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guardian of gate


登場人物

時の運命

『古より、門の守護者が出会った時、世界に災厄が訪れる』


「砂川さん、おはよう。悪いけど、教室にこのプリントを持って行ってくれる?」
担任に呼び止められた少女は、「おはようございます」と挨拶すると共に、快くプリントを受け取った。
「あ、そうだ。あと、今日転校生が来るから、困っていたら助けてあげてね」
「はい、わかりました」
彼女、砂川七恵は学級委員として、快く返事をすると、担任は「よろしくね」と去って行った。
教室に入った七恵に、クラスメイトたちが「おはよう」と声をかけ、彼女は穏やかに挨拶を返しながら、プリントを教卓へと置いた。
そこに、クラスメイトたちがわっと集まる。
「ねえ、七恵。今日の放課後空いてる?」
と、一人の女子が声をかけるが、慌ててその隣の女子が止めた。
「ちょっと!七恵は忙しいから無理だってば!ね?」
その言葉に、七恵は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい。今日もお手伝いをしなくてはいけなくて」
「えー、そっかー。七恵、いつも忙しそうだよね?大丈夫?」
その言葉に、七恵は軽く微笑むと「心配してくれてありがとう」と述べ、自分の席へと向かってしまった。
別の女子が誘った女子を小突きながら、そっと耳元で囁いた。
「もう!七恵はさ、施設育ちで放課後はアルバイトで忙しいって言ったでしょ?」
「でも、働きすぎじゃない?休みないんだよ?」
「まあね。育った施設の手伝いをしてるって聞いたけど……」
そう話しながら、彼女たちは心配そうに七恵を見つめた。

「おはようございます。まずは、今日から転校生が来るので紹介します。新川有絵さんです」
担任の言葉に続くように、隣に立っていた少女が軽く頭を下げた。
「新川有絵です。よろしくお願いします」
ややぶっきら棒に答える少女だが、それよりも彼女の外見でクラスはざわっとしていた。
「え?なんか、七恵に似てない?」
隣の席の女子が七恵に耳打ちするが、七恵自身も驚いたような表情をしている。
「う、うん。世界には三人似てる人がいるって言うけど……ほんとにいるんだね」
「生き別れの兄弟とか?」
「まさか。兄弟いるなんて聞いたことないんだけど」
そんな話をこそこそとしていると、担任に「砂川さん」と声をかけられ、七恵は慌てたように「は、はい!」と立ち上がった。が、担任は慌てた七恵に気付く様子もなく、有絵に視線を向けた。
「新川さん、彼女が砂川さん。学級委員だから、困ったら彼女に聞いてちょうだいね」
有絵はそれに「はい」と小さく答えると、自分にそっくりな七恵をじっと見つめた。
七恵も困ったような表情を浮かべたが、すぐに「よろしくね」と伝えると、有絵は「ええ」とだけ返した。

放課後、七恵はいつも通りさっさと帰宅すると、そのまま瞳を閉じた。
暗闇の中で精神を研ぎ澄ませば、周りの雰囲気が変わったのを感じ、ゆっくりと目を開けた。
そこは今までいた部屋の中でなく、光に包まれた場所だった。
「エルエちゃん、おかえりー!」
背中から羽の生えた少女が笑顔で七恵に飛び込んだ。
「リナ、ただいま」
砂川七恵―本来の名はエルエ。天界の門を守る守護者である。
一方、一緒に話している天使は、リナ・カルミ。エルエの親友である。
「今日も学校だったんでしょ?忙しくない?」
リナの言葉に、エルエは苦笑いを零した。
「確かに大変だけど、ライカ様からの任務だし、大丈夫だよ」
「ライカ様もライカ様だよね。人間界のことも知っておきなさい。だっけ?」
リナが物まねをしながら言うが、それと同時にエルエが「あ」と声を上げた。
「まあ、リナ。あなたの目に、私はそう映っているのね」
「えっ!!?ライカ様!?ああああああごめんなさいいいいいいっ!!!」
リナはそう叫ぶと、全速力で駆け抜けていった。
それを無言で見送ったエルエだったが、すぐにライカへと視線を向けた。
ライカ・タガリヌ。この天界の最高権力者である“神”に次ぐ地位を持つ、云わば神の補佐役である。エルエにとっては、親代わりの保護者であり、頭の上がらない存在だ。
「エルエ、学校はどうです?人間界なので不便なこともあるでしょう?」
「特に不便なことはありません。みんな、仲良くしてくれるし」
そこまで言ったエルエはふと、有絵のことを思い出した。ライカに相談しようか迷ったが、馬鹿馬鹿しい内容かも、と思い飲み込んでしまった。
「エルエ?」
「何でもありません。疲れはないので、ちゃんと門を守ります」
エルエの言葉に、ライカは不思議そうな目で見つめたが、すぐに「お願いします」と去って行った。

一方、魔界の門にも守護者が存在する。
「あら?ナルハさん、もうお帰りになっていたの?あ、やだ。もしかして、有絵さんって呼んだ方がよかったかしら?」
少女の言葉に、ナルハは面倒そうに視線を向けた。
「カネア、また嫌味を言いに来たのか?……暇な奴」
新川有絵―本来の名はナルハ。魔界の門の守護者である。
その門を通ろうとして嫌味を言い放つのがカネア。ナルハを目の敵にしており、事あるごとに嫌味を言い放っていくのが定番だ。
「暇じゃないわよ!魔王様に言われて、天界の偵察に行くのよ!あなたと違って、信頼されてるのよ!」
「はいはい、いってらっしゃい」
「ほんっっっとにむかつくわねぇっ!!!」
カネアがそう叫びながら門を通りすぎるが、その直後に少年がやって来た。
「カネアさん、また絡んできたんですか?」
「うん、そう。イートはどうしたの?」
“イート”と呼ばれた少年は、ポリポリと頭を掻いた後、面倒そうに答えた。
「カネアさんと一緒に天界まで行って来ます。魔王様の命令とは言え、カネアさんと一緒とかマジで嫌なんだけどな。ナルハ様と留守番していたい」
「何言ってるの。魔王様からなんでしょ?行っておいで」
「ナルハ様がいないとやる気出ない。無理。でも、ナルハ様も人間界行ってたから疲れてるんですよね?」
ぐだぐだ言いながら、門の前で立ち止まるイートだったが、とんでもなく大きな溜め息を零した後、嫌そうに「いってきます」とぼやいて出て行った。

