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【同じ遺伝子の3人の他人】生後引き裂かれた残酷な理由とは


自分にそっくりの誰か


1961年7月12日に生まれた3人の男児が、ルイーズワイズ養子縁組サービスの手に渡った。ボビーことロバート・シャフラン、エディことエドワード・ガラン、そしてデビッド・ケルマンである。3人は生後6か月で別々の家族に養子に出され、お互いの存在を知らずに育った。

1980年、19歳になったボビーはニューヨーク州のサリバンコミュニティカレッジに入学する。しかし誰も知り合いがいないはずの初日から、皆が親しげに話しかけてきた。

男子生徒からは背中を叩かれ、ある女子生徒にはハグやキスをされ、ボビーは困惑する。皆から歓迎されて好調なスタートなのは明らかだった。ただひとつ、皆から「エディ」と呼ばれることを除いては。

この謎を解いたのは仲間のマイケルだ。ある仮説を立てたマイケルは、ボビーが養子かどうか、誕生日は7月12日かどうかを尋ねる。

ボビーがどちらの質問にもYesと答えるとマイケルは驚いて、

「なんてこった!君には双子の兄弟がいるよ!」

と言った。

皆が呼んでいる「エディ」とは、前年に同じ大学を中退した生徒で、マイケルの友人だったのだ。

マイケルはすぐにエディに電話をかけ、電話越しに話したボビーとエディは、自分と同じ声を聞いて唖然とする。

ボビーとマイケルは車に飛び乗ると、エディの家まで向かった。ドアを開けるとそこにはもう1人の自分が!2人が生き別れになった双子であることは明らかだった。

19年間、離れて暮らしたにもかかわらず、兄弟にはいくつかの共通点があった。

2人には同じアザがあり、IQスコアも同じ148、2人とも大学のレスラーで同じ戦闘テクニックを持っていた。吸っていたタバコのブランドや女性の好みも同じなうえ、話したり笑ったりするタイミングさえ同じだ。

しかし、偶然はこれだけでは終わらなかった。

もっと奇妙な偶然

生き別れの双子が偶然に再会した話はメディアに取り上げられる。そしてしばらくして、このニュースを目にして驚く男性がいた。クイーンズカレッジで勉強していたデビッドだ。

彼も養子に出されただけでなく、この2人と生年月日が同じで、全く同じ顔をしていた。

デビッドはそれまでに2度友人からその記事を見せられていたが、写真のみの情報だったため、まさか自分が三つ子であるわけはないと思っていた。

しかし養母が持っていた記事は、写真はないが誕生日や生まれた病院などの情報が載っており、それぞれの記事の情報を合わせると三つ子であることは疑いようがなかった。

デビッドはエディの養母に連絡した。

「僕が3人目だと思います」

エディの母は驚いて電話機を落としたようだった。

こうして3人の兄弟の再会が実現する。彼らはすぐに絆を深めた。

それぞれの養父母たちは、自分たちが養子にした子供が三つ子であることを誰1人として知らされていなかった。三つ子は互いにわずか100マイル以内で育ったのに、兄弟の存在は誰も知らなかったのだ。

養父母たちはこのことについて養子縁組サービスに問いただすと、説明の場が設けられる。その答えは単に、三つ子をまとめてひとつの家庭に受け入れてもらうよりも、1人づつの方が受け入れられやすいからというものだった。

しかし養父母たちは納得できない。実際にボビーの両親は、知っていたなら3人とも引き受けたと言っているのだから。

その場を去った後、傘を忘れたことに気がついたボビーの父親が戻ると、彼らはなぜかシャンパンで乾杯をしていた。ボビーの父は、三つ子の引き離しは意図的だと感じていた。

蜜月の時

双子から三つ子になった彼らを、メディアはさらにセンセーショナルに取り上げた。三つ子は数多くのテレビへ出演し、1985年のマドンナの映画「Desperately Seeking Susan」にもカメオ出演をしている。

彼らはこれまでの時間を取り戻すかのように始終一緒に行動した。お互いの家の行き来をし、家族ぐるみの交流も始まる。3人で一緒の家に住み始め、共同で「トリプレット」というレストランもオープンした。彼らが出会ってからわずか1年で100万ドルを稼いでいた。

やがてそれぞれが結婚し子供をもうける。家庭を持ってからも交流も続き、皆で楽しく過ごしていた。ただこの時はまだ、三つ子が引き離されたのは、一つの家庭が三つ子を引き取るのは難しいためだと信じていた。

おとぎ話からの暗転

ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリストのローレンス・ライトは、ある研究についての記事を発表し、三つ子たち自身の身に起きたことを彼らに告げていた。

その研究とは、著名な精神科医であるピーター・ノイバウアー博士と児童発育センターによって首謀されたもので、子供の性格や発達には、遺伝子的要因と環境的要因のどちらがより影響するかについての研究である。

ルイーズワイス養子縁組サービスを通じて、未知数の双子と三つ子が別々の家庭に養子に出された。そしてその後何年にもわたり、養子先の家を訪問した熱心な研究者たちによって、密かに観察され続ける。

