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誘拐された娘を17年後に偶然発見した家族

病院から連れ去られた新生児


1997年4月28日、南アフリカ共和国のケープタウンで女の子が生まれた。母親セレステ・ナースとモーネ・ナースの第一子である。風光明媚なケープタウン郊外で育ったセレステとモーネは 10代で出会い結婚。若いカップルは待望の赤ちゃんをゼファニーと名付けた。

産後2日目、帝王切開をしたセレステは痛み止めのモルヒネのため、うとうとしていた。隣のベビーベッドには新生児ゼファニーが寝ている。 セレステははっきりしない意識の中で、産科病棟のドアの近くに座っている女性を見た。

「赤ちゃんが泣いていますよ」

看護師のような服装をしたその女性は言った。

「抱っこしてもいいですか?」

セレステは眠りに落ちる前に、その女性がゼファニーを抱き上げるのを見ていた。そして別の看護師から揺さぶり起こされて目覚める。

「あなたの赤ちゃんはどこですか?」

と看護師は尋ねる。

「どう言う意味ですか?」

セレステは混乱していた。

眠っている間に、生後2日目のゼファニーが居なくなっていた。看護師の服を着た女性が産科病棟から連れ去ったのだ。

セレステは帝王切開の傷があるなか、点滴を引き裂き病院内を走り回ってゼファニーを探しはじめる。しかし警察もゼファニーを見つけることはできなかった。

産科病棟から外部に通じるトンネルで見つかったのは、ゼファニーの服、持ち主の手がかりのないハンドバッグ、そして妊娠を偽造するために使用したとされる枕。 メインの建物から別の建物につながるそのトンネルは使われていないものだった。

夫婦は待望の赤ちゃんを連れることなく家に帰り、我が子のために用意されたベビー用品がより一層悲しみを増強させた。

あきらめない、娘を見つけるまで

いくつかの情報が寄せられる。ゼファニーが連れ去られる少し前に、別の母親が自分の赤ちゃんを抱いている女性に話しかけた。その女性は、泣いていたからなだめているだけだと言い、赤ちゃんを返したと言う。その女性を特定するには至らなかった。

妊娠していなかったのにいきなり新生児を連れている女性がいるという情報にも警察は動くが、赤ちゃんは男児だった。セレステには猫の鳴き声さえ、赤ちゃんが泣いているように聞こえた。

セレステとモーネは、その後3人の子供に恵まれる。しかし行方不明の第一子を決して忘れることはなく、 毎年ゼファニーの誕生日を祝い、新聞やテレビで誘拐犯に我が子を返すように懇願した。

ゼファニーの詳細を知っているとの情報が寄せられたこともある。その情報発信者は500,000ランド(約33,000ドル)を要求した。指定場所に現金を持っていったが、誰も現れることはなく、代わりに恐喝未遂で女性が逮捕された。

「私は決して希望を捨てることはありません。私の娘はどこかにいて、帰ってくる。私の中の何かがそう感じさせるのです。」

モーネは2010年に新聞で語った。

17年後の偶然


2015年1月。ゼファニーの後に生まれた妹キャシディは高校1年生になっていた。他の生徒たちから先輩に不思議なほど似ている人がいることを告げられる。

高校最終年となる17歳のミシェ・ソロモンも同じく、新しく入学してきた女の子がいかにミシェと同じ顔をしているかを友人たちから聞かされていた。最初はそれを聞いても特に気にかけることはなかったミシェだが、廊下でキャシディとすれ違った時、何か説明のつかないつながりを感じたと言う。

「まるで彼女を知っているように感じました。とても怖かったです。なぜそんな感じだったのか理解できませんでした。」

2人とも褐色の肌、アーモンド型の目、暑い唇と鼻をしていた。ミシェとキャシディは3歳の年齢差にもかかわらず、一緒に多くの時間を過ごし始める。ミシェはキャサディをベイビー・シスターと呼び、キャシディはミシェをビッグ・シスターと呼んだ。