エルエはふと周りを見渡した。
部外者の気配を感じ、エルエが身構える。
「ここから先は天界。通す訳には行かない」
その言葉に笑みを浮かべながら現れたカネアは、ハッと鼻で笑った。
「別に通りたい訳じゃないけど?でも、そうね。折角だし、遊んでくれてもいいけど?」
「遊ぶ暇なんてないから帰って」
そう睨みながら言うエルエだったが、横からやってきた少年に隙をつかれた。
「エルエちゃん!危ない!」
エルエと少年の間に割って入ったリナが、少年からの攻撃を受け止めた。
「リナ!ありがとう!」
「ちょっとちょっと。魔界の奴らってそんなに暇なの?来るなら、私達天使が容赦しないんだから」
リナの言葉に、他の天使たちも駆け付け、一触即発の睨み合い状態になる。
「なぁに?本気にしちゃったの?そんな盛大に来なくてもいいのに」
その状況を楽しむようにカネアが笑いながら声を上げた。
「別に今日はただの宣戦布告だもの。また来るから、震えながら待っていてくれると嬉しいわ」
そうケラケラと笑って、その場を後にするカネアに、張り詰めた表情だったエルエはふと息を吐いた。
「エルエちゃん、大丈夫?」
「え、ええ。みんな、ありがとう。リナ、悪いけど神様とライカ様に報告してくれる?」
「うん、わかった。みんな、とりあえず帰るよ」
リナは返事をすると同時に、周りの天使たちに声をかけ、引き返した。

「状況はわかりました。念のため、守りを強化するように伝えてください」
リナから報告を受けたライカが告げると、リナは返事をして下がった。
それを見送ったライカは神の方へと視線を向ける。
「……一体、魔王は何を考えているのでしょうね」
「『古より、門の守護者が出会った時、世界に災厄が訪れる』か。オレもどうなるか知らないけどな」
ライカの問いかけに、ぼんやりと答えた神は、ふとライカへと視線を向けた。
「それで、人間界で二人は会ったんだろ?何か変化があったか?」
「いえ。彼ら達がやって来たこと以外は何も起きていません。……エルエとナルハには、何事もなく暮らしてほしいのですが」
悲しげな顔で呟くライカの背をゆっくり撫でる神も、内心では同じことを思っていた。

「カネア、天界へのお使いありがとうね」
カネアの報告を聞いた魔王は、妖艶な表情を浮かべながら答える。
「いえ。私で良ければ、魔王様の手足になります。ナルハよりも役に立つって思っていてくださいね」
カネアは嬉しそうに答えて、スキップしそうな勢いでその場を後にした。
それを見送った魔王は、鼻で笑った。
「ふふっ、可愛い子ね。そんなことで喜んでくれるなんて。嬉しすぎて扱き使いたくなってしまうわ。……でもね、わたくしはナルハが可愛くて仕方ないの。わたくしが育てたんですもの。だから、待っていてちょうだい。わたくしがこの世界を手中に収めてみせるわ」
その楽しそうな笑い声だけが木霊した。

翌朝、教室へと入る七恵に、クラスメイトたちが挨拶をする。
七恵も相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、挨拶を返す。
一瞬、有絵と視線が合うが、挨拶だけ述べるとお互い黙ってしまった。
クラスメイトたちが「やっぱり似てるよね」「ほんと瓜二つ」と呟くのが耳に入るが、七恵はただ穏やかに「他人の空似でしょう」と返すだけだった。

昼休み、七恵の元に有絵がやってきた。
「砂川さん、図書室に行きたいんだけど、場所がわからなくて。ついてきてもらってもいい?」
突然声をかけられた七恵は、一瞬びくりとしたが、すぐに「わかった、行こう」と快く引き受けた。
二人で図書室へと向かう中、有絵がじろじろと七恵を見ていたが、思い立ったように口を開いた。
「……あなた、疲れない?」
「え?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった七恵に対し、有絵はふと視線をずらした。
「凄い優等生ぶってて。周りの空気を読んでばかりで、とても疲れそう」
そうバッサリと切り捨てる有絵に、七恵は驚いて足を止めた。
「そんなこと、ないけど。私は私なりにやっているわ」
「……そう」
何とか答えた七恵に、有絵はあっさりした返事をした。
ちょうど図書室に着いたのもあって、七恵は「じゃあ、着いたから」と踵を返そうとしたが、有絵が再び声をかけてきた。
「ねえ。あなた、どこかで会ってる?」
「え?」
再び素っ頓狂な声を上げ、七恵は眉を顰めながら振り向いた。
「そんなわけないじゃない。たぶん、そっくりだから自分の顔と間違えてるのよ」
そう早口で返すと、七恵は走って行ってしまった。
有絵はその後ろ姿を見送り、口を開いた。
「……そうね、そんなことないわね。私は人間界と関わりがないのだから」
そう言った有絵だが、ふと目を伏せた。
「ただ、あの子もたぶん……人間界にいるべきじゃない」

駆け去った七恵は、廊下の端で止まり、落ち着かせるように大きく息を吐いた。
まさか、あんなこと言われるとは思わなかったのだ。
七恵自身も、有絵とどこかで会ったことあると感じていたのだから。
ただ、どんなに記憶を辿っても彼女の面影はなく、「自分に似ているからだ」と自分に言い聞かせていた。
だから、彼女から言われた時は驚いたし、思わず自分が出した答えを答えてしまった。
「うん、そうよね。だって、この世界に私と関わりがあるものがないのだから」

