Mとの記録(2/2)

↑のつづき



「せかいちゃん、さっきね、お父さんが…お父さんが話があるって家に来て、私、私ね?自分の進路の話かな?って…こないだ進学したいって伝えたからてっきりその話ができるのかなって思って。待ってて、学校終わって待ってたのに、ちが、ちがくて、全然…。お父さん、自分の裁判にかかるお金を私に稼いで来いって、そう言うんだ。か、家族だからっ…ふぐっ、家族だから協力し合うのは当たり前なんだって…お父さん、私が小学校からウリやってるの知ってて、今だってお前にはまともなバイト一つできやしないって言うくせに、そんなこと頼んでくるってさ。それって、そういうことだよね?お父さんは私に体を売って稼げって…そのお金で自分を助けろって、ふ、うっ、うぁ、私のことは!!なんにも!なんにも助けてくれなかったくせに!!」

私が電話をとるや否やMはまくし立てるようにそう言って、そのまま泣き崩れてしまった。私は冷静に、ここはひとまずMをなだめて呼吸のリズムを整えることからだと頭ではそう考えていたはずなのに、次の瞬間に口をついて出た言葉はそんな考えとはまるで異なるものだった。

「Mちゃん、死のうか。一緒に死のう」

ヒイヒイという甲高く苦しげな音を喉から漏らし続けるMに向かって投げたその言葉は、自分でも不思議に思うほど優しく響いた。眠り際の幼子をあやすような、最愛の人を想って作られた小夜曲のような。その質の良い慈愛で編まれたヴェールは悲しみも、傷も、何もかもすっぽりくるんでしまえるほどのおおらかさと深さとを持っていた。これでいいんだ。今なら私たち二人、このヴェールに包まれて世界一幸福に死ねると思った。
Mはしばらく咽び続けていたが、涙が止まった頃、静かに私の提案を呑んだ。

私たちはそれぞれ必要と思われる量の薬剤を用意し、それからできるだけ高い場所へと登った。Mはホテルの屋上、私は高架橋を選んだ。なるべく人目につかないよう注意を払い、辿り着いてからすべての薬を飲み終える頃には午前二時を回っていた。私はMを繋ぎ止めることに必死だったのだろう、携帯のバッテリーが切れかけていることに気がつかなかった。
私は本気で事切れようと覚悟をし、フリでなく実際に薬を飲んだ。下手な演技がMに見抜かれることなどはとうにわかっていたし、そうすれば今度こそMをあの暗く冷たい部屋から連れ出す人間はいなくなってしまうだろうと確信していたからだ。今、ここなんだ。ここで一緒に約束を果たす。社会的な善悪なんて今更知ったことじゃない。Mがこれまで誰からも手渡されなかったものを私があげるんだ。今の、これが、私がこの子に与えてあげられる唯一の愛だ。

「…せかいちゃん」

ぼんやりとした意識の中で鈴を転がしたようなMの声が響く。

「高いね…怖いね。こんなに怖いんだね」

怖くないよ、M。そう言ってあげたかった。二人でやるんだから大丈夫だよ。私がいたら、なんにも怖いことなんかないよ。よっぽどMにそう言ってあげたかったのに、体が弛緩して呂律が回らない。視界がぼやけてきっともうまともに立つこともできない。飛び降りようとするなら這って動くしかない。ああ、なんで橋なんかにしちゃったのかなあ。やたら高くて頑丈な柵にしがみつきながら私は何度もMを呼ぶが、Mからの返事はない。声になっていないからなのか、或いはMがこんな私を見兼ねてさっさと一人でやり遂げてしまったからなのか、わからない。なにもわからない。私のやりたかったこと。Mの欲しがっていたもの。私たちの救い。私たちの幸福。私たちの──。

夜が明けて、私は橋の上で目を覚ました。車通りの多い場所で何時間も眠りこけていた自分のことよりもMの安否が心配で、すぐさま電話口に向かってMの名前を呼んだが、携帯の充電は切れていた。
大急ぎで自宅に戻り再び電話をかけ直したが、Mは出なかった。何度かけても、何度メッセージを送っても応答はない。その日から一日中ネットニュースにかじりついて女子高生の飛び降り事故の速報が上がって来はしないかと冷や冷やしていたが、結局なんの情報も得られなかった。

それから三日ほどたったある日、MのあらゆるSNSアカウントが一斉に削除され、この日をもってMは完全に私の目の前から姿を消した。アカウントを削除したのがM本人であるなら一旦は胸を撫で下ろすこともできるが、それもわからない。関係者によって消されたのかもしれない。
きっともうMには会わないし、仮にネット上で見かけることがあってもなんとなくお互い声を掛けないような気がしている。当時、Mと二人、本気で死のうとしたあの時の私は実際に死んでしまってもうこの世に存在しないのではないかとも思っている。

以上がMとの記録である。尚、便宜上タイトルを「記録」としたが、筆致からも読み取れるよう私とMとの間に起こったことは、私の中でただの記憶と割り切るには感情の抑えがたい部分があまりに多く、より正しい言い回しが見つかり次第、適宜改題するつもりである。

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