養子先の親には、これらの訪問は子どもの発達研究の一環だと説明されていた。研究への参加が一人の子を養子にする可能性を高めることを強く示唆されたと言う。

異なる環境で同じ遺伝子を持つ三つ子がどのように成長するか実験するために、異なる経済層の家庭へ意図的に振り分けられた。

ボビーは父親が医者で母親が弁護士の裕福な家庭へ、エディは中流階級の教師の家庭へ、デビッドは英語を母国語としない労働階級の移民へと。

ただし家族構成は同じで、それぞれに2才上の姉が1人いた。父親はそれぞれ子供への接し方が異なっていた。デビッドの父は食料品店を経営していて暖かく愛情があり、ボビーの父親は仕事上で忙しく不在がち、エディは常に両親と衝突していた。

養子先の両親たちは、自分の子供が三つ子であることを知る由もなかったが、赤ちゃんの頃の三つ子は皆怒って、ベビーベッドの横に頭をぶつけていたことを明らかにした。また、デビッドは言葉を覚えるのがとても早く「自分には兄弟がいる」と言ったこともあった。

悲劇

実験の事実を知った三つ子はショックを受けた。そして次第に3人の関係にヒビが入り始める。

それぞれが他の2人に疎外されていると感じ始め、ボビーが共同経営の店を去った。その時の理由をボビーが「経営方針の対立」とし、彼らの関係は悪化する。

再会から15年後の1995年、躁うつ病に苦しんでいたエディは、34歳の若さで銃自殺を図った。若い妻と幼い娘を残して。彼は養父との関係に悩んでいたと言われている。エディは特に三つ子としての人生を懸命に受け止めていた。そして他の2人も精神的問題と戦っていた。

残されたボビーとデビッドは、以前のような親しい関係ではなくなっていく。2010年の時点ではもはや話さなくなっており、スポットライトからも撤退していた。

エディ亡き後は、ボビーもデビッドもいかなるインタビューにも興味がなくなっていた。2018年に公開された彼らのドキュメンタリー映画「Three Identical Strangers」も、ティム・ウォードル監督が2人を説得するのに4年もかかったと言う。

しかしドキュメンタリーに参加したことで、多くの新しい情報が明らかになり、ノイバウアー博士の研究データの一部が兄弟にリリースされる。ただしそれらは、大幅に編集されたものだった。

実験がもたらしたもの

ノイバウアー博士と研究チームは、三つ子が生まれてからの10年間、それぞれの少年を訪問し、知能テストやビデオ撮影などのデータ収集をしていた。彼らがティーンになってからも遠くから観察を続けていたが、もちろん三つ子はこれを知る由もなかった。

研究者たちは、互いに接触したことのない同一のDNAを持つ3人の少年が、異なる環境で育てられた場合にどのような影響を受けるのか、答えを確立したいと考えていた。

ボビーは大学に入る前、1978年の強盗において女性殺害に関連した罪で過失致死罪に問われ、保護観察期間を過ごす。同じ頃、エディとデビッドはメンタルヘルス病院で過ごしていた。

三つ子全員が深刻な精神的な問題と戦っていたため、彼らに壊滅的な影響が及んでいたのは、どこから見ても明らかだったに違いない。

デビッドは語る。

「研究者たちは自分たちの人生が破壊的な方向に進んでいることを知っていたはずです。それを助けることもできたはず。でもそうはしなかった。それが一番怒りに感じてることです。」

ボビーも、自分たちは残酷に扱われたと感じている。

「私たちは「対象」と呼ばれ、実験用ねずみのように扱われました。私が考えられる比較は、タスキーギ梅毒の実験です。彼らは全員に梅毒を発症させ、治療せずに放置し恐ろしい死を遂げさせました。」

彼らの傷の原因となったノイバウアー博士は2008年に亡くなったが、生涯、双子研究について公表することはなかった。彼はボビー、エディ、デビッドのほかにも引き離された双子がいることは認めているが、それに対する後悔は示していない。

他の引き離された双子たちが、行方不明の兄弟を見つけ始めたため、極秘実験により意図的に赤ちゃんを引き離したことが発見されたのは1994年が最後となる。この中で自殺を図ったのはエディも含めて3人が確認されている。

意図的に引き離された双子や三つ子の数は公表されていないが、12組ほどだと言われている。今でもお互いの存在を知らない双子や三つ子も少なくない。

得られたものとは


ボビーには妻と男女2人の子供がおり、ニューヨークのブルックリンで弁護士をしている。デビッドも妻と2人の娘がおり、ニュージャージーで保険販売の仕事に携わっている。

ドキュメンタリーに参加したことで辛い思い出がかき立てられたが、お互いの関係にもっと一生懸命取り組む理由も考えさせられた。2人は今でははるかに良い関係にある。

彼らの生みの母親は若くして出産したユダヤ人の女性だが、養子先で三つ子が引き離されることは知らされていなかったと言う。

未だに多くの謎が明らかにされていない。実験の研究データはイェール大学の金庫室に保管されていて、実験に関与したすべての人が亡くなるであろう2066年までは公開される予定はない。

イェール大学の論文へのアクセスは、ユダヤ人委員会によって管理されている。 150年の歴史を持つこの非営利団体の前身は、ノイバウアー博士を支援した児童発育センターだ。

双子実験といえば、残酷なナチスドイツの双子実験を彷彿させるが、興味深いのは、ノイバウアー博士自身もオーストリアから難民として移住してきたユダヤ人だということである。

ユダヤ人委員会のスポークスパーソンは、「私たちはノイバウアーの研究を支持しておらず、行われてしまったことを深く遺憾に思う」と述べている。

この極秘の研究がもたらしたものとは何だったのだろうか。







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