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あなたはどう在りたい?【人生の目的について】

はじめに

 この文では、「人生の目的」みたいなものに言及してみようと思います。特に大学生、社会人になり始めぐらいの年齢の方々が直面する問題だと思います。もちろん、社会でばりばりと活躍されている年代の方々も考え直す瞬間が多くあるはずです。
 自分の人生に明確な目的を持っている方、あてどなくフラフラとされている方、どうでもいいと思っている方、色んな人に読んでもらえると幸いです。

 冒頭は私個人の考え方についての言及なので、「結局、人生の目的って何で要るんだよ?」という疑問を解消したいだけの人は途中の(ここから読んでもOK)という箇所から目を通してみてください。

あなたはどう在りたいのか、という問い

「あなたはどう在りたい?」

 人生で一度や二度は会話に上がったことがあるのではないでしょうか。
 実は、私はこの質問に長年答えることができなかったんです。テキトーにふらふらと生きてきたし、これからもそんな風に生きていければいいや、と思っていました。
 だって、人間ってそんなガチガチに縛られて生きていくものではないでしょう?テキトーに生きていればいいんだって。今日の晩ご飯が楽しみだとか、来月公開される映画を早く観たいだとか、そんな瞬間瞬間で生きていければそれでいいんですよ。
 私はつい最近までこんな考えを掲げており、人生に目的を見出している人のことが全く理解できませんでした。なんなら、「え、それって目的という名の手段を掲げているんじゃないの?」「そんな目的を掲げたところで薄っぺらいよ」など、イジワルな考えを持って話半分で聞いていました。

 ただ、少し私の中で転換がありました。自分がどうありたいのかが決まっていないと、日々の行動に一貫性が生まれず、それぞれの行動の理由を説明できないことに気づいたんです。
 そんなこんなで、私は自分の胸に手を当てて「どうありたいのか」と嫌々考え始めることになったわけです。

私はどう在りたいのか

 しかし、というかやはり、普段からテキトーにその場しのぎで生きてきた人間にとって、自分の人生に一貫性をもたせることは非常に困難でした。とりあえず今日この瞬間が楽しければいいやと考えている人間が、設計した目的に沿って翌日からばりばりと活動していくことなど想像できませんでした。
 そのため、私は、自分が普段から取ってきた行動や考えから逆算して「目的」を抽出し、かつ、それを抽象的なレベルに留めることで、曖昧な状態の目的を掲げることにしてみました。
 だらだらと書いていると読者の方々は「結局あんたの目的って何なんだよ」とイライラしてしまうと思いますので、ここらで結論を先取します。

【私はどう在りたいのか】
私は、私独自の観点で見つけた"モノの魅力"を
私の力で届けていきたい。

これが私の人生の目的として考え出したものです。えらく漠然としておりますが、この目的設定すらされていない状態の私の人生と比較すると、それは雲泥の差なのです。
 この目的は、プライベートにも仕事にも掛かっいます。プライベートで言うと、私は自分が良いと思った書籍、音楽などは他人に勧めずにはいられません。「こんなに良い作品なのに、なぜ皆んな知っていないんだ!」と躍起になって"布教"するわけです。
 仕事に関しては具体的な言及を避けさせていただきますが、マーケティングに従事しております。プライベートで感じていたことが無意識下にでも仕事選びに関わっていたのかも?と考えると、少し面白いですね。

なぜそう在りたいのか

 少し前に詩として掲載しましたが、私は、モノの魅力は"火"なのではないかと考えています。

 世間ではよく「バズる」という言葉が使われていますが、あれがわかりやすい例です。バズっている事象はモノの魅力が山火事レベルで燃え盛っている状態だと思っています。
 ここで断っておきたいのが、「火の強さ=魅力的な度合い」でもないんです。火の強さは、注目度合いと比例していると私は思います。山火事ほどの大きな火は皆んなの目には留まりますが、だからといって、ロウソク1本の火より熱いかと言われるとそうではない。どちらも性質としては同じ「火」の範疇なんです。ただ目立っているかどうかの違いに過ぎない。

どんなに良い作品、素敵な人、良質なプロダクトであっても、多くの人に届かなければ消えてしまうかもしれない。
 私はそんな日の目を見られていないモノたちを可能な限り救っていきたいのです。そのためには、扇動する私自身に発信力が必要となる。では、そのためには…。と、色々とトップダウンの形で考えが巡りました。これって、皆さんの言う「どう在りたいのか」になるのではないか?と気づいたわけです。

なぜこのように問うのか(ここから読んでもOK)

 さて、私はこんな風にして自分の人生の目的を急に設定してしまったわけですけど、元はというと「目的アンチ」でしたので、「目的とか意味ワカンネー」派の人たちの気持ちも同時に分かるのです。これって結構希少種では?と思い、今回文章をしたためたわけです。
 人生における目的を定めたことによる恩恵はざっくりとこんな感じです。

① 急に要領が良くなる
② 自分の考え・行動に一貫性が生まれる

順に説明していきましょう。

①急に要領が良くなる
 これはマジです。今まで不器用に行き当たりばったりの人生を送ってきた人間が、途端に生きやすくなりました。「あぁ、社会ってこんな感じ振る舞っていけばいいのね」という風に思え始めました。
 理由は②に掛かってきますが、「自分の目的のためにはどの行動が適当か」が明確化されていますので、それに適っているか否かで行動するかしないかを決めるという判断ができるようになったんだと思います。
 今が生きづらい人たち、騙されたと思ってトライしてみてください。私もいま絶賛トライ中です。

②自分の考え・行動に一貫性が生まれる
 本来はこっちだけが恩恵だと思います。
 自分がどうありたいのかが決まっている人は、理想像になるためには何ができるようにならないといけないのか、何をしなければならないのかが明確です。
 普段の考えや行動にもその基準が入り込んでくるので、全てが目的達成のためのタスクになっていくわけです。

 「タスク」という風に表現しましたが、この観点も個人的には大切だと思います。全てをRPG感覚でやってみると、日々の勉強や自己研鑽も「レベル上げ」になりますし、何事も楽しんでできるようになる気がします。

桜井画門『亜人』
人生、RPG感覚で遊んでいきましょう

あなたはどう在りたいのか

 さて、ここからは私が皆さんに問う時間です。皆さんは、どう在りたいですか?
 何も、大きな目標を掲げてほしいわけではありません。自分の人生と向き合ってみてほしいだけです。
 その場限りの生き方も楽しいんですけど、やっぱり、どこか他人と馴染めないと感じてしまう時が多いと思います。なぜなら、社会そのものが「目的的」に稼働しているからです。皆んなが何かに向かって頑張らないといけない、ヤバイ時代が到来しているんです。
 そんな中、自分の目的を見い出せない、自分の目的に自信が持てない人が一定以上存在することも知っています(私もそうです)。
 ただ、馴染めないからといって、あなたの素敵な魅力の火が消えてしまうのは見過ごせない。あなたはもっと上手く自分の魅力を発揮できる。
「どう在りたいのか?」を考えるだけで、何かがマシになるかもしれない。一緒に頑張りましょう。

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