本屋にて②

 本屋に行って何も買わないことへの罪悪感は特にない。

 一ヶ月ぶりに行きつけの本屋に行く。ボスカフェインを飲み終えたくらいで店につき、まだ閑散とした店内を物色。
 店内のレイアウトがだいぶ変わっている。国内でも有数の広さをうたうこの本屋だ。棚をひとつ移動させるのにも相当な重労働だと想像できる。

 ただ、文芸誌の棚が小さくなっているな? 本屋では文芸誌など流行らないとでも言うつもりか? 笑える。

 先月行った文学フリマで買い込んだ様々な書籍、約一万円分。ひとつも手を付けていないことを思い出し、少しだけの焦燥感。いつからか、本は読むものではなく積むもの、飾るものというイメージが心の中に根ざしている。

という言い訳。

 一仕事終えたから今日は買い物に出掛けただけ。欲しい本があったわけではない。

 ただ、よしどっか出かけるか、と意気込んだときに、大きな本屋がある街を優先して考えてしまうのは、やはり本という存在に生かされている事実があるからだと思う。

 読むにしろ、読まぬにしろ、体の大部分が文字で埋め尽くされている自覚はある。
 いや、大部分は音楽か? 半々ということか?
 どっちでもいいか。

 何も買わずに店を出たら、駐車場の隣の車のカップルがトランクから何かを取り出し記念撮影をしていた。
 僕は自分の車に向かっていただけなのだが、おそらく写真に映り込んでしまっただろう。空気読めよ、という空気がたかがふた区画に漂うのを感じつつ、聞こえないように舌打ちをする。

 こうして、本屋とは関係ない出来事が、本屋で起きたイベントとして、僕の思い出の中に名前を付けて保存されていく。
 来週もこの本屋に来ようかな〜などと、呑気に鼻歌を歌いながら車のエンジンをかけた。


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