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庭木を見て何故ピアノをやってるのかを考える


根を切っていく

周りを写したくないので何だかわからないけど庭のこの樹を移設してもらう
重機も出てきたりして大ごとに
いろいろ聞いてると、素人がいじれば枯れると思う
ちゃんとした植木屋さんにやってもらえてよかった
この先20年くらい生きるかな?と聞いたら大丈夫もっと生きてくれますよ・・・
よかった、私が死ぬまで付き合ってくれるよね

樹と言えば
クラシック音楽の定義はいろんな角度からできると思うけれど、師匠についた人が独り立ちすると今度は弟子をとって教えてゆくという伝承の世界でもあると思う。
ベートーヴェンもブラームスもショスタコーヴィッチもバルトークもみんな弟子に教えていて出来ちゃった話とかが出てくるのは置いといて
日本のその辺でやってる普通の人には関係ない話かというとそうでもなく音大の先生のそのまた先生のとやっていくとそんなにさかのぼらなくてもヨーロッパから来た人に師事したとか向こうへ留学して誰かに着いたとかいうのが来て、そこからちょっとさかのぼると歴史に名を遺すものすごい人に当たったりする
もっと行けばチェルニーにたどり着きその師匠はベートーヴェンだみたいな

そして、そんなの全然縁がないような私だけど別な楽器をやろうとある人の個人レッスンを一回だけ受けたことがあった。
その楽器が何かは書かないけど、ある海外の超メジャーオケで伝説みたいに名前を残してる奏者がいるんですよ。名盤とか言われるCDがたくさんあって
雲の上どころか宇宙の果てみたいな人かと思ってたけどその人一時期日本の音大が講師として呼んでたらしいんですよね、そして私がレッスンを受けた人はそこでその人に教わった
だから、伝説の果てみたいな人がレッスンでなに言ってたか習った人から直接聞けたの・・
伝わんないかもしれないけど言いたいのは意外にすぐその辺にも本流への入り口があるらしいという事で

テクニックだけでなく演奏解釈もそうだし心みたいなところも含め教わるのものは人間を通るので個性や時代感が乗ってそのまま同じものがコピーされていくわけではないけれど、でもその神髄みたいなものがずーっと何代も何年も伝承されてゆく・・・
先生になって次に教えてゆく人が樹の幹だとすれば私みたいな単発で終わっていくのは末端の葉っぱなんじゃないか

根巻と言ってあれやんないと枯れちゃうらしい

樹齢300年のクラシックの樹、葉っぱに意味がないかと言えばそんなこともないだろう。
時季外れに出て来て変な形で迷惑なくらいの葉っぱかもしれないけれど
という意味でも、クラシック音楽に憧れると我流じゃなくその筋の先生につきたいと思ったりするわけで

とこんな話を書いても馬鹿じゃないのかなんか言われておわりですかね
今日も真面目に練習してます
どっか読んでたらベートーヴェンの月光ソナタの話が出て来て
練習の合間にふっと弾いてみた
音楽に目覚めたけれど誰にもそんなこと言えない中学生は、ピアノなんかあるわけがなく妹のための中古のエレクトーンしかなかったけれど我流で弾いた月光を
エレクトーンじゃ鍵盤の音域が全然足りないから左を1オクターブあげるとかなんかしてたと思う2段あるしね。
ピアノで弾いてみたくてね・・・憧れて
今、目の前にピアノがあるじゃないか・・ハイブリットピアノだけど
笑っちゃうのは37年も経ってるのに、あの時覚えたものがまだ残ってて意外にずーっと弾けたりす・・

そんなことより寒いよ急に
別な楽器でレッスンをなんて書いたらなんかやってた人みたいだけど実際はものすごい黒歴史だったりして
それより一番言いたいことは
ピアノやってて巧い下手とか他人の前でどうかとかそんなこととは別に
クラシック系を教えたい先生について自分もそこ教わりたいと思った時点でこんな私でもずっと続いてきたあの流れに乗れてるのかな?
と思えたら幸せ
だからそれやってるんだよというようなことで

掘る

私そんなもん絶対にやらなそうな人だけどなぜか重機に乗れる免許持ってます
講習で一回穴掘ったっきりだけど

自分でもよくわからないままやらなきゃならない気がして手を付けた庭改造、節目の50歳な今年やっといてよかったかもなと
まだ終わってないけど


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