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初めての投稿なので、ほどほどに自己紹介してみる(7)

 

 空気を読めない、人の顔色も窺えなかったウナギ少年は、学校では言いたいことを言うくせして、人に指摘されると3日先まで気にするような繊細なところがありました。また、授業外の人前では目立ちたくないところがあるのですが、乗せられるとすぐに調子良くなって、ウケを狙いにいくような単純なところも持ち合わせていたのです。

 俗に言うところの“めんどくさい人種”だったわけです。尤も、今もそうかもしれませんが、当時は、自分でも歯止めが利かなかったのです。

 

 小学校5年生の2学期ごろにクラスの女子からによるイジメに悩まされました。 

 直接の原因は、同級生男子に乗せられて、給食を全部混ぜ、ごみ袋に捨てられた残飯のようになったそれを牛乳で自らの口に流し込んだことだと思われます。まあ、他にも原因はいろいろとあったのでしょうが...
 

 イジメの内容は、オーソドックスなものだと思います。
 「キモイ」だとか「臭い」だとかの罵詈雑言を浴びせられる。体育の着替えの時、ウナギ少年のロッカーの前でたむろして着替えられないようにされる。
 などといった、今の僕からするとまあまあ他愛のないレベルのイジメでした。

 それでも、当時の僕にとっては、苦痛でしかないわけですよ。家では、主に母からの肉体言語による重すぎる愛に苦しめられ、学校では、クラスの半数から蔑まれる...精神的な居場所は無かったのです。

 

 イジメは5年生の終わりまで続きました。ある日、いつものようにロッカーにたむろしている女子たちをたまたま担任の先生が見つけました。すると、先生は、目聡くすぐにイジメだと気づき、加害していた女子たちを呼び出して叱ってくれました。彼女たちは、そこにいたウナギ少年に謝り、それ以降イジメはなくなったのです。
 

 しかし、イジメられた代償というのは大きく、今でも僕の考え方の基となって、ここぞと言うときに障壁となって立ちはだかることになるのです。
 

 まず、母親のせいもあって女性恐怖症になってしまいました。
 今では大分、良くなりましたが、それでも他の人よりも一線を置いた付き合い方になっていると思っています。
 

 そして、誰かに相談する、吐いて楽になる、ということができなくなってしまったのです。
 どうせ、自分の事は誰も理解してくれない。言ったって否定されるだけ。本気で言ったって相手にされない。笑われる。相談したところで、想定内の事しか言われないだろうと自分の中で決めつける。
 これは、僕が学生時代を経て社会人3年目になるまでの間まで、ぎりぎりの精神状態になるまで、苦しめられた考え方でした。その話はまた追々、書いていきたいと思います。





今日はここまでにしたいと思います。

読んでいただきましてありがとうございました。


 

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