教養教育

 今現在世の中は大学生に対して即戦力となることを求めている。終身雇用が事実上なくなり、社内教育に時間を割くことができなくなっているからだ。それにより大学は即戦力となる学生を育てるために、職業訓練校のようになり始めている。果たしてこれでよいのだろうか。

 確かに、いわゆる教養科目は学生にとっても面白いものばかりではない。何のために学んでいるのかわかりにくく、また将来に直接役に立つようには思われないため、モチベーションも上がりにくい。

 しかし、だからと言って教養教育をおろそかにしていいはずがない。教養教育は人間の思考の幅を拡張してくれる。新たな考え方や視点をもたらし、直接その科目を使わなかったとしても、将来的にいつの間にか役に立っているものである。例えば数学の公式そのものを使うことはなくとも、公式を導出する過程の考え方が何かの形で役に立つ。何に役に立つか明確に説明できないことが、役に立たないことの証明にはなりえない。

 また、情報化社会の中で特に知識面に関しては調べればある程度何でも出てくる時代である。しかし、ある程度勉強していなければ調べられないどころか、調べるという選択肢すら生まれない。たしかに、昔のようにすべてを覚えていなければいけない時代ではない。しかし、調べるための最低限の知識は必要なのである。

 さらに言えばインターネットは万能ではない。世の中の多くの問題に対し、インターネットが答えを教えてくれることはほとんどない。教養教育の本質は表面的な調べられる知識ではないのだ。

 教養科目の授業内容や方法は変えていく必要がある。インターネットがいつでもそばにある前提での教養教育は、今までとはまた少し変わってくるだろう。しかし、それは教養教育を減らすという意味ではない。 また、学生としても教養教育が面白くないという前提を疑っていかねばならない。確かに興味や相性もあるからすべての科目を楽しく、とはいかなくとも、楽しめる科目を見つける努力をしなければならない。

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