクだ。

市川春子の描くストーリーほど、物語の解釈に必要なヒントが少なすぎると感じることはないだろうと思う。自分が考える解釈が、果たして市川春子の望んでいるものと合っているのか自信がない。もはや文章の読解能力など必要なく、こちら側の美的感覚や生き方やセンスが問われていると言い切ってもいい。もし機会があればぜひ一度読んでみてもらいたい。きっと、見る人にとっては何にも意味がないものかもしれないし、人生を変えてしまう一冊にもなるかもしれない。


#エッセイ
#市川春子
#漫画


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?