ナルハが魔界に帰ると、魔王が楽しそうに笑いながら手を振った。
それに気付いたナルハがゆっくりと頭を垂れる。
「やだぁ、ナルハってばそんな風に敬ってくれなくてもいいのよ?」
「いえ、そういう訳にもいかないので」
そう律儀に答えるナルハに、魔王が楽しそうにくつくつと笑った。
「ねえ、ナルハ。学校は楽しい?」
「べつに。人間界は退屈です」
「そう。じゃあ、もっと刺激的なお仕事を頼んでもいいかしら?」
そう言うと、魔王は一層と蠱惑的な笑みを浮かべる。
「天界に総攻撃を仕掛けましょう。あなたに先陣を切ってもらって」
「え?でも、それだと……私が天界の門に一番乗りすることになりますが?」
困惑した表情のナルハに対し、魔王は一切表情を変えない。
「ええ、そうよ。“災厄”は、魔界と天界の戦いのことだわ。つまり、顔を合わせれば戦いが始まるってことよね?別に災厄でもないでしょう?天界には災厄かもしれないけど。さあ、行きましょう」
そうナルハの手を取り、魔王は歩き出した。
そして、突如始まった魔界の天界侵攻。先頭を進むナルハに、カネアは憎悪を募らせた。
「どういうことよ!何であいつが先陣を切るのよ!ねえ、魔王様。私の方が使えますよ!あなたの手足になりますよ!?」
そう直談判するカネアに、魔王が楽しそうに目を細めた。
「あなたはナルハの駒になってね。門の守護者がかなりの力を持つのは知っているでしょう?あの子の強さは、あなた如きで勝てないのだから、精々盾にでもなってちょうだい」
冷たく突き放されたカネアが、あまりの悔しさに暴れ始めた。
その様子をナルハの横で見ていたイートがぼやいた。
「……カネアさん、よく魔王様にあんな態度でいれますよね」
「あいつの根性だけは、本当に褒めるべきだと思う」
ナルハもその様子に、思わず本音が出てしまったが、イートがナルハを見て鼻を鳴らした。
「カネアさんは、ナルハ様の手足にならないと思うけど、代わりに俺がナルハ様の手足になるので、何でも任せてくださいね!」
すごい自信に満ちた表情のイートに、ナルハも釣られて一瞬笑みを零した。

「一体どういうことです!?」
ライカは思わず声を荒げたが、神がすぐに天使たちに指示を出した。
「何が何でも門の前で止めるぞ!ライカ、オレたちも行くぞ!」
その言葉にライカはぐっと力を入れると駆けだした。
「エルエを守らなければ!魔王!あなたは何を考えているのですか!?」

エルエを筆頭に、天使たちが門の守りを固める中、魔界の軍勢が現れた。
「来たわね。ここは絶対に通さない」
エルエのしっかりした言葉に、周りの天使たちも頷く。
が、エルエは魔界の軍勢の中に見覚えのある顔を見つけた。
「え?……新川、有絵?」
思わず出た声は小さな声で、明らかに彼女の耳まで届いてないはずなのに、ナルハもまた、エルエの顔を見て同じ表情で見つめ返した。
「……砂川、七恵?天界の門の守護者……?」

天界の者たち

よく似た顔の少女が、向き合う形で見つめ合う。
ナルハはゆっくりと口を開いた。
「……そう。既に、門の守護者同士が会っていたのね……」
その呟きに、魔王が笑みを浮かべた。
「だから言ったでしょう?所詮、ただの言い伝えだと。さあ、では行くわよ。天界を落としてちょうだい」
魔王の言葉を聞いて、ナルハは魔王の顔を見つめていたが、すぐに視線を外すと声を張り上げた。
「私は、魔界の門の守護者、ナルハ!天界を、我が魔王様の手中に収めさせてもらう!」
その言葉に、エルエは目を見開いた。
「門の、守護者?……何を考えているの!?」
「エルエちゃん!」
「絶対にここは通さない。リナ!行くわよ!」
エルエの言葉に、リナが颯爽と飛び出す。
「そうこなくっちゃ!私達を舐めないでよね!」
「ナルハ様の邪魔はさせない!」
リナに立ち向かうように、イートも飛び出し、ついに戦いが始まった。
「イート、そっちは任せた。……天界の門の守護者!ここは通してもらう!」
「お断りよ!」
ナルハの激しい魔法攻撃に、エルエは防衛一方ではあるものの、ほぼ同格の戦いが繰り広げられた。
それを後方から眺めている魔王は、ただただ楽しそうに笑みを零している。
「ふふっ、古の伝承はどう作用してくれるのかしらね。ねえ?姉さん。このままだと世界が滅びてしまうかもしれないわ。ほら、早く止めてみせて」
そう言って声を上げて笑う。
そんな声が届かないであろう前線では、リナとイートが、エルエとナルハが、激しくぶつかっている。
「強引に行かせてもらうわ!」
ナルハは声を張り上げながら、無理に手を伸ばし、エルエの手首を掴んだ。
と、同時に、二人の足元が光り始めた。
「えっ!?」
驚いた声を上げるナルハと、同じように驚いた表情で足元を見るエルエ。
「ナルハ様!」
「エルエちゃん!?」
今まで戦っていたイートとリナも、思わず二人に駆け寄る。
ナルハとエルエも、それぞれに手を伸ばしたものの、二人の姿は光に包まれ、消えてしまった。