誰かに姉妹かと聞かれると、「分からないわ、もしかしたら前世でね」と彼女たちは冗談まじりに言った。ある日2人は一緒に写真を撮り、ミシェが友達に見せると、あなた本当に養子じゃないの?と聞く人もいたほど似ていた。

ミシェとキャシディはそれぞれの家族にも写真を見せる。ミシェの母ラヴォーナは、2人がとてもよく似ていると言い、父マイケルは電気屋で会う女の子に似ていると言った。しかし、キャシディの母セレステと父モーネは、写真を食い入るように見つめていた。

ある日モーネは学校にキャシディを迎えに行くと、キャシディとミシェをマクドナルドに連れて行く。ミシェは自分は両親に似ていない、それよりキャシディやモーネに似てると笑っていた。ミシェの誕生日を尋ねると、1997年4月30日だと言う。それはゼファニーが誘拐された日だった。

モーネはミシェのFacebookで詳細な情報を探す。そこにある写真はどれも自分の子供たちにそっくりだった。

その中から彼女の母親と思われる写真をある人に送った。当時自分の赤ちゃんを抱いている女性を目撃した人物である。写真を見た彼女は、あの時目撃した女性と同じ顔だと言った。

セレステはガンと戦い病気を克服していた。 また、夫婦は一年前に離婚していて、 彼女にはまもなく婚約予定の男性もいた。 しかし2人のゼファニーを見つけるという硬い結束は変わらなかった。モーネは必要な証拠を当局に持ち込んだ。

真実が明かされる時


数週間後、ミシェは授業中に校長室に呼ばれる。そこには2人のソーシャルワーカーがいた。

彼らはミシェに、17年前にケープタウンのグルートシューア病院から誘拐されたゼファニー・ナースという新生児の話をする。ミシェは、なぜその話を彼女にするのか疑問に思いながらその展開を聞いていた。

そしてソーシャルワーカーは、ミシェがその赤ちゃんである可能性があることと、それを示唆する証拠があることを告げた。

ミシェは、自分はグルートシューア病院ではなく、車で約20分のリトリート病院で生まれたと言う。 彼女の出生証明書にそう記載されていると。 しかしソーシャルワーカーは、彼女がそこで生まれたという記録はないと言った。

何かの間違いに違いないと思っていたミシェは、DNA検査を受けることに同意する。

「母を信じていました。母は私に嘘をつくことはありませんでしたから。特に私がどこの誰で、どこから来たのかといった重要なことに関しては。」

ミシェはDNA検査が陰性になるだろうと信じて疑わなかった。しかし、そうは物事は進まなかった。

テスト結果には、1997年にグルートシューア病院から誘拐された赤ちゃん、ゼファニー・ナースとミシェ・ソロモンが同一人物であることが明白に証明されていたのだ。彼女はショックでただそこに座っているしかなかった。

ついにゼファニーが発見された。彼女はわずか5㎞のところで育っていたのだ。セレステは娘に会うと涙を流した。

「17年間あなたを探してやっと見つけた。私のところに戻ってきた。」

涙は止まることはなかった。

安堵と苦悩


1人の母親の安堵は別の母親の逮捕を意味した。セレステが娘と再会した翌日、ゼファニーを育てた女性、ラヴォーナ・ソロモンが逮捕される。

彼女は無罪を主張した。子供の頃に虐待され、ボーイフレンドにもひどく殴打されたため、一連の流産に見舞われたこと、生後6週間の娘さえ失ったこと、そして 1997年にも流産したが妊娠継続を装ったと訴えた。そして密かに新生児の養子縁組を手配した、と罪状認否を説明する文書で書いている。

駅で仲買人に会い、新生児を手渡されたというのが彼女の言い分である。仲買人の女性から、産みの母親は若く養子に出すことを希望したと聞かされたと言う。そして赤ちゃんは自分のものであり、書類は後で処理されると言われたが、何かがおかしいと感じたと、罪状認否で書いている。

