風土

和辻哲郎 著

ギリシア人が erēmiaとして、ローマ人が desertaとして、さらに近代人が Wüste, waste, wilderness等として把捉したものは、単なる砂の海ではなかった。それは住むもののない、従って何らの生気のない、荒々しい、極度にいやなところである。人々はこの風土をその形においてではなく、その生気
のなさにおいて捕えた。

青山的人間がある時インド洋を渡ってアラビアの南端アデンの町に到着したとする。彼の前に立つのは、漢語の「突兀」をそのまま具象化したような、尖った、荒々しい、赤黒い岩山である。そこには青山的人間が「山」から期待し得る一切の生気、活力感、優しさ、清らかさ、爽やかさ、壮大さ、親しみ等々は露ほども存せず、ただ異様な、物すごい、暗い感じのみがある。

 サハラ砂漠に行きながら読んでいた。砂漠に続くまでの禿山の、日本の「山」という感じからは想像できない寂しさ。ピレネー山脈を訪れた時も、その永遠と続く雪をかぶった岩山に、私一人ではどうにもできないその大きさに打ちのめされた。

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