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「人間は愚か」という言葉が死ぬほど嫌いだという話

 私は、「人間は愚か」という言葉が嫌いです。理由を簡潔に言うならば、無責任で無思考だからです。この言葉を使っている人で、そんな現状を変えようという人に、私は会ったことがありません。個人の業を、人間の業として扱い、「人という生き物は」という言葉で片付けようとするのです。もしくは、そう言っておけば深い、とでも思っているのかもしれません。
 よく見かけるのが、過去に行われた非人道的な実験や事象、主に人の為に改良されたり搾取されたりしている動植物について、気にしなければ入ってくることのない情報に遭遇したときに、人間は愚かだ、という人がいますが、それは前後関係を無視して悪い部分だけを見た末に出てきたただの感想に過ぎません。つまり、その情報の精査もせず、バックグラウンドを知ろうともせず、特に解決策を考えるでもなく、ただそれっぽい感想を述べただけ。心の底から思っていようと、それ自体に興味がないのです。
 たとえば、人間のために品種改良を施された動植物は、自然界では生きられず、存在に人の助けを必要とするものも多いです。これについて、人間のエゴで他の生命体の命を弄ぶ、という行為を咎める人は少なからずいるでしょう。神にでもなったつもりか、と神になったつもりの人が言っている光景をしばしば見かけます。実際、美味しさや便利さ、という人間側の目的のために、生存に支障のある動植物は多いでしょう。私は専門家ではないので間違っていたら申し訳ありませんが、肉牛なんかは、基本的に超肥満体型を維持させるために脂肪を蓄えさせ続け、今にも倒れそうになっている状態を薬を投与することで生き永らえさせている、と聞いたことがあります。これは間違いなく非人道的と言われざるを得ない行為であると言えるでしょう。しかしながら、ではこれをやめてしまえば、勿論この改良された品種は絶滅します。なぜなら人の助けなしでは生きられないからです。となると、悪いのは生み出してしまったことでしょう。では生み出されなければ何が起こったのか。当然狩りが行われているでしょう。野生に生息している牛を狩ることになるでしょう。牛肉はそこからしか得られませんから。しかし狩りには危険がつきものです。けが人が増えるかもしれません。そして供給量も減るので、肉を食べることのできる人間は少なくなるでしょう。必然、効率よく狩りができる方法が確立されていくでしょうね。そうすると、動物愛護団体はやはり登場することになるのでしょうか。
 このように因果関係は結びついています。もちろん、これらは全て人間基準のものであり、人間のために行われている因果と技術発展です。故に、人間は愚か、と言う人がいるのでしょうが、それは絶対的な評価であって相対性を欠いていると私は思います。すなわち、すべての動物は自分のために行動し、自分の利益のために思考するものであるので、人間が特別自分主体で動いているわけではないということです。
 私は専門家ではないですが、野生動物で環境のため、他生物の利益のために動いているものなど恐らくいません。すべての生物が自分のため、ひいては家族のために生きていると思います。すなわち、生物としての在り方そのもの、弱肉強食というルールであるがゆえにことさら人間だけが利己性を咎められるというのは不公平です。(まあ咎めているのも人間だけなのですが)そして、利他的に動くことができる(私は究極的には利己的でしか無いと思っていますが)のもまた人間だけです。つまり、人間は他の生物に比べ、他の生物を利用する割合が高いかもしれませんが、その分他の生物のためにも動いている、ということです。それらすべてを踏まえたうえで、人間だけが持つ(とされている)理性を持ってして利己性を抑制できない点について"人間は愚かだ"というのであれば、完全に否定することはできませんが、少なくとも、こういった比較や背景を考えれば、ただ"人間は愚か"という言葉で片付けてしまうことは実に"愚か"であると思うのです。
 世の中、というよりも世の作品の中、という方が正しいでしょうか、そういったものの中には、人間というのは良くないものである、という風潮があります。人というのは愚かなものだ、業を背負っているのだ、というテーマで描かれた作品は非常に多いと思います。こういったものはどこから来ているのでしょうか。細かく調べる気力はありませんので適当なことをいいますが、やはり「人は生まれながらに罪を背負っている」と聞くとキリスト教的な思想を連想します。基本的に、救いを求める人が多くなければ救済的思想は産まれませんので、不景気や、恐慌などの要素が重なってのものとは思いますが、それらの原因を自らの行いだとすることによって、どうしようもないことに区切りをつけたようにも思えますね。(再三言いますが、私は専門家ではありませんので、根拠のないことを言っています)
 誰かによって何か悪いことが起こったときに、悪いのは起こした誰かであって人間全体ではないはずです。これは、例えば殺人を犯した人がいたとして、人間の業だと言われると、適当に「人は愚かな生き物だ」なんて言う人がいるかもしれませんが、これを日本人は凶暴だ、男/女性は攻撃的だ、と言われたら否定したくなるでしょう。そもそも、問題があるのは殺人を犯した個人であり、人間ではありません。糾すべきは犯罪者であって、性質ではないのです。ただ少しの悪人のために、多くの素晴らしい人間が悪く言われるというのが、私は納得いきません。
 これらの理由から、私は人間は愚かだという言葉が嫌いです。愚かなのは人間ではなく"愚かな人間"であり、気安くこの言葉を扱う人間はただそれっぽい感想を言っているに過ぎません。大体、人間はクソだ、ということを否定してはいけないような風潮が私は嫌いです。私の周りには素晴らしい人間がたくさんいますし、あなたの周りにもいると思います。その人たちまで貶されている気がして、私は納得がいかないのです。

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