うつ病の人は純粋な心の持ち主

どうも、うな祐です。僕は統合失調症を患っています。そして、うつ病歴の方が長いです。今回は「うつ病の人と普通の人の違いってなんだろう」そう疑問に思った中で僕の考えや想いを綴っていこうと思います。

普通の人も気分が落ち込むことはありますよね。だから、うつ病の人の気分の落ち込み方も理解したつもりになってしまいます。「辛いのはみんな一緒」「うつは甘えだ」と考える人はうつ病の人に共感できていると思っているからこそ、こう言うのだと分ります。

僕もうつを患わなければそういった考えを持っていたかもしれません。

なぜなら社会で生きることは辛いことも沢山あるからです。みんな必死に生きています。なのにうつ病の人は早々にドロップアウトして楽している。卑怯だと感じてしまいます。そういうロジックが働いてしまうものなのだと思います。ですが実際にうつ病を患ってしまったら・・・。

四六時中、気分が落ち込んだままです。来る日も来る日も同じです。月日が経ち年月が経てば、その苦しみは絶望へと深化します。

僕の場合、友人を無くし、お金を無くし、家族関係も壊れてしまいました。

そんな僕が、やがて精神科へ通い。薬を飲みながら治療を続けていくうちに感じてきたことがありました。

それは「うつの人は純粋な心の持ち主」だということ

です。

そもそもなぜ人の心は壊れるのでしょうか。弱さからでしょうか。臆病さからでしょうか。昔なら「意気地なし」と呼び捨てられたかもしれません。でも、うつ病疾患者は年々増え続けています。では現代人は意気地なしが増えたということでしょうか。違うと思います。

日本においては誠実。真面目が国民の気質だと思っています。そんな国民性を蝕んでいっているのが社会のあり方だと思うのです。社会は年々、歪で狂っていっていると僕は強く感じています。普通の人はうまく自分を社会に合わせるためにウソを自分につきます。(僕はそうでした)

社会に寄り添う努力を無意識レベルで培います。それは立派なことであると僕は思います。しかし中には社会に寄り添えなくなる者も出ます。一部の人は人間関係を断つ道を選ぶことで自我崩壊を防いでいる人もいるでしょう。

しかし多くの人は最後まで寄り添おうとします。そんな人の一部が、ある日突然、壊れます。うつ病の発症です。

なぜ壊れてしまうのか。それは自分の中のウソに寄り添えなくなるからではないでしょうか。

心が誠実である人ほど頑張り屋で無理をします。真面目に頑張って生きようとします。でも社会(状況)がそれを否定するものの連続だった場合。それに合わせて自分を誤魔化せる器用さが無くなってしまった時。一気に心の崩壊が起きます。

もう自分の中のウソと寄り添えなくなります。素直な気持ちと直面した人間は絶望します。なぜなら心の鎧(ウソ)が剥がれた状態になるからです。赤子同然なわけですね。赤子はちょっとしたことで絶望したように泣きます。みなさん幼いころほど恐ろしいことが多く在ったと思いませんか?(僕はそうでした)純粋な心と恐怖や絶望はセットなのです。

うつ病の人に僕が言いたいことは一つ!

それは「歪で狂った社会の方が間違っているのであって、あなたは正しい」です。

心が壊れることは異常事態です。自らに過失がある場合であっても本来社会は個々を受け止める存在であって然るべきです!

うつ病は社会問題です。ですが、本当の意味で社会はうつ病と向き合っているでしょうか。むしろ社会の脱落者としての結果というレッテルを張り、再び社会に復帰することを望んでないのではないでしょうか。(変わりは毎年春にやってくる新人がいますから)

弱肉強食な社会。純粋な心の持ち主が淘汰される社会。それはおよそ人間らしい社会の在り方ではありません。僕はそう思います。

失われた経済は25年と言われてきましたが、もう30年になります。そんな社会経済。多様性と寛容さがある社会とはほど遠くなってきたと感じています。しかし、このnoteでは沢山の人の意見に触れることが出来てとても居心地が良いです。表立った社会でもみなさんが素晴らしい活躍ができることを心から願っています。

お読みくださった方ありがとうございました。





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