見出し画像

哀愁の御茶ノ水

大学で上京してバンドを組んで活動していた頃。
楽器や楽器周りのものを買うときは決まって御茶ノ水でした。

80年代後半のバンドブームの残波もあり、駅前の楽器屋さんが連なる通りは平日休日問わず賑やかで、楽器屋さんの店内からは大音量の音楽や楽器の試奏をする音が鳴り響いておりました。

店の中に入ると、どうやって履いたの?って思えるくらい細いブラックジーンズを履いたやせ細った長髪のメタル兄さんが楽器のチェックのために得意の早弾きをひけらかし、なにか質問をしようものなら上から目線で横柄に答えてくる、、、そんな風景が当たり前でしたな。

駅から靖国通りまで、楽器屋さんが立ち並び、新しい楽器を買ったと思しき若者(当時の自分と同じくらいの歳の人たち)が喜んだ顔をして闊歩していたものです。

ボクと幼馴染みの友達は、新御茶の水駅で待ち合わせをしてよく楽器屋さんを巡っておりました。
新御茶の水からJRの御茶ノ水駅に向かうエスカレーターの長さには驚いたものでした。

ボクらは楽器屋さんを一軒一軒店をまわり、かっこいい楽器を見つけるとヘビメタ兄ちゃんにビビりながら買いもしないくせに試奏をさせてもらい、楽器を見に来ている他のお客さんにアピールするかの如く当時コピーしたかっこいい(というか上手く聴こえそうな)フレーズを弾きまくり満足しておりました。

ひとしきり楽器屋を回ると決まって吉野家かマクドナルドでお昼ごはん。
(吉野家もマクドナルドも今の場所と違う場所にあった気もするけど、違ったかな?)

マクドナルドはあの頃(94年頃)、コーラの飲み放題があり店内に喫煙席もあったので長居してたような気がするなぁ。

当時は御茶ノ水近辺に行ってもお酒を飲むことはほとんどなく。
牛丼やハンバーガー、コーヒーやコーラを飲んで夕方には家に帰っておりました。以前どっかで神保町のジャニスにCDをレンタルしに行っていたという話は書いたかもしれないけど、その頃はカレー屋さんをいろいろ巡っておりましたが、そのさらに10年前の御茶ノ水時代(?)は牛丼やハンバーガー、コーヒーやコーラを嗜むだけでどこにも寄らずに直帰していたんでしょうね。
お金がなかったというのもあるんでしょうが。

少し話が逸れましたが、90年代の半ばあたりの御茶ノ水は賑やかで、バンドマンのディズニーランド(ちょっと言い過ぎですね)みたいで楽しいところでした。

先日、用があって久々に神保町から御茶ノ水あたりを歩きました。

楽器屋さんにも昔ほど行かなくなり、細々した楽器関係のものはネットで買うようになったので気づけば随分御茶ノ水とは疎遠な関係になってしまったものです。

店は昔のままで残っているお店もいくつかあって、面白半分でいくつかのお店を覗いてみたのですが、店内にはヘビメタ兄さんや爆音で試奏している兄ちゃんもおらず、大きい音で音楽は流れているのですが、どの店も賑やかさはなく、なんとなくシーンとしていてさみしい感じで、随分昔と変わってしまったなぁと思ったのでした。

コロナというのももちろん関係しているんでしょうが。

ボク自身はあの頃から変わったようで変わっていないようで、御茶ノ水&神保町近辺に行ったらお酒を飲んで帰ってこないとなんかもったいないなぁと思えるようにはなったけど、いまでも普通に吉野家もマクドナルドも行くし、単に歳を取っただけなのかなぁ。

ただ、楽器を買いに行くという機会は今後減るだろうから、これから御茶ノ水をはもっともっと疎遠になっていくことでしょうね。

そして、ボクみたいに御茶ノ水から疎遠になった人たちもたくさんいるんだろうなぁ。

一部の人間からすると御茶ノ水ってなんか哀愁がある街ですね。

ところでマクドナルドといえばこんな記事がありますね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/64f0a26f4935356dc7e3b1d3ea77a2f6f2fc08fe

あの頃の金額でまだマックを食べてんのは日本人だけなのか??

写真:逗子の海

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?