夫、家族、友人に赤ちゃんは自分が産んだ子だと言った。養子をもらったことを話そうと何度も思ったが、父娘の親子関係を壊したくなかったと言う。

そして、実の両親から望まれない子供を救っているつもりだったとも言っている。実際にはゼファニーの両親は熱心に子供を探し続けていたし、本当に仲買人がいたかどうかも不明である。

セレステは、そんなラヴォーナを許す準備ができている、娘を連れ去った女性を見たら、抱きしめたい、と彼女が保釈された後に言った。

「彼女に会ったとき、あなたがしてくれたことに感謝したいと思います。あなたは良い仕事をしました、私の娘を見てください。心も美しいです。」

2人の母親は、裁判中に奇妙で優しい瞬間を共有した。その後ラヴォーナには禁固10年の刑が下った。

17年後に発見された誘拐事件は広まり、ミシェの人生は一変した。そして母親だと信じて育った女性、ラヴォナ・ソロモンが逮捕されたニュースを聞き、彼女は壊れた。

「私には彼女が必要でした。母になぜ?何が起こっているの?と尋ねたかった。私はなぜ突然他の人のものになったのかと。」

ゼファニーは、父親だと信じて育ったマイケル・ソロモンが警察から尋問を受けたときに出席した。そして、父のストレスは顔を見れば明らかだった、警察は彼が誘拐計画の共犯なのかどうかを知りたがっていた、と言っている。

マイケルはミシェが娘ではないことに困惑し、娘が誘拐された赤ちゃんであることを知らなかったと主張した。警察も彼がその事実を知っていたという証拠を見つけることはできず、その後解放された。

マイケルは、ラヴォーナは確かに妊娠していたと証言する。彼女は流産を隠し妊娠の継続を偽造した後、ゼファニーを連れ去り、出産したふりをしたと考えられている。

娘の葛藤


セレステとモーネにとってゼファニー発見は大きな喜びだったが、ゼファニーにとっては複雑なものだった。ゼファニーはミッシェ・ソロモンの名を継続し、育ての父マイケルと住むことを選んだ。彼女は2019年に出した著書「ゼファニー」やインタビューで自身の気持ちを述べている。

「誘拐されたことが明るみになり、実の両親は自分を抱きしめ涙を流していたが、何も感じなかった。育ての母親が誘拐したことは悪いことであり、セレステとモーネの痛みも分かるので、ただ身を任せていただけ。」

自分は特にモーネによく似ていて実の両親であることは分かるが、家族としてのつながりを感じない。育ての母が裁判にかけられていたとき、最も母親を必要としていたときに、実の両親はサポートしてくれなかった。

誘拐は悪いことだが、両親は自分を安定した環境で育ててくれた。救助される必要もなかった。連れ去られた家庭では10歳上の兄がいたが、歳が離れていたためほぼ一人っ子として育った。そして突然、実の家族では4人兄弟の第一子になり、戸惑いを感じたともインタビューで答えている。

著書の中でゼファニーは2人の母親へメッセージを送っている。

「塀の中にいるラヴォーナへ。あなたは私を愛することの代償を払っています。私はあなたを許します。ママ、私はあなたをますます愛さざるを得ません。」

「セレステと彼女の前夫へ。私たちは本来あるべき関係を持っていません。もしかしたら持つことはないのかもしれません。ゼファニーを心に留めてくれてありがとう。でもいつかミシェを愛することができるかもしれない。」

決して良好な親子関係とは言えなかった数年間。しかしパンデミックで人生2度目の葛藤を機に実の両親との関係を振り返り、ゼファニーの心境も変化していった。

ゼファニーは、精神的に準備ができていなかったと言う。だが、時が経ち成長するにつれて実の両親との関係が容易になっていった。周囲の期待に惑わされず、自分たちの関係に焦点を当てるようになった。焦らずにゆっくり関係を構築していきたいと言っている。

実の両親は長年離婚していたが、2020年に再び一緒になった。 実の両親がもう一度結婚することは、ゼファニーの願いの1つだったと言う。ゼファニーのFacebookには実の両親の結婚式に出席した写真が投稿されている。



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