エルエは気付いたら、尻餅をついたようで、「いったぁ」と呟きながら目を開けた。
すぐそばで、同じようにお尻をさすっているナルハもおり、思わず視線が合ってしまったが、ナルハはスッと視線を逸らした。
「どうなってるの?」
ゆっくり立ち上がるナルハに続くように、エルエも立ち上がると、後ろから名を呼ばれた。
「エルエ」
振り向くとライカがおり、エルエは目を見開いた。
「ライカ様!」
「二人とも、怪我はありませんか?」
ライカの言葉に、ナルハは警戒して一歩下がった。
エルエは「大丈夫です」と答えるが、ライカの後ろに一人の女性を見つけ、思わず声を上げた。
「えっ!?神様!?」
その声に、神は気まずそうに視線を逸らすが、ゆっくりと手を挙げた。
「す、すまない。慌てて転移魔法を使ったから。……怪我がなくてよかった」
申し訳なさそうに謝罪する神に対し、ナルハはハッと目を見開いた。
「あ、れが……神?」
呟きと同時に、ナルハはぐっと眉を寄せた。
「魔王様のために、あなたを倒す!!」
そう叫んで神に駆け寄るが、それよりも先にライカが間に入った。
すぐに結界を張り、ナルハはそれ以上進めずにいた。
「まあ、そう焦らずに。私たちの話でも聞きませんか?」
「はあ!?こっちは話すことなんてないけど!」
ナルハが声を荒げるが、ライカはにこにこと笑顔を浮かべており、その有無を言わせない姿に、ナルハは思わず黙ってしまった。
それをよしとしたのか、ライカは神に振り向くと「お願いします」と述べた。
さすがのそれには、神もぎょっとした様子でライカを見る。
「お、オレが言うのか?」
「ええ、もちろんです。私たちの代表ですし、こういう大事なことはあなたの口から言うべきでしょう」
やはり、有無を言わさないニコニコとした笑顔で、神も「うっ」と呻き声上げている。
最早、どっちが上かわからないが、ライカを怒らせると怖いことを知っている神は、一度大きな溜め息をつくと、ゆっくりと深呼吸した。
「……お前たちが大きくなったから、話すべきだよな」
そうぼやいてから、神はエルエとナルハを見据えた。
「もう、察していると思うが……お前たちは双子だ。そして、ナルハ。お前も本来は天界の者だ」
その言葉に、ナルハは目を見開いた。何か言わねばと口を開くが、発する言葉が見当たらず、はくはくと動かすことしかできない。
「二人とも一緒に、何事もなく平和に暮らしていたが……魔王によって引き離されたんだ」
神は昔を思い出すように、視線を迷わせる。

過去


「……あれは、十年前」
神はそう言って、昔の話をゆっくりし始めた。

「ライカさまー!」
名前を突然呼ばれ、ライカは驚いたように振り向いた。
向こうから、顔がそっくりな幼い少女が二人、駆け寄ってきた。
「ねえねえ」とそれぞれが楽しそうに話す二人だが、泥で真っ黒になっており、ライカは思わず笑ってしまった。
「まあ、二人とも。そんなに真っ黒になって、何をしていたのですか?」
そう言って、二人の手を取り「お風呂に行きましょうね」と一緒に歩んでいく。

「当時、ライカはお前たちの世話係もしていたんだ。良く面倒を見、教育をするライカと、お前たちの姿は、仲のいい親子みたいだと、天使たちからも評判だった」
そこまで言うと、神はぐっと唇を噛み締めた。
「ただ……何の前触れもなく、突然状況が一変した。当時、天界の門の守護者をしていたリナが、ボロボロの状態でオレたちの前にやって来たんだ」

「神様!大変です!」
リナの叫び声に、神とライカはぎょっとした表情で彼女を見た。
「傷だらけではないですか!どうしたのです!?」
「す、すみません。魔王が来たので、足止めをしたのですが……力ずくで突破されてしまいました。もうじき来ると思うので、逃げてください」
「なんですって!?」
リナの報告に、ライカは思わず声を荒げたが、すぐにリナへと駆け寄った。
「まずは、報告ありがとうございます。あなたはすぐに手当てを」
「……ライカも、エルエとナルハを連れて、先に行け」
神がライカに声をかけるが、彼女は振り向き、口を開いた。
「いえ。むしろ、神様が二人を連れて逃げてください。魔王は私が止めます!」
「何を言って……っ」
神が思わず声を荒げそうになったところで、物凄い音を立てて扉が開いた。
「まあっ!逃げるとか仰らないで?別に、喧嘩を売りに来たわけじゃないのよ。ちょっと、お話をしに来ただけなのだから」
そう、楽しげに言いながら部屋に入ってくる魔王に、ライカは思わず怒鳴りそうになったが、二人の間に入るように神が立ち塞がった。
「その割には、随分強引だな。何の用だ、魔王」
魔王を見据えて言う神の姿を見て、魔王は口角を上げた。
「ふふっ。ねえ、あなたにお願いがあるの。聞いてくれるかしら?」
「……聞くだけ、ならな」
訝しげに言う神を見ながら、魔王は「まあ、意地悪」と言いながらも楽しそうに笑みを濃くしていく。
「実はね、魔界の門の守護者の後任が見つからないのよ」
そう肩を下げながら言う魔王だったが、すぐに神を通してライカや双子に視線が向けられた。まるで、獲物を捕らえたような視線に、ライカは思わず二人を抱き寄せた。
「だ、か、ら。そこの双子ちゃんのどちらかを魔界にくれないかしら?」
その言葉に、神の周りの空気が急に変わった。完全に怒っているようで、彼女の周りの空気がパチパチと爆ぜた。
「……断る。と、言ったら?」
冷たい声で答える神の言葉を聞いて、魔王は一層と笑みを浮かべる。
「そうねぇ。それならそれで、この場で天界を滅ぼしてやるわ」
楽しそうにけらけら笑いながら答える魔王に釣られるように、神も満面の笑みを浮かべた。
「ははっ。相変わらずぶっ飛んでるな」
お互い、笑みを浮かべながら相対するが、どちらも目が笑っていない。
やがて、少しの間を置いた後、神は笑顔を消すとすぐに、怒り狂ったように大声を上げた。
「バッカじゃないか!?はい、そうですか。なんて簡単に了承できることだと思ってるのか!?」
その怒声を聞いた魔王も、ぴくりと眉を動かすと、思わず声を荒げた。
「話を聞いてくれるって言うから、話しただけでしょ!?」
「オレは聞くだけ、って言ったけどな!?」
「何よ!屁理屈な奴ね!」
突然、低次元の口喧嘩を始めた二人を見て、ライカは一歩前へ出た。
「ちょ、ちょっと二人とも。子供たちの前ですし、まずは冷静になってください」
苦笑いを零しながら、二人の間に入ろうとしたライカだったが、二人揃ってライカをキッと睨んだ。
「黙ってろ、ライカ!」
「黙っててちょうだい!」
折角止めようと思ったライカに、思わず怒声を上げたが、それを聞いたライカは、にこりと微笑んだ。完全に目が笑っておらず、二人は「ヤバい」と悟ったが、時すでに遅く。
「まあっ!とんでもなく大きな子供がいたものですね。二人揃ってお説教されたいのですか?よろしいんですよ。今すぐそこで正座になってください。さあ!ほら!早く!」
その激怒ぶりに、神も魔王も「ご、ごめんなさい……」と小さくなる。最早、どちらが上かわからない状態に、後ろで様子を見ていたリナは、子供に見せちゃいけないと思い、双子の視線を逸らしていた。
ライカは一度咳払いをすると、話を続けた。
「まずは、魔王。私たちは双子を引き離す訳にはいきません」
「なっ、なんでよ!?門の守護者が必要なのは、あなただって理解しているでしょう!?」
魔王の言葉に、ライカはまっすぐ見つめ返すと、俯いた。
「……あなただって、わかっているでしょう?姉妹を引き離すということは……」
「ライカ!」
ライカが言い終わる前に、神が彼女の言葉を遮る。
ライカはそこで口を噤んだが、魔王は何を言おうとしたのか理解したようで、ギリッと奥歯を食いしばった。
その様子に気付きながらも、神は魔王を見据えて話を続けた。
「本当に……魔界には、後継者がいないのか?」
「確かにカネアはいるけど……あの子の力では、門の守護者は務まらないでしょうね」
そう言うと、魔王はそのまま双子へと視線を送った。
「カネアと比べてしまうと、あの子たちの力は完璧だわ」
その視線に釣られるように、神も双子を見つめた。
「……ナルハ、おいで」
神がぼそりと呟くと、呼ばれた少女はゆっくりと神の方へと歩みだした。
「っ!!神様!?」
ライカが思わず声を荒げるが、神はすっと左手を上げて黙らせた。ライカはぐっと歯を食いしばる。
「二人の記憶は消す。その方が幸せだろう。あと、魔王。これだけは忘れるな。二人を今後会わせるつもりはない。だから、記憶を戻させるようなこともするな。門の守護者になるのなら、尚更。古の伝承を忘れるな」
淡々と言い放つ神の言葉に、魔王はすっと表情を消す。
「わたくしは、あんな伝承信じてないのだけれど……わかったわ。同意するわ」

