よっしー

『寺子屋ちゃんねる』でライターをやってる大学生。 今までに投稿したコラムのまとめ用アカ…

よっしー

『寺子屋ちゃんねる』でライターをやってる大学生。 今までに投稿したコラムのまとめ用アカウント。 サイトリンク:https://kyougakusya2015.com/terakoya-channel/

最近の記事

日本語

 小さい子供がいる親にとって最も恐ろしいのは子供の「なんで?」である。大人にとって「当たり前」で気にかけたこともないようなことに、子供は疑問を投げかけてくる。世の中にこれほど恐ろしいことがあるだろうか。  先日の大学の講義で、ある教授の言い回しに少し気になる部分があった。しかし、その違和感を感覚的には捉えられても論理的に説明できなかった。結局、ネットで調べて違和感の正体を突き止めるに至ったが、自分が日本語を感覚的にしか理解していないということを知った。母語であるがゆえに論理

    • 距離の消滅

       今、高校時代の同級生はどうしているだろうか。  早いもので、高校を卒業してから2年になる。今も交流があるのは本当に一部の友達だ。高校時代にそこまで仲良くなかった同級生の近況が妙に気になる。なぜだろうか。  昨日、ついに緊急事態宣言が全国に拡大され、より一層いろいろなところで制約がかかるようになった。私も、1年生のころからやってきていた地域での活動が事実上ストップしている。致し方ないことだが「こんな時だからこそできることを」と考えずにはいられない。  そんな時、高校の時

      • 読書のすすめ

         先日本屋をうろうろしていたら、物理と数学のコーナーの滞在時間が長いことに気が付いた。私はバリバリの文系学生だが、どうやらこの世界の原理的なことに興味があるらしい。とはいえ最終的に買ったのはお気に入りの漫画なのだが。  コロナウイルスの影響で「おうち時間」の過ごし方が注目されている。大学生の「おうち時間」の過ごし方の「お手本」としてよく、読書があげられがちである。とはいえ、読書はハードルの高いもの、と捉えている人も多いのではないだろうか。  私からすると読書に対しては偏見

        • 難民の人たちに教わった「私たちは恵まれた環境で育っている」

           私は高校2年の時に難民キャンプに行ったことがある。私にとって大きく人生観の変わる経験だった。実をいうとnoteを書くにあたって、最も書きたかったテーマでもある。1回では書ききれないので何回かに分けて書く。  私が行った難民キャンプはタイとミャンマーの国境の、タイ側に逃れてきたミャンマー難民のキャンプである。そこにいるのはミャンマーの少数民族であるカレン族の人達である。一般的にミャンマー難民というと、ロヒンギャ族のことが有名だが、ミャンマーは多民族国家であり、ほかにも迫害を

          noteを書いてみて

           今日でちょうど10日間連続の投稿になる。正直、毎日書くつもりもなかったし、どれくらい長続きするかもわからない中でスタートした。ところが意外と続いていることに正直、驚いている。私はこういったことが続かないタイプなので、10日ですら長く続いたうちに入る(笑)。  こうやって書いてみることでいろいろ得ることがあった。まず、自分はいろいろ考えているようでその実、まだまだ整理されていないということ。話しながら整理するよりも、文字に起こして整理することでより詳細まで整理できるのだ。

          noteを書いてみて

           死ぬとはどういうことなのだろうか。私は幸いにもまだ生きているし、大病にもならず、所謂「死の淵をさまよう」ような経験もしたことはない。だから結局想像でしかない。おそらく正解などと言うものはないし、あったとしてもそれが分かったときはもう遅い。  この世から意識がなくなるということを想像してみる。しかし、意識が「ない」ということを考えてる時点でやはり「ある」状態であり、想像することができない。「長い夢を見ているようなもの」という表現をされることがあるが、おそらくそれも違う。脳が

