犬よ

空想の犬を抱きしめていると涙が出てくるのは私が弱いからではなく昔実家で飼われていた、いや飼われると言うよりもほとんどは庭に打ち捨てられるような形で所有されていたあの小さな薄汚れた犬の瞳を思い出すからであってそれはもう本当に、本当に私が弱いからとかではない。もう名前も思い出せないその犬はある日突然いなくなり私は少し混乱したが後から聞けば母の手によって捨てられたのだと言う。なんでも餌をやろうとした母の手を噛んだのだったか、あるいは当時三歳の姉の手を噛んだのだったか、はっきりとしたことは忘れてしまったがとにかくそんな理由で犬は呆気なく捨てられてしまったのだった。捨てるくらいなら拾ってこなければいいのに、でも噛まれたら痛いし腹も立つだろうな、いやいやそんなことで腹を立てるようならやはり初めから動物を飼う資格などない、とは言え「犬は可愛いだけでなく時には人間の言うことを聞かず噛むこともあるし噛まれたらかなり痛い」という想像を捨ててある犬を前にしてあの母が瞬時にできるとも思えない。犬には気の毒だが拾われた相手が悪かったとしか…みたいなところまで考えた辺りで突如として莫大な憎悪が私の胸をグングン満たし悔しいような悲しいようなやり切れない涙が込み上げてくる。なんなんだ。なんなんだよ。人類は500万年だかそのくらい昔に誕生して以来どんどん進化して、その知性が地球にとって害を及ぼす可能性には目を瞑り続けながら他のどの生き物でもない人類にとって住みよいとされる地球だけを作り続けてきた。その結果今の地球は事実上人類なくしては安定を保てなくなってしまった。例えば今日いきなり人類が地球から消えたとしたら、人の手によって保持されてきた様々な設備や環境が一挙に崩壊し街は火の海、ダムや川は氾濫し、家畜・ペットなど野生で暮らす以外の動物の恐らくほとんどは死んでしまうことだろう。ヤバすぎる。人が、人のために好き勝手開発した地球で住むことを余儀なくされてそれゆえに人に依拠しなければならない生き物たちの不憫さよ。最悪だ、人って。お前もそう思うだろう、空想の犬よ。空想の犬はいつも返事をしない。私の気持ちが分からないのだろうか。やい、犬よ。お前に対するこの崇高な慈愛が、見えないと言うのか。何とか言ったらどうなんだ。犬よ。

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