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青空文庫を久しぶりに

ヤスミノ(というwebライター)がみくのしん(というwebライター)にオススメしていた「貧しき信徒」という本がとっっても気になったので読んだ。

結核により29歳で亡くなった八木重吉の詩集だ。私は今日初めてこの人を知った。
死に向かう時だって精神だけは自由なのだと思った。ただそれはゆっくり向かっているからだろう。救われもし怖いことだと思う。心と体ってひとつなんだけど独立している。別の生き物を自分の中で飼っているし喰われている。

病床で書いた文章
素直かつ露骨かつ死に向かう生の灯火。

母をおもう

けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

『貧しき信徒』 八木重吉

辛いのである。

人形

ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた

『貧しき信徒』八木重吉

ありありと想像できる。

重吉は桃子という子どもがいたようだ、昔の人は、早く死ぬ人でも、妻子がいたのだなぁと思ったりする。(毎回)
私なんてまかり間違って長生きしても夫や子の手を握ることなんてないのではとおもうし。(毎回)
桃子の描写や妻に対する思いが、かんたんな文章からあつく伝わる。これが100年前の文章なのか。

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

昨日、今日と家事でえらく忙しい。母がコロナに罹ってしまった。コロナを経験していないのはもはや私だけかという気になる。自分の健康が心もとない。しかし家事は楽しい。朝の空気を吸いながら洗濯物を干す時、未来が楽しみに思えた。
何事もなく母が無事に回復しますように。

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