          長野市に来て

           長野市(長野駅周辺)は善光寺の一強で成り立っているように思える。確かに全国でも有名な観光地で、国内国外問わず多くの観光客が訪れている。しかし、それは善光寺の力だけといっていいだろう。善光寺に頼って観光業が成り立っているのだ。善光寺に頼ることは決して悪いことではない。これだけ強い観光名所があるのだから、わざわざそれ以外に観光名所を作る必要などない。  問題なのは善光寺の力を生かし切れていないことである。正直言って善光寺には放って置いても観光客は来るし、それである程度潤う。し

          長野市に来て

          教養教育

           今現在世の中は大学生に対して即戦力となることを求めている。終身雇用が事実上なくなり、社内教育に時間を割くことができなくなっているからだ。それにより大学は即戦力となる学生を育てるために、職業訓練校のようになり始めている。果たしてこれでよいのだろうか。  確かに、いわゆる教養科目は学生にとっても面白いものばかりではない。何のために学んでいるのかわかりにくく、また将来に直接役に立つようには思われないため、モチベーションも上がりにくい。  しかし、だからと言って教養教育をおろそ

          テレビゲームからe-sportsへ

          テレビゲームはただのお遊びであった時代はもう昔の話だ。今やゲームは「e-sports」と名前を変え、新たな競技となった。内容はその名の通りスポーツそのものだ。この現代、子供がゲームをすること自体を悪い事と捉えるのはいかがなものだろうか。 経済面でも無視できない。 e-sportsの市場は2019年全世界で10億ドルを超えている。非常に大きな市場であると同時にこの3年間、2億ドル/年のペースで市場を拡大している。ただのお遊びにしては過ぎた市場だ。 確かに、実際にプロのe-s

          テレビゲームからe-sportsへ

          真に多様性を受け入れるということ

           「多様化した社会」「ダイバーシティ」などと言う言葉をよく目にする。人種や肌の色、性別などによる差別をなくしていくという意味で重要な考え方である。特に島国である日本では多様性に寛容とは言えない。「みんな同じ」を好む日本の教育体制や文化ではなかなか浸透しにくい考え方であっただろう。とはいえ、日本でも徐々に多様性を受け入れるようになってきている。  しかし、まだ本当の意味で多様性を受け入れていることにはなっていない。そもそも「多様化」とはどういう意味だろうか。広辞苑には「いろい

          真に多様性を受け入れるということ

          真実

          「真実はいつも1つ」という有名な言葉がある。だが、私はこの意見に疑問がある。果たして本当に真実は1つなのだろうか。 世の中で起きている自称は中空に浮いている球体のようなものだ。誰が見ても同じ円形に見えるかもしれないが、見え方はまるで違う。起きている事象は同じでも、人によってとらえ方は様々だ。 例えば戦争が起きたとしよう。多くの人はマイナスのイメージを持つだろう。しかし、兵器を製造している会社だとしたらそれは絶好の商売チャンスと捉えることができる。この場合どちらかが真実で、

          自己分析

          大学で、私は自己分析を進めたいと思っている。将来の進路を決めるためには自分に何ができて何ができないかを知る必要がある。 進路選択は大きく分けて2種類の道があると思う。1つは好きなことをやっていく道だ。自分が好きなこと、一所懸命になれるものであれば、将来の幸福度は高まりやすい。 もう一つは得意なことをやっていく道だ。自分の得意なことであれば活躍しやすいし、社会への貢献度も高まる。 私には現状好きなこと、というものが存在しない。ある程度好きなことは沢山あるが、その上を行くも

          アウトプット

          私は頭の中で考えることが得意だ。 「論理的思考力」のようなもので、昔から鍛えられていたと思う。 しかし、それを文字化してアウトプットすることは今まであまりなかった。書くのは苦手で、人と話すことで自分の考えを整理し、更新し続けていった。 しかし、それだけではだめだと思う。人に頼らず、自分で自分の考えを頻繁に整理し、更新していかなければならないと感じている。 故にブログをはじめてみることにした。 普段考えていることなどを改めて文字化し、考え直し、時には詳細を調べる、というこ

          アウトプット