そして、幼い双子は、お互いの記憶を消された。


「これが、十年前の真実だ。……まあ、結局、魔王は約束を違えたわけだが」
力なさげに笑みを零す神だったが、すぐに俯いた。
「オレの独断とは言え、本当に申し訳ないことをした。許してもらえることじゃないのはわかってる。本当に……すまない」
頭を垂れる神に、ライカがそっと寄り添った。
エルエとナルハは声が出せず、固まってしまっている。
二人の姿を見て、心を痛める神だったが、すぐに真剣な表情を浮かべた。
「ただ……今回の件は、全て魔王が仕組んだことだ。お前たちが、人間界で出会ったのも、そのために十年前の件が起きたのも。全て、この古の伝承を起こさせるため」
「え?ど、どういうこと!?」
思わず、ナルハが声を荒げた。今まで信じてきたものが、どんどんと崩れていく感覚に、溺れないようにするために。
「魔王は、二人を出会わせ、伝承通りに災いが起きた混乱に紛れて、天界だけでなく人間界までも手に入れるつもりだ。そのために、双子を引き離した方が、再び引き合う確率が高いのだと踏んだのだろう」
「で、でも!魔王様は、伝承を信じていないでしょ!?」
思わず神に掴みかかろうとするナルハに、ライカが間に入ると、口を開いた。
「口では何とでも言えますからね。あの女は、そういう奴ですよ。……本当に、昔から何も変わらない」
忌まわしげに言うライカだったが、そのままナルハの腕を掴んだ。
「ナルハ。あなたも本来は天界の者です。もう、魔界に帰らなくてもいいのです」
「そ、そんなっ!私は信じない!放して!」
ライカとナルハが押し問答をしているのを横目に、神はエルエへと向き直った。
「エルエ……すまないが、最後のお願いをしてもいいか?」
「は、はい」
ハッと現実に戻ったエルエが慌てて返事をするのを聞いて、神は真剣な顔で続けた。
「魔王と決着をつけてきてほしい。ここで全てを終わりにする。お前の力なら、魔王と同格に戦えるはずだ。頼む」
その言葉に、エルエは一瞬瞳を揺らしたが、すぐに膝をつき、「わかりました」と返事をする。その様子を見、ナルハを黙らせたライカが声をかけた。
「エルエ。私も、ナルハを落ち着かせたら向かうので、無理をしてはいけませんよ」
それを聞いて、エルエは力強く頷くと、再び戦いに赴いた。

エルエが去った部屋では、ナルハが倒れ込んでいた。
神がナルハの記憶を思い出させたことで、一時的にキャパオーバーになり、倒れてしまったようだった。
ライカが様子を見、体調に問題がないことを悟ると、ほっとしたように息をついた。
「全く。神様は少し強引すぎます」
「す、すまない。まさか、倒れるとは思わなかった」
オロオロと答える神だったが、ライカは立ち上がると前を見据えた。
「……では、ナルハが目を覚ませば落ち着くと思うので、私はエルエを追いますね」
「いや、ライカはここに残った方が」
「いえ。彼女と決着を付けなければならないのは、私ですから。必ず止めなければならないのです」

