退路を断つという気高き行為の話

 定時で帰れる会社に勤めるために、勉強という努力をして、入社して、念願叶って定時で帰って、バンド活動を続ける人間はいない。いなくはないか。
 音楽だけじゃ食べていけないなんてよくある話で、それならという反論で、定時退社出来る会社に勤めたらいいじゃん、という与太話がうまれた。与太話ではないかもしれない。
 何かにかまけていたり、二足の草鞋じゃどうしようもなかったり、そんな理由で一つの道だけを歩き続ける人間は多いだろうが、その半分以上は別の理由で退路を断った気になってるんじゃないかと、そういう暴論をこれからします。
 まず仕事は面倒くさいし、お金を稼ぐことに必死になるのは惨めに見えるかもしれないし、ロックならそりゃ社会に従順であることはデメリットだ。かと言って、金を稼げなきゃ野垂れ死ぬだけだし、音楽が売れない時代なら尚更だ。ましてや素人がパソコン一つで曲を完結させる時世、バンドマンは死んでしまう。そんな覚悟を持って退路を断つなら、死んだところで本望だろうが。楽してなんとなくバズって一時代を築いたり出来ねーかなー? とか思ったゃうよな。俺もそう。誰だってそう。
 別にバンド活動云々の話をしたかった訳じゃないんだけどさ。俺が観劇を趣味としてた頃、次に何を見るか探してたとき、ある退路を断ったアマチュア若手役者を見つけた。そいつは、舞台役者一本で生きていくために、バイトを辞めたとツイッターで宣言していた。勿論、役者一本でと豪語するくらいだからフォロワーもファンもそれなりに多かったし、リプライ欄は応援メッセージで埋め尽くされていた。そして俺は、苦虫を噛んだ。完全に噛んだ。
 彼にとっては、自身の覚悟を示しただけなんだろうが、それを今発信する意味がわからなかった。覚悟を決めた話は、成功したあとで美談に仕立て上げた方が良い。生存バイアスの一人となった方が良い。理由の一つとして、失敗したらめっちゃ恥ずかしいってのもあるけど、それより何より、俺は覚悟を発信する行為が脅迫に思えたからだ。
 役者がバイトを辞めたこと、つまり役者での収入以外がなくなったということ。つまりは、これから俺はもっと実力を高めて役者として成功していくはずだけど、お前らファン次第で俺は野垂れ死んでしまうんだぜ、と言っているようなもの。生かすも殺すも、ファンのお気持ち次第。
 退路を断たれたのは、お前のファンだけだ。
 覚悟を決めるなら心の中だけで。死なれたら死なれたで夢見が悪い。
 それが数年前の出来事で、その役者の名前も忘れてしまったからどうなったのかは分からない。役者として成功したならそれで良し、バイトを再開したならそれも良し。退路なんてそう簡単に断つもんじゃないし、断てる退路なんてそうそうない。
 でも正直に言えば、あそこまで自信を持ってあんなこと言える行為が、羨ましくもあったかなあ。

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