午前中指定の宅配便が届くまでの話

 寝過ごしたつもりもないし、インターフォンは鳴ってないし、不在通知も届いてないから僕に非はない筈だが、なんとなくこの胸にある焦燥的な感情は、性格故か、人類皆抱える病的思考なのか。
 昨日仕事を辞めた彼女のことを考える。「応援してる」なんて言葉は、あまりに無責任なんだなって思う。事情は知らないし、君の体調や精神面での不安とか分からないくせに、よく言えたもんだな、ってレベルのセリフだと思ってる。言うなれば、影から見守る理解者ポジションを気取って、いつか頼られるわけでもないのに相談事ならいつでも乗るよってアピールをしているだけの有象無象の一人である。異性相手ならワンチャンありとも思ってるかもしれない。かと言って、同性同士でも他方に自分のスタイルをプレゼンしてるようなもんなら、やはりワンチャンを狙っている可能性も無きにしもあらずか。
 生きていればなんとかなるって、無意識に思い込んでいたかもしれない。というより、未だに意識の根底にへばり付いている。生きてさえいれば。その先にある言葉は、たとえ死んだとしても、であることも分かっていた。人が死ぬのは、あ、荷物が届いた。ちょっと待って。おっけ枕が届いた。でもまだ届くものがあるので続ける。
 人が死ぬのは人に忘れられたとき、なんて言葉は、有名な漫画の名言とされているけれど、結局僕だって大勢いるだろう人間と同じく、この言葉が好きではないし、なんなら真意なんてどうでもいい。そもそも自分が死んだあとに、自分のことを語られるのは嫌だ。自分が死んだあとに、忘れられずに語り継がれることになんの意味があるんだ。さっさと忘れろ。二時間後には忘れてくれ。そう願ってやまない。
 あのとき彼女は、自分の存在意義に悩んでいた。いやあの時より以前から、昨日に至るまでずっと悩んでいただろうし、これから新しい場所でも悩み続けるんだろうか。周囲は彼女をアイドルのような偶像として持て囃していたし、それは彼女も自覚していた。だからこそ、返す掌は一瞬だ。誰も責任を取っちゃくれないし、なのに言ったもん勝ちの世の中だ。彼女がいつか死ぬと言うなら、それはきっと無様な姿を晒すことだろう。
 「無理しないでね」なら、何十回と言い続けてきた。でもそれ自体が無理なんだ。無理をしなければ存在する意味がないと思い込んでいたから。彼女に否定は届かない。批判しても梨の礫だ。それでも弱音を吐くから、見守ることしか出来ないのだ。
 彼女は昨日仕事を辞めた。悩み事の一つは減っただろうが、新しい場所でまた新しい悩みを抱えるんだろう。それを支えるつもりもないが、掛ける言葉は昔から変わらない。インターフォンが鳴った。ちょっと過ぎてるじゃねえか。

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