一方、エルエとナルハが消えた戦場では、戦闘はまだ継続中だった。
ナルハがいなくなったことで、暴れているイートと、自分が手柄を立てるのだと張り切るカネアだったが、天界を必ず守るという天使たちの間で激しい攻防を繰り返していた。
その様子を後方からつまらなそうに見つめる魔王。
「はあ。あの双子が会ったのだから、もう少し何か起きてもいいんじゃないのかしら?本当にただの伝承だったの?せめて、姉さんは表に出てくると思ったのに。……はあ、つまらない」
そうぼやくが、魔王の上空が裂け、エルエが飛び出してきた。
「魔王!!ここで、全ての罪を償ってもらうわ!」
エルエの攻撃をギリギリで避けた魔王が、驚いたようにエルエを見つめた。
「まあっ!まさか、あなたが一人で来るのは予想外だったわ。まあ、でも、そうね。退屈しのぎにはなるかしら。あなた如きでは、わたくしを倒せるとは思わないけどね」
そう構えた魔王だったが、すぐに目を見開き、楽しそうに声を上げた。
「ふふっ。楽しくなりそうね。二人でわたくしの相手をしてくれるなんて、こんな楽しいことがあるかしら?」
「え?二人?」
そう言ってエルエが振り返ると、そこにはナルハが立っていた。
「ナルハ!?ライカ様は!?」
「……なんか、神と揉めてたから抜け出してきた」
そう、飄々と答えるナルハだったが、すぐに魔王へと向き合った。
「私は……魔王様を裏切りたくない。だから、本当のことを教えてほしい。本当の目的。災いのこと。全てを、教えてほしい」
しっかりした目つきで魔王を見据えるナルハの姿に、魔王は更に楽しそうに笑った。
「あなた、過去を思い出したのでしょう?なら、天界の者としての力も目覚めているはず。二人で力を合わせれば、わたくしと楽しく戦えるわね。わたくしに勝ったら、全て……何もかも話してあげるわ!だから、精々楽しませてちょうだい!」

