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なりたい人間像、なりたくない人間像

生きていると悲しいことや嫌なことにぶち当たりますなぁ。

今朝は事務所の前の神社の大木の剪定作業が行われていて、朝からチェーンソーの音が鳴り響いておりました。

大木の枝葉は綺麗に刈られて、来るべき春、新緑は効率よく芽生えるように準備をしているようです。
神社の前の道には剪定の際に飛び散ったおがくずの残りが落ちていて、時折吹く風によって細かいおがくずが宙を待っております。その道を買い物に途中の子供を連れたお母さん、作業員と思しき若い男性、原付バイクのおじさんが通り過ぎて、遠くにヘリコプターの飛ぶ音が聞こえます。
何気ない日常です。

20代の頃、理想とすべき40代像というものがありました。
生き方、人間性、音楽やアートへの関わり、持っているもの、もうなくなってもいいと思っている欲求、、、などなど。
50代目前にして思うのは、それのほとんどが未だに達成できていないということです。
一体どういうことなのでしょうか?
ボクは本当に20年以上も無為にダラダラとしてきたのでしょうか?
今、現時点でできてないだけで、ちょっと前までは達成できていたのか?
(いや、できていないだろう)

ちゅーことはだね、ま、その時々で頑張ってはいたのだろうけど、結果的に本当にダラダラとしていたということになります。

20年!

やるな、オレ!!

いや、褒めてもしょーがない。

普通に考えたら、落ち込む案件です。

でもね、時代も変わってるんです。
あの時代(20代)の物差しで現代を見てはいけないのではなかろうか。
つまり、あの頃の物差しはもう通用しないということであれば、仕切り直して別の新たな生き方を、理想とすべき60代像を描くべきではないのだろうかと思うと、幾分気が楽になりますね。
すぐに結果はでなくてオッケーで、その先の近い未来に向けて何をしていくか。
ま、そんなところに落ち着いて徐々に歩みを進めるべきでしょうな。
(といって、徐々に・・と悠長なことを言っていると60代でマジでビビることになるんだけど)

とにもかくに、面倒に思わず、覚めず、諦めず、感謝の気持ちを忘れずに、ポジティブに地に足をつけて地道にやっていくしかないんでしょう。

いくつになっても日々勉強っすね。

ところで、なりたい人間像ではなく、なりたくない人間像ってありますよね?

最近の自分調べによると
・しゃべり声が無駄にでかい
・いい歳して承認欲求が以上に強い
・事実ではないことやあやふやな情報を当たり前のように広める
・自分の正義が全てだと思っている。

このあたりがそれに当たるような気がします。
飲み屋で人間観察していると、こういう人によく出くわします。

そんな人間になっていたら嫌だなぁ。

でも、時代とともにこういう物差しも変わっていくのかしら?
何歳になっても承認欲求を持つべき!
みたいなことを未来のユーチューバーみたいなやつが言い出したらうざいなぁ。

いまのところそうはなりたくないので、もしボクがそんな素振りを見せていたら
ご同伴の方、ご一喝のほどよろしくお願いします。

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