見出し画像

有島武郎の『生まれいずる悩み』


私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに ── すべての人の心の奥底にあるのと同様な ── 火が燃えてはいたけれども、その火を燻らそうとする塵芥の堆積はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。

有島武郎『生まれいずる悩み』


『或る女』や『カインの末裔』などで知られる作家、有島武郎の中編小説『生まれいずる悩み』は大正七年に書かれた。有島の代表作とは言いにくいと思われるが、きわめて有名な作品で、作者のことは知らなくとも、誰もがこのタイトルを一度は耳にしたことがあるだろう。

有島は大正時代の作家で、『白樺』に参加していた。白樺派の作家というと、明るく楽天的な人道主義の武者小路実篤や、個人の暗い運命と強烈な個人的苦悩をパワフルに描く志賀直哉がいるだけに、そうした強烈なパーソナリティーを持つ作家たちの中では、有島の存在感は少々薄くなってしまうかもしれない。しかし有島もまた、現実よりも理想を重視する白樺派の典型的なメンバーであり、その作品も他の同人と同様に、人道主義的であると同時に、個人主義的で自我肯定的なカラーを含んでいる。

有島の特徴は、テーマにおいて「愛」が基調となっている点にある。有島はその生涯にわたって、おそらくは近代の文化人のなかで、最も誠実に自己の理想を追求し、かつ誠実に近代的自我と格闘した人間だった。有島の親しんだ外国の文学作品はエマーソン、ホイットマン、カーライル、ツルゲーネフ、トルストイ、イプセンらのものであるが、いかにも理想主義的次元における「愛」に関心を持った有島らしい選択であろう。彼は札幌農学校(北大)在学中にキリスト教に傾倒するが、渡米後に信仰を捨て、社会主義に関心を持つようになる。しかし後には無政府主義へ傾いてゆく。

理想の高みを求める一方で、それに対立する人間の本能に自らを委ねることに真の自由を見いだして肯定するようになるが、そのことはすでに明治四十四年作の『或る女』に見られるとおりである。ここでの女主人公、早月葉子は近代自我に目覚めたために時代と葛藤した、まさしく進歩的女性なのであって、『或る女』は近代日本文学におけるフェミニズム文学のさきがけであるといえよう。島崎藤村、田山花袋らの自然主義と芥川龍之介や菊池寛らの新現実主義との間の、現実志向の文学潮流の幕間において、イプセンを読み、女性の視点から女性を描いたところに有島の先進性があった。

有島は美人の新聞記者波多野秋子と心中するが、『生まれいずる悩み』は、理想追求の後退と挫折に向かう暗い行程を運命づけているように思われる。これは北海道の漁師の息子で漁にいそしむかたわら、画を描いている画家志望の青年が、芸術家として大成することを夢見て都会に出ようと考えているものの、困窮している家族を見捨てられずに苦悩し、作者の分身である「私」に相談した末にやがて夢を捨てることを決意する、という物語である。

作品は木田金次郎という実在の人物と作者の出会いをもとに、それをモデルにしており、生活と芸術に打ち込む青年の姿や、それに魅せられる「私」が北海道の雄大な自然の風景描写を交えて感動的に描かれる。あれすさぶ海に生きる青年は、絵画においては山を好んで描く。広大な平原の世界たる北海道において、山はそう際立った存在とはいえない。大地が隆起して勇壮に聳え立つ山の揺るぎない量感、安定感に憧れている、と青年が言うとき、そこには、夢をかなえることにおいて揺るぎない可能性を保証する大都会の確かさと、将来における、自分の望みに沿った人生がもたらすであろう確かさへの憧れを読み取ることができよう。

しかし有島の方にとっては北海道こそが、善き土地であった。近代西欧型の資本主義社会となった大正時代の東京へのアンチテーゼとして、北海道は人間の理想的な調和の実現するかもしれない可能性に富むフロンティアであった。その意味において北海道の地は有島にとり、放棄したキリスト教や、トルストイ的人道主義や、社会主義などよりも真実らしいものだったのである。

当然ながら、ここで理想主義文学の限界が表面化することになる。作品中では芸術と生活の相克する狭間で苦しんでいる木田青年は、実際にはあまりためらうことなく、都会に出ようと決意して、最後までその気でいたのであったが、有島の強い勧めに従って北海道に残ったのである。当然、木田青年は自発的に葛藤したわけでも、そう苦悩したわけでもない。だから『生まれいずる悩み』は有島によって本質的な脚色を加えられ、美化、理想化されているのである。この作品は作者有島の志向に支配されたモノローグ的宇宙であり、虚構であり、有島武郎による予定調和の交響曲となっている。人間として誠実であったが、理想に向かって悲劇的な邁進を続けた末に、有島は自分と他者との間に越えがたい溝を掘ってしまっていた。

ある意味で最も典型的な文学人であった有島の自殺死は、理想主義に忠実に生きた人間を破滅に向かわせることになる典型的な悲劇のことをあらためて我々に想起させる。冒頭に掲げた『生まれいずる悩み』の導入部は、その点で示唆的であるかもしれない。理想主義者たちは、現実に敗北したためにではなく、むしろ自ら内に抱いていた理想の内圧に耐え切れなくなったために死ぬのである。

                             (1994)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?