4月1日の話

 四月一日と書いてワタヌキと呼ぶと知ったのは漫画の主人公からだったと記憶しているが、八月一日をホヅミと呼ぶと知ったのはいつからだっただろう。漫画やアニメやゲームなどのサブカルチャーもいつしか市民権を得たようで、いまや良くも悪くもSNSのトレンドにあがるような存在になっている。ゲーム脳などという言葉もそう滅多には聞かなくなった。何処ぞの地方では未だに盛り上がってるようだが。
 4月1日と言えばエイプリルフール。あまり好きではない日だ。欧米では、大手メディアが嘘か本当か分からないような情報を流し、国民が問い合わせる事態にさえなるという話は有名で、国を挙げて盛り上がっている。日本では、SNSの発展とともにある種の一大イベントとなりつつあるが、やはり個人的には好きではない。嘘か本当か分からないライン、というのは迷惑だ。サンシャイン牧場然り。
 何かを検索する際に、SNSは時に検索エンジンよりも有用だ。だが、4月1日以降暫くは情報の真偽が疑わしい。殆どが、有り得ない分かりやすい嘘であるのは確かなのだが、ネタとして発表した商品の反響が大きく、実際に商品化しました、のような案件は少なくない。むしろ、エイプリルフールを利用したマーケティングでしかない。同じ阿呆なら踊らにゃ損だとは思う。でも露骨に笑わせようとしてる姿を見ると、胃も心臓も痛くなる。これはきっと、自分自身の性格の悪さから来る嫌悪でもある。
 ただし。もう随分前になるが、円谷プロがエイプリルフールに決行した、ツブッターなる嘘サイトは、その後も度々見ては笑っていた。ウルトラマンや怪獣たち専用のツイッターで、ゴモラが可愛くて仕方なかった。今考えると、あれは、有り得ない企画だったからこそ笑えていたのか。それとも、そういった企業案件であろう企画に飽きてしまっただけなのか。
 メディアが乗り出すと途端につまらなくなる現象は存在ずる。有名どころだと、地上波放送時の天空の城ラピュタのバルスタイミング。実際に記録としては残るだろうし、失敗する要素はない。だけどそもそも流行を牽引する筈だったメディアが、後出しで流行りに乗ろうとする行為に、気持ちが冷めてしまったのも事実ではある。いや、まだ世間一般に浸透していなかったのかもしれない。様々なSNS自体が世間一般とは隔離された存在だった場合の話だが。
 かく言う僕は、バルスではない単語を呟いて目立とうとしてる奴らを検索して楽しむだけの人間だった。ラモスで検索かけたら数十人以上ヒットして、共感性羞恥が発症しそうになった。
 流行りのものについていけない、そんな感覚もあるのかもしれない。鬼滅の刃は3話でやめた。呪術廻戦は途中から観ていない。シン・エヴァンゲリオンはたぶん観に行かない。むしろ脳がこれ以上のインプットを拒絶してるのかもしれない。何かを吐き出せるだけ吐き出せば、またコンテンツを吸収し出すのかもしれない。
 とまあ、何かを吐き出すことに成功したとして。午前中限定という話は実はイギリスだけだったり、それすらも嘘だったり、よく分からない日ではあるが。つらつらと書いたこんな文章も、令和3年4月1日に書かれたものであることをよく噛み締めて、それを来年の4月1日まで覚えておくことにする。

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