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「一人じゃ生きてけないですよお母さん」

少し前に長澤まさみ主演映画「Mother」を観た。
映画そのもの、と言うよりも奥平大兼(長澤まさみの息子・周平役)の演技に心をまるっと強奪されて鑑賞後しばらく彼の表情や佇まいが頭から離れなかった。
役者の良し悪しが何で決まるのか全然分からないから陳腐な表現になってしまうけど、彼がただ画の中に収まっているというだけでもうそのシーン全体の印象が決定づけられてしまうような、そんな雰囲気を持っているなと思った。
今Wikipediaを見てみたら渋谷駅で友達とはぐれて立ち尽くしていたところをスカウトされ芸能界入りを果たしたらしく、そのエピソードからして既に映画みたいで笑ってしまった。ちなみに当時中1だって。溜息出ちゃうよ

作中での時間経過に従って奥平くんのビジュアルも少しずつ変化していくんだけど、この演出がまたすごくて。素朴で暗いイメージだった黒髪から金メッシュ入れて肉体労働するようになって、あ、ちょっとグレちゃった感じの設定なのかな?毒親への反発心みたいなのもここから露見してくるのかな?とか一瞬思うんだけど、そんな希望めいた展開になることは一切なくてずーーーーっとおんなじ絶望だけが続く。寧ろ奥平くんは日に日に母親のために自分を犠牲にするようになっていくから、初めは年頃の少年らしいファッションに思えた金メッシュもなんかだんだん若白髪に見えてくる。それくらい目に見えて奥平くんの容貌がくたびれていくし、幼少期からただでさえ動かなかった表情筋もますます死んでいく。この見るに堪えない痛ましい感じは同じくネグレクトをテーマにした映画「誰も知らない」で長男役を演じた柳楽優弥を彷彿とさせた。


記事タイトルに引用したセリフはほぼラストに近いシーンで獄中の奥平くんが面会に訪れた支援員に放った言葉。

「どうすればよかったんですかね。一人じゃ生きてけないですよお母さん」

心臓がぶっ潰れるかと思ったよ〜このシーン。作中で一番正視に耐えなかった。
以下は私が私自身の経験に照らし合わせて考え至った個人的な解釈です。あらすじ端折ってるから気になる人は調べてみてください。


このセリフを聞いて私が真っ先に思ったことは「いや、全然生きていけるでしょ」だった。生きていけるんだよ!お母さん一人でも。なぜって、映画を観た人には分かると思うけどこの母親は作中に描写があるだけでも5人を超える男性と短期間のうちに体の関係を持っていて、お金は常に無いけれど男から男へと渡り歩くことでどうにか人生をサバイブしている様が容易に見て取れる。恐らくはこれまでずっとそんな風に強かに生きてきた女が仮に息子を失った(あるいは息子に見限られた)として、はいじゃあ私の人生終わりでーす、となるだろうか。ならない。なるわけない。なんなら息子と離別した翌日でも当日でも新しい男とセックスできるくらいの胆力はあると思う。
で、奥平くんの演じる周平って子は多分すごく察しが良いから、母親の生き様を一番近いところから見つめてきた上で、それくらいのことは薄々どころかかなり確信的に気づいてると思う。だったらどうしてその事実を受け入れてさっさと母親を見捨てないのかっていうと、実際のところ「一人じゃ生きてけない」のは母親ではなく他ならぬ周平自身の方だから。これ書いててマジで苦しいです。

生まれた時からずっとだらしない母親に寄り掛かられた状態で生きていると、自分の生命活動(食べる・寝る・学ぶ・働く・その他全部)の目的が母親を支えること以外になくなってしまう。自分から出るどんな矢印も向かう先はただ母親一人のみ。そしてひとたびその環境が当たり前になると、自分一人の力ではもちろん他者の助けを借りてもちょっとやそっとじゃ覆せない。生きているのは母親のためで、母親のためにしか生きていけない。それしか知らないから、そこ以外を見るということがまずできない。
そんな雁字搦めの周平が支援員の手を借りて、生まれて初めて母親のいない世界に目を向けるっていう救いの見える展開も一応あるっちゃあるんだけど、結局またすぐ引き戻されてしまう。
人にはこれまでずっとやってきたことを無意識に肯定したいと思う癖があるから、周平もきっと母親に捧げてきた人生を無価値なものだと思いたくなくて、現状は限りなく苦しいけど最後はそこで生きていく方を選んだのかなと思った。

「一人じゃ生きてけないですよお母さん」というセリフが彼自身の本音なのか、そう思い込みたいという強がりから発せられたものなのかは分からないけど、いずれにしても親に対しての子供という立場はつくづく弱くて非力なものだ。
親の存在に苦しんでる人を見るとつい逃げろとか助けを求めろとか言いたくなってしまうけど、どんな子供だってみんな周平と同じなんだと思えば軽率にそんなこと言えない。第三者がひとえに現状を悪だと断じて引き離したりできるものじゃない。だからってじゃあ他人の家庭のことは知らぬ存ぜぬで通すのかって言われたら、それもまた違うよなってなるんだけど。

この映画を観る前の触れ込みで「当事者意識のある人は閲覧注意」みたいなの見かけたけど、私は観てよかった。しばらく凹みはしたもののそれも今の自分には必要な凹みだったと思うし。

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