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どうでもいい話

何か嫌なことがあった時や、考えたくないことがある時。「考えたくない」と思っても難しいので、その代わりにすっごくどうでもいいことをぼーっと考えてたりします。
例えば、「ドーナツの穴だけを残してドーナツを食べきるのは可能なのか?」とか、「時間って何だろう?」とか。

ドーナツの問題は、元はネットか何かで見たものですし、調べれば色々な考え方がヒットするのだろうと思います。色々な方がこの問いに答えている本もあるらしいですね。
時間についても、おそらくは何か通説があるんだろうとは思います。
それでも、「考えたくないことから遠ざかる」のが目的なので、あえて調べずに好き勝手に考えるんです。自己満で良いと自分に言い聞かせて…笑



ドーナツの穴を残して食べる?

そもそも、ドーナツの穴ってどこからどこまでなんでしょう?
おそらく、ドーナツの生地の中央に、生地の厚さを高さにした円柱型の空洞があると仮定して、その空洞部分を「穴」と呼んでいるんだと思います。
そして、穴というのは周りの生地の部分が無いと成立しないのではないか?と思うので、そういう意味では「穴を残して食べ切る」というのは不可能だと思います。

それを可能にする方法として、個人的には、食べ方云々の問題ではなく、「穴」という概念の捉え方を変えるしかないのではないかという結論に至りました。
「穴」を、「ドーナツの生地が存在していない部分」として定義します。
そうすると、ドーナツを食べ進めて穴を囲む部分の生地がなくなったとして、「穴が無くなった」のではなく、「穴の部分が広がった・もしくは繋がった」と解釈できなくもないのかなぁ…なんて。
元々「非存在の存在」という矛盾した概念なのだから、その強引さを最後まで押し通せ!という、それこそ強引な考え方ですが笑。

皆さんはどう考えるのでしょうか?


時間って?

時間って、何なんでしょうね。
当たり前のようにその枠の中で暮らしているのに、私は「時間」が何なのかよくわかっていないような気がします。
というかそもそも、「時間そのもの」は存在するのでしょうか?

暇つぶしに考えていたようなものなので、時間の起源は知りませんし、もしかしたら全然違う通説があるのかもしれません。
あくまで個人的な考えとして、時間は物理的な現象に依拠するものなのかな?と思っています。
何らかの物質の変化かもしれないし、天体の動きであるかもしれないし。その「変化と変化の間」を便宜的にブツ切りにしたものが「時間」として扱われているものなのかなぁ、なんて。

もし、物質の変化の間隔が著しく変化したり、変化が可逆的なものになったら、「時間」はそのままの形で存在し続けるんでしょうか?
飛躍した話になりますが、例えば「タイムマシン」や「タイム風呂敷」のようなものが出てきて一般に普及するようになったらどうなるんでしょう。
「過去に戻るという未来」とか、「未来を経験した過去」が存在するようになったら…
――いや、そもそも「過去」とか「未来」とかいう概念は「時間の流れが不可逆的なものである」という前提のもとに成り立つものだし……
なんだか、書いててこんがらがってきたのでここまでにします笑。

「時間って便宜的なものに過ぎないのかも?」なんて思った、という話でした。


タイトルにある通り、「どうでもいい話」なわけで、考えたからってどうというわけではないです笑。なんなら、結論が出ない時もあります。
だけど、「どうでもいい話」とわかっているからこそ、結論や正解を気にせず、自己満でも気楽に考え続けられる気もしています。

お読みいただきありがとうございました!

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