真実

エルエとナルハ、魔王はお互い見つめ合っていた。
いや、この場合、ナルハはエルエの味方をした訳ではないので、あくまでも三つ巴みたいなものだろう。
前をしっかり見据えるエルエ、余裕の笑みを浮かべる魔王とは裏腹に、ナルハの表情は一段と硬かったのだから。
エルエもそれは理解しているようで、ナルハの方を見ることもなく、一人で駆けだした。
走りながら魔法の呪文を唱えるという器用なことをするが、魔王にはお見通しで、彼女の一振りでその魔法は当たることもなく霧散する。
が、そんな魔王の背後からナルハが盛大に爆発系の魔法を繰り出した。
魔王が立っていた場所に、激しい土煙が舞う。
「や、やった?」
思わず声を出したエルエだったが、徐々に土煙が消える中に、魔王のシルエットが見え、背筋を冷たい汗が伝った。
「ふふっ。さすが双子といったところね。てんでバラバラなことをしているのに、ちゃんと連携が取れるんだもの。で・も。まだまだ甘いのよね。わたくしを誰だかわかっているのかしら?」
そう言って魔王が腕を一振りしただけで、暴風が吹き荒れ、エルエとナルハは思いっきり飛ばされてしまった。
地面に叩きつけられ、エルエもナルハも痛めた体を何とか起き上がらせる。が、すでに二人の目の前に魔王が立っており、絶望した表情で魔王を見つめた。
「うふふ。ほんと、わたくしを楽しませてくれる双子ちゃんたちね。……でもね、わたくしはあの、神の側近……ライカに会いたかったのよ。だから、あなたたち二人を傷つけたら、来てくれるかしら?」
そう言って、ナルハの胸ぐらを掴む魔王に、エルエは叫んだ。
「なんで、そんなにライカ様に固執してるの!?」
その問いかけに、魔王はゆっくりとエルエを見た。
「ああ、そうね。良いことを教えてあげるわ」
そう言いながらナルハから手を放すと、魔王は続けた。
「ライカは、わたくしの姉よ」
「え?」
「わたくしも、元は天界にいたの。でもね、何でも器用にこなす姉さんと違って、わたくしはこの異様に強い魔力だけが取り柄だったわ。まあ、それでも姉さんは優しかったけど。それが余計に悔しくて、魔界に身を投じたのよ。ふふっ、あの時の姉さんの慌てようはとても愉快だったわね」
そう楽しそうに笑う魔王を、エルエとナルハは訝しげに見た。
「……まさか、その腹いせに私達を……?」
ナルハの問いに、魔王は笑みを浮かべたまま。
「そうねぇ。姉さんに嫌がらせしたかったのもあるけど……目的はそこじゃないわ。双子は普通の姉妹よりも強い絆があるでしょう?だから、門の守護者同士が会う確率が普通より高いと思ったの。思惑通り、巡りあってくれてとても嬉しいわ。あとは、どんな災厄が訪れるか、なのだけれど……全然起こってくれないのよ。困ったわ。ここで二人とも死んでくれれば、さっさと災厄が起こるかしらね?」
そう言って強大な魔法を放とうとする魔王に、エルエとナルハが諦めかけた時、三人の間に入るようにライカが現れた。
「そこまでですよ、魔王」
「姉さん!やっと来てくれたわね。ずっと会いたかったわ」
そう喜ぶ魔王の言葉を無視し、ライカはエルエとナルハに向き直った。
「ナルハ、勝手に抜け出すとは何事です?」
「別に。私、まだ天界に屈したわけじゃないし」
ムスッとしたナルハの返事に、溜め息を零すと、ライカはエルエとナルハを起き上がらせた。
「エルエ、ナルハ。下がっていなさい。ここは私が引き受けます」
「でもっ!」
ライカはエルエが止める声を聞かず、魔王へと向き直った。
「姉さん、私よりもその双子を優先するのね。悲しいわぁ」
そう言う魔王は、言葉とは裏腹に羨むような目つきで、ライカを睨んだ。
「災厄を起こすために、あなたは魔王になったんじゃないでしょう?」
「よく言うわ。姉さんの出来が良すぎて、わたくしの居場所がなかったんじゃない。姉さんにだって非はあるのよ?」
その言葉に、ライカは眉を寄せるとゆっくりと魔王へと近付いた。
「では、これからは一緒に暮らしましょう。私も魔界へ行きます。それなら寂しくないでしょう?」
ライカはそう言って、魔王の腕を思いっきり掴んだ。
が、突然ナルハががくりと膝をついた。
「ナルハ!?」
エルエが慌ててナルハの肩を抱く。
「な、なにこれ……?力がどんどん抜けて……」
突然の変化に戸惑っていると、その場に神が現れた。
「古の伝承の災厄が何かわかったぞ!」
そう叫んで、エルエとナルハに向かって魔法をかけると、ナルハの容体が良くなった。
「な、何が起きて……?」
「まあっ、どんな災厄が教えてくれる?天界が滅びるのかしら?それとも、人間界が滅びるのかしら?わたくしがやっと、世界を手に入れるのよ!」
ナルハの疑問の声を打ち消すように、魔王が叫ぶが、それを神は眉間に皺を寄せて一瞥した。
「……滅びるのは、魔界だ」
「え?……うそ。嘘でしょ?」
「天界も滅びる可能性はあるが……今の時点から言うと、魔界が先だ」
「どういうことよ!?」
魔王の怒声に、神はゆっくりとナルハを見た。
「ナルハが突然、体調に異変を感じたのは、魔界の門が崩壊を始めたからだ」
「え?」
「魔王。お前がここにいるということは今、魔界は誰もいない、ということだろう?」
その言葉に、魔王が顔を歪めた。
「魔界に異変が起きているとでも?」
「そもそも、天界と魔界は、人間の願いとか欲望とかを受け止めるためにある。天界が人の希望や願いを受け止めるのと同時に、魔界は人の欲望や嫉妬を受け止める場所。ただ、人の思いは強く、天界や魔界でも全てを受け止めきれない。それを一定の量受け止めるために必要なのが、それぞれの門だ。今、魔界の門は守護者が不在。故に、その思いが制限なく魔界に入り、受け止めきれなくなっている。このままだと魔界ごと滅びるぞ」
「そんなっ!だって、門の守護者同士が会った時の災厄でしょう?なぜ、いなくなったことで起きるのよ!」
「出会う、即ち争いが起きることで、双方、またはどちらかの守護者が不在になるからだろ」
冷静な神の言葉に、魔王はぎりっと奥歯を噛んだ。
「それなら!災厄が起きるのは世界ではなく、魔界だということ!?」
「いや。さっきも言ったが、天界も滅びる可能性が高い。魔界が滅びれば、受け止めきれなくなった思いが人間界で渦巻く。欲望や嫉妬に塗れた世界は、犯罪が増え、戦争も起きるだろう。そうなると、今度は人々の希望や願いが溢れ、天界で受け止めきれない量になる。結果、天界も危なくなる。だから魔王には、今すぐ魔界に戻って立て直してほしいのだが」
神の言葉に、魔王は体を震わせる。
「こうなったら、全部滅ぼしてやるわ!もう!何も!何もいらない!」
魔王が叫び声を上げるが、それを合図にしたようにライカが飛び出し、彼女に掴みかかった。
「もういい加減にしなさい!」
そう怒鳴ると、ライカは一気に転移魔法で発動させた。
「ライカ!」
神の呼びかけに、ライカは消える寸前で振り向き、「エルエとナルハをお願いします」と微笑み、消えて行った。
突然のことで、呆然と立ち尽くす神だったが、すぐにぐっと歯を食いしばると、魔王が魔界に帰還したことを知らせ、その場を収めた。
魔王を追って魔界に帰って行く者たちを見送るナルハだったが、イートに腕を掴まれた。
「ナルハ様も帰りましょう!」
「でも、私……」
ナルハは言い切る前にガクンと膝から崩れた。
それをエルエが慌てて支えると、神がイートに向き直って口を開いた。
「……既に、魔界の門は消失しているはずだ。それに伴い、ナルハは力を失っている。もう、門の守護者じゃない」
その言葉に、イートはキッと神を睨んだ。
「全部お前が仕組んだのか!?」
「さっきの様子を見ていただろ。全て、魔王が望んだことだ。お前も早く魔界へ帰れ」
そう冷たく言い放つと、イートは名残惜しそうにナルハから離れた。
「ぜっっったい、ナルハ様を迎えに来ますから!!」
そう叫びながら去って行くのを眺めていたが、突然地面がぐらりと揺れた。
「え!?」
「ちっ。予想以上に早いな。このままだと天界も危ない。まだ力の残っている者は全員門へ。必ず守り抜くぞ!」
神の言葉を受け、酷い傷を負ってない天使たちが門へと急ぐ。
エルエも、神にナルハを預け、門へと急いだ。

