ピランデッロ 関口英子訳
自分のことを、自分の持つ関係性を反射し合って見ることが最早かなわないとき、孤独になるのだが、その時孤独を感じている魂は、いったい何なのか。誰々という呼称は外からつけられるものであり、自分も外部を内面化した習慣によって自分が誰であるかを認識する。しかしそれがはぎとられて孤独となった時、この見ることの、重みを感じることのできる肉体と、意識は全く混ざり合わずに受け入れがたく遠くから見るような感覚で、その動きを見ることになる。一旦その意識を持ってしまうと、現実はまったく自分の心から遊離してしまい、自分の生に現実味がなくなっていく。
ある一日、の他人の目線から自分の急速に過ぎ去る人生を感じる男の話は、滑稽でそれだけにぶるぶると震えてしまう。