「エルエちゃん!」
門の前では既に、リナを筆頭に天使たちが待っていた。
「みんな、ありがとう。大変だと思うけど、力を貸して!」
「あったりまえじゃん!」
リナは胸を張って返事をするが、すぐに門の外へと目を向けた。
「来るよ!」
その言葉に合わせ、みんなが結界を張り、力を合わせる。
目に見えない、人間の大きすぎる願いの力は波のように寄せ続ける。
「お願いします」「助けてください」「幸せになりたい」
そんな多くの望みが、聞こえ続ける。
最早その大きさは、人間の欲望でしかなく、耳を塞ぎたくなる。
「エルエ!しっかりして!」
そう耳元で叫ばれ横を見ると、いつの間にかナルハが立っていた。
「え?ナルハ?」
「私だって、力を失ったとはいえ、元々門の守護者をしていたんだから、勝手ぐらいわかる」
そう言って、エルエの手に自分の手を重ね、力を注いだ。
それを見ていた神も、後ろから力を放出する。
「みんな、魔界が受け止めきれなくなったことで、天界にまで人間の負の感情が流れ込んでいる。辛いと思うが、耳を傾けるな。連れて行かれるぞ!」
その一喝で、天使たちは気持ちを奮い立たせ、再び天界の力が増した。
「……でも、このままだと意味ないね」
ナルハがぼそりと、エルエにだけ聞こえるように呟いた。
「大丈夫だよ!ライカ様も魔界に行ってるはずだし、止めようとしてくれてるはず!」
エルエが力強く答えるが、ナルハの表情は晴れない。「そんな都合のいいことあるわけない」という気持ちが強く、エルエと力を合わせているけれど、どこかで心は折れそうではあった。
が、そんな時に、突然人間の欲がふと緩んだ。
「これは?」
何事かと門の外を見据えると、魔王を連れて行ったはずのライカが立っていた。とは言え、体が透けている状態だが。
「ライカ!?」
「神様、皆さん、魔界の門を急ごしらえですが修復し、魔王の力で何とか魔界は崩壊せず済みました。ギリギリではありますが、今は耐えられている状態です。なので、天界も今少しの辛抱ですよ」
そう励ますライカに、エルエが叫んだ。
「ライカ様もこちらに来てください!そしたら、ここは抑えられると思うんです!」
その言葉を聞いて、ライカは眉を下げると、ゆっくりと首を横に振った。
「……ごめんなさい。私はもう、天界には帰れません」
「え?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまったエルエだが、何かを悟ったように神が口を開いた。
「ライカ、魔界の状況は?」
「はい。崩れかけた魔界を、魔王の力を最大に使って再興しています。同時に、魔界の門を私が再構築しました」
それを聞いて、ナルハは目を見開いた。
「え?じゃあ、今の魔界の門の守護者って……」
「私、ライカ・タガリヌ、ということになりますね」
その言葉に、エルエとナルハは声にならず、ぽかんと口を開くだけ。
神は一つ息を吐くと、そのままライカを見据えた。
「そうか。わかった。苦労をかけてすまないな。こちらは任せてくれ。そちらは魔王含めて、任せてもいいか?」
神の言葉に、ライカは微笑むと、ゆっくりと頭を下げた。
「はい、もちろんです。こちらはお任せください。神様、今までありがとうございました。エルエ、ナルハ。私の代わりに神様を支えてください」
「ライカ様!」
思わず呼び止めたエルエだったが、その言葉はそのまま宙に消えてしまった。

「神様!またお菓子ばっか食べてるんですか!?」
エルエの怒声に、神はぎょっとした。
「べ、別にいいだろ。オレにとって食は、嗜好品みたいなものだし」
「そうかもしれないけど。ぷくぷく太りますよ!嫌でしょう?人間だって、太めの神様に願いを託すとか」
「いや、わかんないぞ。肥えてる方が富の象徴にはなりそうじゃないか」
「もうっ!屁理屈ばかり言わないでください!」
エルエは思わず、手に持っていた書類を神に投げつけた。
「な、何するんだ!エルエ、お前ライカに似てきたんじゃないか!?」
「そのライカ様に、神様のことを頼まれたんでしょう!?」
ライカのおかげで、天界は再び平穏が訪れた。
魔界は未だに復興途中で、新しい魔界の門の守護者になったライカが、妹である魔王を厳しく監視し、手腕を発揮している。
ナルハに会いに来たイートが、「あの、ライカさんって人、マジでヤバいですよ。めっちゃ怖い」と震えあがっていたそうだ。
天界では、ライカに代わり、エルエが神の側近になったが、以前みたいなやり取りが復活し、天使たちは微笑ましそうにその様子を見ていた。
「なんだ、またやってるのか?」
そこにやって来たナルハが、面倒そうに溜め息を吐く。
「ナルハ!お前からも何か言ってくれ!お前の姉ちゃんマジで怖いんだけど!?」
「そう言われても……」
ナルハはそう言いながら、エルエの肩をぽんっと叩いた。
「これ、ライカさんから届いた」
そう言って、大量の書類をエルエに差し出す。
現在、エルエに代わり、天界の門の守護者になったナルハは、先程愚痴を零しにやって来たイートから預かった大量の書類をそのままエルエに渡した。
「あと、これも預かった。神様に渡してくれ、だって」
そう言って、神に手紙を渡した。
神は「ライカも律儀なやつだな」と言いながら開封したが、すぐに顔を青くした。
「ライカはオレの母ちゃんか!」
そう叫びながら手紙を叩きつけた様子を見て、「お小言だったんだな」と察したエルエとナルハは思わずため息を零した。
エルエは大量の書類から、魔界の近況報告を見つけて、それを神に差し出した。
「でも、ライカ様、とてもしっかりやられていますよ」
その紙を受け取り、目を通す神。ナルハも気になったのか横から一緒に見ていた。
「え、すごっ。あんなに崩れてた門や建物が、もうここまで元に戻ったのか」
「ライカ、しっかりしてるからな。……何か、魔王はやつれた顔をしてる気がするが」
「ほんとだ。いつもの余裕ぶりがない」
「まあ、魔王もかなりライカに固執してたからな。なんだかんだで、これで良かったのかもしれないな」
ふと苦笑いを零す神の手を、エルエが握った。
「代わりに私が側にいますから!」
「私も天界に住むことになったから。……仕方なくだけど」
「もう、ナルハ!仕方ないとか言わないの!この場合、神様大好き、でいいの」
その言葉にナルハはムッと口を尖らせる。
「私は天界の力が戻ったから、こっちにいるだけだもん。エルエが天界の門の守護者してくれるなら、魔界に帰るけど?」
「帰ったら帰ったで、ライカ様に怒られそうじゃん」
それを聞いてナルハは少し固まって、「それもそうだな」と溜め息を吐いた。
その様子を見て、神は二人の肩を思いっきり抱いた。
「うん、そうだなそうだな。みんなで仲良く暮らそうな!」
「それはそれでしつこいけど!」
「神様、放してー!」

再び賑やかな天界と共に、今日も世界は平穏に過ぎていく。

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